常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

霧氷

2013年11月30日 | 登山


本当の霧氷の美しくしさを見るのはなかなかに難しい。夜に降った新雪が木に着くことが最低の条件だが、朝日に照らされなければならない。風が吹くとすぐに飛ばされるし、気温が上がるとあっという間に消えてゆく。気温が低い早朝がやはり一番のいい条件だろう。

上山から宮城県の七ヶ宿へ抜ける金山峠という古い峠道がある。江戸時代には山中で奥州街道から羽州街道へと道をとり、西奥羽諸大名の参勤交代の街道であった。今日、この街道を歩いた。山登りとは違う街道歩きである。昨夜降った新雪が山中の木の枝に着き、朝日に照らされてきれいな霧氷になっていた。

ふるさとの山にかも似て雪降れり 高橋 喜平

雪は標高500mを越えたあたりから深くなり、600m地点で15センチほどの積雪であった。雪のなかを歩くのは楽しい。この峠道は、渓流に沿っているが、道幅は人間が一列に歩くにやっという狭さだ。江戸時代の交通事情がここを歩いてみて実感できる。渓流の両脇は急な山肌になっている。誰が考えても分かるところに、最低の手入れで作りあげた道である。

急な勾配のところには七曲の道が切られている。峠では見晴らしのいい場所がある。宮城と山形の県境が峠になっている。



見晴らしのきく場所から周囲に目をやると、絵のような景色が眼前に広がる。かつての旅人は峠道を登ってきてこのような景色に癒されながら、その先へと歩を進めたのであろう。街道の中腹に茶店跡の標識もある。そこでだんごを食べ、喉を潤して足の疲れを休めたであろう。ここから江戸へ行くにも、羽州街道を通って秋田へと向かうのも大変な道のりである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雪化粧

2013年11月29日 | 万葉集


家を周囲の山が雪化粧をした。その下の里山は、落葉を待つ木々の葉が霜枯れている。新雪の山は冬になればいつも見る景色ではあるが、一年ぶりに見れば新鮮な感じである。この冬は3年続きの寒い冬だとの予報があるが果たしてどうだろうか。

あしびきの 山に白きは 我がやどに 昨日の夕べ 降りし雪かも (巻第十2324)

あの山に白く見えるのは、我が家の庭に昨日の夕方降った、あの雪であろうかなあ。万葉集では、雪の歌を並べるのにも順番がある。最初には激しくは降らない淡雪を置き、次に庭に積もる雪、最後は山に積もった雪の順に並べる。

我が背子を 今か今かと 出で見れば 淡雪降れり 庭もほどろに (巻第十2323)

したがってこの歌は先の歌の前に置かれている。あの方のお越しを今か今かと待ちかねて戸口に出て見ると、淡雪が降り積もっている。庭中うっすらと。こんな情景は、昨今の雪の降り方とは」違って趣がある。昨日降った朱鞠内の積雪は、38センチと報道された。とても、戸口に出てみるような景色ではない。

それにひきかえ山形の新雪は、やや万葉の面影をとどめている。明日、金山峠の峠道で雪を踏みながら歩く計画だが、雪の山に行くというと、決まって「危ないから、止めろ」と忠告してくれる人がいる。雪崩が起きるような深い山でなくとも、雪山は危険というイメージが出来上がったようだ。雪山に入る人には、やはり十分な用心が必要になる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

もち競争

2013年11月28日 | 民話


餅がおいしい季節である。秋の刈り上げ餅はことのほかおいしい。一年間丹精こめて収穫した米を祝ってつく餅だ。そんな餅にまつわる民話が山形にある。「動物もち競争」と名づけられている。動物を擬人化した話だ。人間の持つ、ずるさ、みにくさ、やさしさなどを動物にたくして語られる。

猿と蛙が山から村を見下ろしていた。村では「契約」で餅をついていた。餅をつく音が山まで聞こえてきた。猿と蛙は餅が食べたくなり、山を降りた。蛙は餅をついている家の池に入り、赤ん坊の声をだした。

「そうれ、ンボコが池さ入ったぞ」家中の者が外へ出たとき、猿は臼をひっかつぎ山へ登った。蛙もあとを追って山へ登ってきたが、欲のでた猿が、臼を転がして早く追いついたものが食べることにしようと言い出した。

猿は蛙の返事も聞かず、臼を転がしその後を追っていった。しかたなく、蛙もペタリペタリと飛び跳ねていくと、途中に臼から飛び出した餅が落ちていた。蛙はそこで腹いっぱい食べた。臼がからだったので、猿が戻ってきて「おれにも半分分けてくれ」と頼んだ。

蛙は餅の熱いところをちぎって投げた。猿は熱いのをがまんしてはがして食べた。「・・・もう少し」と頼むと、こんどは尻にくっついた。毛のない赤い尻に熱い餅がくっついたのでたまらずに転げまわった。

契約というは、村の年中行事で各戸が集まり、村の次年度の計画や担当する役員を決めたりする。酒が振舞われ、今年収穫した餅米で餅をついて食べる風習である。最近は近くの温泉に集まって酒を酌み交わすことが多いようだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブナ

