山には100人の登山愛好家がいれば、100通りの楽しみ方がある。しかし、快晴の空の下、冷風に吹かれながら、高度によって時々刻々と変る、その景観を見る楽しみにまさるものないのではないか。8月27日の早朝、大鳥小屋から、建設中の以東小屋が輝いて見えた。深い山に入れば、小屋の存在そのものが、安心感を与えてくれる。天候の急変などのとき、山中にいる登山者にとって小屋が生命の拠りどころであるからだ。小屋の右手の尾根には、今日下山する登山道が見えている。早朝、準備運動をしながら見たこの景色が、今日の登山の成功を約束している。
早朝、大鳥池のたたずまいはあくまでも静寂である。昨日までの大雨はまるでなかったかのように、湖面はさながら鏡を思わせる。岸辺にイワナの稚魚群れているほかは、生命の存在さえも感じさせない。思えばこの池畔に来てから50年の以上の歳月が流れている。青春のころの目と、老境にある今の目とに、これほどの違いがあるのかと、いまさらのように感じさせられる。もうこれが見納めかも知れないという思いが、この景色を脳の奥深くに仕舞い込もうとするのであろうか。湖面を見ながら、時間が経つのを忘れる。
今回の以東岳は、泡滝登山口から大鳥小屋で一泊、翌日オツボ峰コースから山頂に至り、昼食の後、以東小屋から東沢に下って大鳥小屋で2泊目してから、泡滝へ下る総延長28キロのコースである。快晴の28日の前は、27日の朝方まで、鶴岡市を掠めるように大雨の雲がかかり続けた。泡滝から大鳥小屋に至るコースは、深い谷を流れる大鳥川に沿って作られた登山道だ。絶壁を流れ落ちる滝は、幾本かかっているのか、数えきれない。大雨によって沢から溢れる水は、土石を流し、所々をえぐりながら流木を集め、登山道を歩き難くしている。山道を保全している人たちの努力で、安全な道が辛うじて確保されていた。一行7名(内女性2名)は、この悪路を5時間あまりの時間をかけて(通常なら4時間)、やっとの思いで辿りついた。
つり橋を2つ渡り、つづら折りの道にさしかかると、先頭に立った私がバテバテ、荷物の一部をGさんに背負ってもらうありさまであった。今日の絶景を見るために、こんな悪戦苦闘があったことを記さねばならない。仲間の一人がいみじくも言った。「登山はスポーツ。日々の鍛錬こそ大事。」自分なりの、鍛錬はしているつもりであったが、その認識の甘さを思い知らされる山行であった。今回の山行で初めての試みは、山小屋での焼肉夕食である。夏休みが終わり、ほぼ貸し切り状態の小屋で、持参した肉と野菜を焼き、ビールで乾杯するとあれほど疲労した身体がウソのように回復していった。
タカネマツムシソウ。秋の野草を代表する野草の、高山形の変種だ。尾根にで、ハイマツの出るあたりの登山道わきに、マツムシソウとリンドウの群落があった。里山のマツムシソウは、一本見つけて大喜びをするが、高山でこれほど多いマツムシソウの出会うのは初めてである。仲間に頼んで撮影の時間を貰う。カメラの調子がおかしい。辛うじて収めた一本は寂しい。しかしこれはカメラのせいである。その後、カメラはついにシャッターが切れない状態になり、その後の撮影を断念する。帰宅してメーカーに修理相談を行った結果、宅配便の送付修理を行うことにした。
足もとのお花畑から目を以東岳の頂上に向けると、ハイマツや灌木を縫うように登山道が頂上へと続く。昨日の疲労がウソのように、足が軽い。見事は展望と、高山の花々に癒された結果であろう。私の場合、山の楽しみは、印象に残ったシーンを写真に撮り、帰宅して山行の楽しみを思い起こしながら、ブログに記録しておくことである。カメラがなければ、その楽しみは半減する。
今回、読図講習会を聞くことで、もうひとつの楽しみが増えた。決めたコースの地形を読み、距離を計り、事前に登山のシュミレーションをすることである。購入してきた地図を読むのに時間をかけたはずだが、実際に歩いて見て、地図の読み方が出来ていない部分も明白になる。
15㌔ほどの荷を背負って、1時間歩けば、どんな光景に会えるか。想像と検証が行えることは、山歩きの楽しみを深めてくれる。
建設中の以東小屋を過ぎると、登山道は大鳥池のヘリまで、ころげ落ちるような急坂である。転倒に気を付けながら下るが、疲労した足が石に躓いて転倒一度。大事に至らず、頂上から2時間ほどで池のヘリにつく。広い池を回るように小屋に向かう道のりが長い。小一時間ほどで小屋につくと、体中の汗を拭いて着替え、出しっぱなしの水に冷やした缶ビールがほどよい飲み頃になっている。持参した食糧をほぼ完食、小屋で煮たラーメンの味も忘れられない。2日間の疲労を回復するために、早々と就寝したが、畳の上に毛布一枚、枕なしで睡眠が訪れるまで時間がかかる。
翌朝、時間があったので池から、1㌔ほどの山中にある三角池(みすま)に行く。荒れた道は、ここを訪れる人があまりいないことを物語っている。泥濘のある道を30分、突然のように三角がたの池が現れる。水面にハスのように浮草が見える。よく見ると、オゼコウホネである。葉の間から、茎を伸ばして黄色くかわいい花をつけている。この場所とてこれから訪れることはないであろう。悪路の道を歩いた甲斐があった。
帰路は、泡滝へ来た道をそのまま下る。昨日の晴天で、どの沢の水量も減っている。土砂の押し出された沢には、手が入り、歩きやすく均してくれている。大正15年の7月、この道を深田久弥が下っている。「大鳥池」までの一項に次のように書き記している。
「しばらく川ぶちが辿れてやれ嬉しやと思っていると、直ぐ行きつまって徒渉とくる。イワナ釣りは慣れて身軽だが、僕らは重い荷を背負っている。僕は乳あたりまで濡らしてしまった。背中のルックザックが水に浮いて、それと一緒に身体まで浮き上がりそうになる。今にも流されそうになってようやく踏みこたえたことも幾度かあった。」
深田久弥が大鳥池を出発するのは、朝の7時半である。泡滝に着くのが1時。いかに悪戦苦闘の下山だったかがわかる。泡滝を見下ろす岩の上に濡れた衣類を干しながら、弁当にありついている。それに比べれば、はるかに楽な下山であったが、来る時のハイテンションに比べれば、我が一行の疲労感も、隠しきれないものがあった。