常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

ダリア

2015年09月30日 | 


秋の空に、ダリアの紫紅の花が似合った。別名の浦島草というのは、花の時期が長いからだ。ひまわりの咲く晩夏から、秋にかけて長く咲いている。花色も豊富で、種類も多い。小ぶりで丸い花を咲かせるポンポンダリアも可憐で、好きな花のひとつだ。道端の畑の隅に植えられていたが、明日からの荒天を前に、青空を独り占めにしたような誇らしげな表情だ。

豊満なダリアを起しゐたりけり 田中 鬼骨
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月とウサギ

2015年09月30日 | 読書


うさぎ うさぎ
なに見てはねる
十五夜お月さま
見てはねる

文部省唱歌に「うさぎ」というのがある。誰でも一度は歌ったことの童謡だ。ウサギと月にどんな関係があるのだろうか。月にはウサギがいて、餅つきをしているというのは、月のなかに見える影がウサギ餅つきをしているように見えるところからできた言い伝えである。

舒明天皇の時代、山伏の元祖、仙人ともいわれた役子角という人がいた。実在の人物なのだが、怨霊を鎮めたり、難病を治したりする特殊な能力を持っていたために、伝説的な言い伝えも多い人物である。例えば、生まれてすぐに字を書き、母に捨てられたが、乳も飲まずに育ち、犬や狼が馴れ従ったなどの話である。

役子角は仏道修行への思いが強く、修行時代には葛城山の頂上へ毎日のように登った。その先導をしたのが五色のウサギといわれている。ウサギには帝釈天も認めた聖性が備わっていた。伝説によると、あるところにウサギとキツネとサルが住んでいた。老人が病に罹り、死ぬばかりになって伏せていた。ウサギたちは相談して、山から木の実をとってきて老人に食べさせることにした。キツネとサルは色んな木の実を採ってきたが、ウサギは何も採れずに戻ってきた。

キツネとサルは約束を守らなかったウサギを責めた。ウサギは、もう一度山へ行って食べ物を採ってくるから火を焚いて待っていてくれ、と言って山へ入って行った。火を焚いてキツネとサルが待っていると、ウサギは戻ってきたが、食べ物は持っていない。どうしたか、と聞くと、うさぎは「私には、食べ物を採る力がありません。どうか私を食べてください」と言って、火の中に飛び込んで焼け死んだ。

老人は動物たちを試そうと思った帝釈天という神様であった。帝釈天はウサギの行いを憐み、月にその姿を残し、みんなの手本した。月にウサギ住むという伝説には、こんなウサギの美談がかくされている。私の撮った一五夜の月には、未熟でウサギの影は写せなかった。
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秋景色

2015年09月29日 | 日記


朝、千歳山に登る。頂上から見える山形市は秋の景色だ。遠くの田は刈り入れ前で黄金色のに輝いている。馬見ケ崎側の流れも清冽に見える。この河原で、山形の秋の風物詩芋煮会が開かれる。親しい友人や会社の同僚、趣味の会など顔ぶれはさまざまだが、河原に作った竈に大鍋をのせて里芋を煮る。燃料は薪、火のつきやすい小枝などから薪に火を移して、燃え盛る竈にする行為はいまはなくなってしまっているが、芋煮会は昔の火の扱いを思い起こさせてくれる。

里芋のほかネギ、きのこ、こんにゃくなども入れるが、忘れてならないは牛肉だ。秋風の吹かれて、熱々の芋を頬張ると、昔のことを思い出す。酒を飲み過ぎて、河原の石の上に寝てしまう人もたくさんいた。トイレは市で簡易トイレを設置してくれるが、人が多くていつも行列ができた。話が弾んで、時の経つのを忘れていると、いつか日は西にかげり、つるべ落としに暮れていく。戸外で、こんなレトロな鍋を囲んで交流できるのは、山形ならでは芋煮会である。



散歩の途中、庭に目のさめるようなツツジの紅葉があった。山も公園も、少し色づき始めたばかりなのに、驚くような赤い葉の色である。唐の詩人杜牧が詠んだ楓林の景色を思い浮かべる。

車をとどめてそぞろに愛す楓林の暮れ
霜葉は二月の花よりも紅なり

杜牧のように、深山に行かずとも、この季節に人家のなかでこんな紅葉が見られることを不思議に感じた。8月の10日ほどまで続いた高温が、台風をさかいに一転平年よりも低温が続いたための現象であろうか。
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ことば

2015年09月28日 | 日記


夕日を見ながら、ことばについて考えてみることがある。以前ネットに綴っていた私のブログは「ことばの海」というタイトルであった。このブログはパソコンを替えた時に消失してしまった。朝日新聞が始めた一面のコラム「折々のことば」に人気が集まっているらしい。寺山修司『ポケットに名言を』(角川文庫)の書き出しはこんな風になっている。

「言葉を友人に持ちたいと思うことがある。
 それは、旅路の途中でじぶんがたった一人だと言うことにきづいたときにである。たしかに
 言葉の肩をたたくことはできないし、言葉と握手することもできない。だが、言葉にも言い
 ようのない、旧友のなつかしさがあるものである。」

心にしみることばに出会っても、自分がなぜそのことばに親和性を感じるのか、人に説明することは容易ではない。

漢詩のことばに昭和の人間の心を打つものが多い。「国破れて山河あり、城春にして草木深し」
この詩も昭和の人の心を打った。敗戦という現実と向き合ったとき、この詩のことばが人の心を打ったのである。長安が戦乱によって破壊されつくされながら、春がきて山や川に草木が繁茂する。自然と人事の対照は、焼け野が原となった終戦の東京と変わりはなかった。千年以上も前の他国の街が、ことばの力によって重ね合わされる。

花に嵐のたとえもあるさ
さよならだけが人生だ

太宰治は井伏鱒二の詩を、酒を飲むごとの口走ったらしい。太宰はこの詩を口にしながら、自分の人生にさよならすることを考えていた。

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十五夜

2015年09月27日 | 日記


山の端に雲がかかり、月の出が少し遅くなった。それでも、雲の上に出た月をカメラに収めることができた。月の撮り方をオリンパスフォトパスで確認する。Mモードでf値シャッター速度をきめたも、露出の補正がその通りにならない。しかし、ようやく撮った月の写真だ。もっと鮮明にとるには、やはりそれ用のレンズが必要なのだろうか。



雲に少し隠れている写真もゲット。こんな月の光景も、秋の夜の風情がある。もしも、このような月の夜に山道を歩いていることを想像してみた。暗がりに足をとられて危険きわまりないが、こんな月を見ると、どれほど感動があるであろうか。

幽冥の境の尾根を月照らす 福田 蓼汀
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