2013年11月27日 | 登山


山形県の山域に行くと、内陸では概ね900m、日本海に面したところでは300mぐらいからブナの林が見られる。残雪の芽吹きから新緑、秋の紅葉とブナ林の美しさはかけがえのないものである。秋にはブナの倒木にブナシメジやブナカノカ、ナメコなどのきのこの恵みをもたらしてくれる。さらにブナ林帯には、栗、トチなどの木の実が多く採れる木が並存して、山ろくに住む人々の貴重な食糧源になっていた。ちなみにブナの実は、冬眠に入る前の熊の栄養源で、この実が不作の年は熊が冬眠に入れず、人里に降りてくる原因でもあった。

木曽人よあが田の稲を刈らん日やとりて焚くらん栗の強飯 長塚 節

ブナの実は熊の食糧になるだけではなく、かつては人々の食糧にもなっていた。ブナの根元には秋になると、小さな実がたくさん落ちている。拾って食べてみると、脂肪を含んでいてとてもおいしい。だが、松の実と同様にこの実を取り出すには、想像を超える手間がかかるので次第に用いられなくなった。こんにち、食べるものに手をかけないのはあたかも文明の進化のように考えらる面もあるが、人が自然のおいしいものを失っていく退化でもある。

トチはマロニエと呼ばれフランスの街路樹として美しい並木は有名である。かつては食糧として用いられたため、ブナ林帯の山村では直径1mを超える天然林が残されている。たしか昨年の秋のことであったと思うが、登山道の入り口でハケゴを背負った数人のご婦人に出会った。聞けば新潟から山形の山にトチの実を拾いに来たと話していた。山にある温泉地では、土産用にトチ餅が売られている。トチの実にはタンニンが含まれているので、餅にするには驚くほどの手数がかかる。それだけに珍しい山の珍味として多くの人から好まれている。

ブナの生存地の分布をみると積雪と関係があるようだ。秋田から青森にかけての白神山地、月山から鳥海、飯豊、苗場山など日本海側の積雪地にブナの原生林が見られる。これらの地域の雪は湿って湿気が多い豪雪だが、それに強いのがブナである。ブナの老木が倒れ、日差しが山地に差し込むと、そこにはマンサクやリョウブ、ササなどが群生する。その低木から抜き出てブナが成長するには、この低木の勢力に耐えなければならない。そして大きな枝が日を遮るようになると、跋扈していた低木が勢力を弱めてブナの純林が初めて形成される。それだけに、長い時間が必要である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

種田山頭火

2013年11月26日 | 


森沢明夫の『あなたへ』には、妻の遺骨を散骨するための旅にでる主人公に寄り添うように登場する泥棒稼業の杉野という脇役が出てくる。高校の国語の教師だった杉野は、学校の不良女学生の罠に嵌って職を失い、いつしか泥棒の仲間に入り、車泥棒、車上荒しなどで刑務所に何度も入る生活を送っている。

主人公はキャンピングカーで長崎での散骨の旅に出るが、途中の水汲み場で偶然泥棒稼業の杉野に出会う。杉野が先に水をタンクに詰めていたが、水を汲みに来た主人公へ「先にどうぞ」と場所を譲る。「あなたのタンクは小さいですし。遠慮なさらず、ほら、どうぞ、どうじぞ」と声をかけてくる。

こんなにうまい水があふれている

杉野はこんなことをつぶやいて、不思議な顔をした主人公に「種田山頭火の句です」という。二人の出会いは、こんな風に始まっている。

高校の国語の教師から、泥棒をしながら放浪の旅を続ける杉野には、放浪に生きた種田山頭火が最後の心のよりどころになっている。

種田山頭火は明治15年に、山口県防府市に生まれた。本名は正一である。明治37年早稲田大学を中退。大正2年、萩原井泉水の師事して、俳句の世界に入った。大正14年の出家、九州、四国、中国などを托鉢、その行乞放浪の生活を淡々と句にした。代表句集に『草木塔』。昭和15年10月11日死去した。

昭和5年9月10日の行乞日記に記している。
晴、二百廿日、行程三里、日奈久温泉、織屋。
午前中八代町行乞、午後は重い足をひきずつて日奈久へ、いつぞや宇土で同宿したお遍路夫婦とまたいつしよになった。方々の友へ久振に---本当に久振に---音信する、その中に---
  ・・・私は所詮乞食坊主以外の何物でもないことを再発見して、また旅にでました、
  ・・・歩けるだけ歩きます、行けるところまで行きます
温泉はよい、ほんたうによい、こヽは山もよし海もよし、出来ることなら滞在したいのだが、---いや」一生動きたくないのだが(それほど私は労れているのだ)

分け入つても分け入つても青い山

鴉啼いてわたしも一人

この旅、果てもない旅のつくつくぼうし

山頭火は自由律の俳句の卓越した俳人である。西行、芭蕉に連なる放浪詩人として広く知られている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする