常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

菊花

2018年10月31日 | 日記

雨のなか尾花沢へ。半年ぶりの訪問である。

稲の刈り取りも終わり、最後の収穫時期で

あったが、冷たい雨が季節の巡りを急がせ

ていた。親戚の家々では、久しぶりの再会

を喜び、義母の無事を確認していた。泊ま

った温泉宿の玄関先に、満開の厚物菊が飾

ってあった。みごとな色どりと秋の香りに

接して思わずカメラのシャッターを切った。

秋の香や奈良には古き佛達 芭蕉

中国では9月9日を重陽の節句とし、長寿

を願い、菊の花を供え、菊酒を飲み、家族

が集った。この風習が日本に伝わったのは

平安時代。宮中の高官たち、自ら育てた菊

を持ち寄り、その優劣を競い、歌を詠む。

いわゆる「菊合わせ」の遊びとして、貴族

のあいだで広がっていた。この趣味が庶民

の間にも広がっていったのは江戸時代であ

る。今では、菊の展示会、菊人形など、秋

の菊祭りとして、日本各地で楽しまれてい

る。

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秋深し

2018年10月28日 | 日記

散歩コースに坂巻川の土手がある。川面をおお

うように、桜並木が続いているが、葉は紅葉に

染まった。平地では、いち早く紅葉するのが桜

だ。少し吹いた風に、葉は散って、川のなかや、

散歩道も紅葉が彩りをそえる。

秋深き隣は何をする人ぞ 芭蕉

暑い夏は、開け放されいた戸口も、風が冷たく

なるほどに閉め切られる。隣人の顔を、何日も

見ないのも、普通のことになっている。久しぶ

りに顔を合わせると、「風邪をひいて」などと

思わぬ言葉に出会ったりする。そういえば、こ

の秋はもうインフルエンザが流行のきざしを見

せているらしい。検診にいた病院の待合室には、

風邪ひき患者が多く見受けられる。

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雨読

2018年10月27日 | 日記

冷たい雨。計画していた山行は中止。家の

なかでじっと読書で暮らす。来年の山行計

画を考えながら、山のリストアップ。それ

にしても寒い。冬のセーターを取り出して

着る。外を眺めると、近くの里山、上山の

三吉山、西山が紅葉に染まっている。

芥川の短編を三つ、水川隆夫『漱石と落語』

を読む。芥川は「温泉だより」「海のほと

り」「死後」の3篇だが、最後の「死後」は

夢の中で見る死後の話だ。隣で寝ている妻

の傍で本を読みながら、眠りに落ちるが、

死んだ自分の夢を見る。死んで住んでいた

家の前を通るが、表札が変っている。そこで

自分が死んだことを確認する。不思議なこと

に死んでいながら、妻と会話を交わす。再婚

の相手について、一緒になって大丈夫なのか、

と問いただしているうちに目が覚める。芥川

にしては他愛のない小説だと思いながら読ん

でいると、自分も寝転がって眠りに落ちた。

『漱石と落語』は面白い。この時代の文士た

ちは、しきりに落語の語りを文体を作り上げ

る参考にしている。同輩が集まって「山の会

なるものを作って、文章づくりの練習をする。

ひとつの文のなかに山をつくること、その山

は落語の滑稽が一つの見本になっている。

自分の作った文を集まった面々の前で読み上

げ、それを批評しあうのが会の方法であった。

永き日や欠伸うつして別れ行く 漱石

松山を去る虚子を送くる送別の句だが、作者

この句に、落語の「あくび指南」を意識し

たものと指摘する。近所に「あくび指南所」

なるものができたので、いやがる友人を無理

に誘って教わりに行く。あくびの師匠は、あ

くびの種類を数え上げ、船中でのあくびはこ

うだと見本を示し、男にまねをさせて教える。

男が不器用でなかなかできないのに退屈した

友人が思わずあくびをする。それを見た師匠

が、「お連れの方は実に器用だ。見ていて覚

えた」という落ちの落語だ。

 

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紅葉

2018年10月26日 | 日記

高山の紅葉は足が速い。週一度の程度の山行

では、最高に美しい紅葉に出会うのは難しい。

絶品の紅葉が記憶のなかに焼き付いているの

は、ある意味で不幸なことであるかも知れな

い。山のなかで、せっかく美しい紅葉に出会

いながら、つい去年はもっとよかったと比較

したりしている。これは、ないものねだりの

悲しい人間の性であるとも言える。

今日、笹谷峠の紅葉を見に行って発見したこ

とがある。もう山の紅葉は終わりに近づき、

淋しい気持ちで山を歩いていた。たまたま午

後の時間帯に出かけたので、日が落ちない内

にと、下山を急いだ。登山道の下の方に色づ

いていた樹々の紅葉が、夕日に照らされて、

一瞬かがやきを増した。長い人生で初めて味

わう感動であった。

奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の

 声聞くときぞ秋はかなしき 古今集

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2018年10月25日 | 日記

この季節になると、方々から柿をいただく。

渋を抜いて食べるばかりになった柿。木から

もいだばかりの渋柿。干し柿にする紅柿。生

食で、干し柿で、柿は実においしく、しみじ

みと秋を感じさせる。

柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺 正岡 子規   

子規は柿が大好物であった。明治28年の秋、

松山へ帰郷していた子規は、東京へ帰る途次

奈良に泊まり、法隆寺に参詣した。そこの茶

店で、好物の柿を食した。柿を見ると、何故

かこの句を思い出す。それほど、長く、多く

の人の口端に登った句である。 

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