常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

五月尽

2023年05月31日 | 日記
五月、最後の夜明けは、きれいな朝焼けだった。台風2号が、はるか南の海上に停滞している。台風の影響がないうち、やっと初夏らしい、さわやかな朝を迎えた。予報では梅雨入りが近づき、ぐずついた気候になるらしい。外を歩くと、田植えの終わった田に、青空が写りこんで美しい。咲く花は、次々と種を変え薔薇の美しい季節になった。
薔薇には、古来、多くの伝説がある。唐の玄宗皇帝の楊貴妃は、その美しさを薔薇にたとえられる。その美女を見出し、皇帝の寵を集めた楊貴妃を皇帝に紹介したのは、名高い宦官高力士である。薔薇を詠んだ与謝野晶子はこの故事を詠み込んだ歌を残した。

高力士候ふやとも目をあげて 
 云ひ出でぬべき薔薇の花かな 与謝野晶子

薔薇は平安時代、「そうび」と呼ばれた。中国から伝わった高貴な花として貴族の住まいに植えられた。『源氏物語』の「乙女」の巻には、その邸に植えられた花の名が語られている。
「東北のお邸はいかにも涼しそうな泉があって、夏の木陰を主とした造りです。御前に近い庭先の植え込みは呉竹で、その下風が吹き通すように植えてあります。高い木が茂っているのが森のように見えて木深く風情があります。ここは山里らしいつくりで、卯の花の垣根をわざわざ囲みめぐらせて、昔をしのばせる花橘、撫子、薔薇、牡丹などの花の色々を植えて、春や秋の草木をそのなかにまぜてあります。」

ここは花散里の君を住まわせるお邸で、源氏の君は、女御たち一人ひとりに相応しい庭と邸宅、そしてそこに咲く花にもこだわって選び抜いている。今日、こんな貴族のような住まいは見られないが、どの家にも好みで選ばれた花を植えて、そこの家に住む人たちの個性をあらわしている。
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ベランダ園芸

2023年05月30日 | 日記
小満が来て10日。ベランダに植えたトマト、キュウリの苗が20㌢ほど伸び、しっかり花もつけている。狭い場所でも、朝夕の水やりで植物たちとの会話もでき、季節の進み方も見えてくる。ここには、畑に来る青虫や害虫もなく、野菜づくりも手間入らずだ。バジルの苗も伸びてきたので、先端の葉を摘んで香りを楽しむ。先日買ってきたトマトとバジルの葉を刻んでサラダにする。山椒の木も枝を増やし、新芽を伸ばしている。時々採って、焼き魚に乗せて香りを楽しむことができる。ほんの少しのベランダ園芸だが、毎日の暮らしに彩りを添えてくれる。

ぱらぱらと開く宮沢賢治の詩集「春と修羅第二集」。題して夏。

木の芽が油緑や喪神青にほころび
あちこちの四角な山畑には
桐が睡たく咲きだせば
こどもをせおったかみさんたちが
毘沙門天にたてまつる
赤や黄いろの幡をもち
きみかげさうの空谷や
たゞれたやうに鳥のなく
いくつも緩い峠を越える(1924.5.23)

この詩集には、「小岩井農場」や「岩手山」、「早池峰山巓」、「河原坊」などかって歩いた場所の詩がある。その記憶をたどりながら、難解な詩の言葉を辿る楽しみ。一日の贅沢な時間だ。
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ヒメサユリ

2023年05月27日 | 日記
ヒメサユリを見に千歳山に登った。5合目あたりから下の登山道は、ところどころに咲き、蕾はすべて開いていた。これから、頂上付近で咲くであろうか。花を見るにはちょうどいいタイミングであった。昨夜のの雨粒が、花弁に残り、清楚な雰囲気をいっそう引き立てていた。飯豊連峰や朝日連峰などの高山で見られる貴重種だが、千歳山など身近な山地に自生するので、この時期楽しめる花だ。細い茎に、2、3輪咲かせる姿は、乙女のような雰囲気で、山を登る人たちの疲れを癒し、多くの人から愛される花である。

天台宗大阿闍梨 酒井雄哉の『一日一生』という本がある。約7年をかけて比叡の山道を歩く「千日回峰行」という荒行を生涯に2回満行した高僧の書いた本だ。自分の一日1時間と少しの山歩きなど、この荒行に比すべくもないが、その心は覗うことはできる。

「今日一日歩いた草鞋を脱ぐ。明日は新しい草鞋を履く。今日の自分はもう今日でおしまい。明日はまた再生される。だから「一日が一生」と考える。「一日」を中心にやっていくと、今日一日全力を尽くして明日を迎えようと思える。一日一善だっていい。一日、一日と思って生きることが大事なのと違うかな。」

あと残されて日々が少なくなっていく身には、身につまされる言葉だ。こんな言葉には、触れるだけでも価値がある。一日一日を大切に生きていこう。今さらながら考えさせられる。



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低山の魅力

2023年05月25日 | 登山
滴るような緑。湿った初夏の空気の匂い。絶間ないウグイスの囀り。木の間を通して、そそいでくる日光。開けた場所から垣間見える、麓の集落。そこで営なまれる人々の暮らし。山道を一歩進むごとに変わる風景。一緒に登る仲間たちの談笑の声。長く山に親しんで来て、体力を消耗して、平気で登っていた山に行けなくなったもの最後の砦。それが低山だ。家のまわりのウォーキングでは得られない、山歩きの楽しみが低山にはある。

秋田の湯沢市にある東鳥海山(777m)に登ってきた。標高からみて、ここは低山という名にピッタリの山だ。かつての林業でつかった林道歩きが長く感じられる。ジグザグなつづら折りを越えると、神社へ行く参道になっている。埋め込んだ石が苔むした階段、近郊の人々が拝礼のための道であったことが体感できる。ワラビ、フキ、コシアブラ、ウド。初夏の山菜を、夜の晩酌のために採取する人も多かった。緑したたるなかの山菜は、手に触れただけでその柔かさが伝わってくる。山菜採りだけを入山する人も多いのも頷ける。参加者9名。うち男性2名。

FBの趣味グループに「低山をのんびり愉しむ」というサイトがある。最近の低山ブームを反映してか、このサイトへの入会者が急増している。九州から関東まで、知らない低山の魅力が次々と発信される。登山の経験のない若者、家族、自分のような高齢者。その層は幅広い。だが、忘れてならないのは、低山が多くの人が入山しやすい一方、明確な登山道のない山も少なくなく、道迷いなどリスクがあることだ。山歩きの装備、JPS、山用の登山靴など注意して歩くことが必要だ。

低山では様々な動植物に出会うこともできる。それこそ、牧野博士の図鑑など、じっくりと時間をかけて、植物の生態を学び直すことも低山歩きの特徴である。歩きながら、知識を持った人から、花は、木の名。山菜の獲り方、調理方法など、年老いても学ぶことはいっぱいある。
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宮沢賢治が読んだ本

2023年05月23日 | 読書
宮沢賢治の詩や童話の背景は、賢治が住んだ岩手の山地の植物や花に彩られている。劇、「種山ケ原のの夜」は、山の樹々の霊が、人間と話す劇だ。人と植物が一緒に生きて会話を交わす。そんな夢のような話だ。草刈りをした人間が刈って置き忘れ、雨が降ってくるから濡れるぞ、濡れるぞと囃したてる。ナラ、カバ、カシワなど異なる樹種の樹霊がいる。

まっ青に朝日が溶けて
この山上の野原には
濃艶な紫いろの
アイリスの花がいちめん
靴はもう雨でぐしゃぐしゃ

そんな山地で雨の前に刈った草を置き忘れしまった農民。それを囃す樹霊たち。「種山ケ原の 雲の中で刈った草は どごさ置いだが 忘れた 雨ぁ
ふる 種山ケ原の霧の中で刈った草さ(足拍子)」と囃したてながら踊りだす。「雲に持ってがれて 無ぐなる 無ぐなる。」ここで、農夫も一緒に踊りだす。

賢治の座右の書は、牧野富太郎『日本植物図鑑』であった。朝ドラで牧野をモデルにした「らんまん」が放送されているが、植物を愛してやまない牧野の心が、この図鑑を通して賢治に伝わったのであろうか。イートハーボの樹々たちは、人間の言葉で語りかけてくる。

もう一冊、賢治に深い影響を与えた本がある。河口慧海『チベット旅行記』だ。明治時代、仏教の原点をもとめて、単身ヒマラヤを越え、鎖国のチベットへ渡った学僧の記録である。先日、本箱の整理をしたとき見つけた文庫本5冊である。賢治の『ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記』の舞台は、クラレという美しい花の咲く、チベットからネパールへ入る入り口である。そこは、化け物世界と人間世界との境界でもある。ネネムはこの秘境から、現実の世界へ投げ戻される。賢治の童話は、こんな本の影響を受けながらその世界を広げていった。

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