筑波山の麓で生まれた詩人、横瀬夜雨は「雲のかからぬ山ぞなき」と詩に書いたが、麓では桜が満開となった3月29日、その頂上にこんなにも雪が積もるとは誰が想像したであろうか。筑波山は男体山(871m)と女体山(877m)の二つのピークを持った双耳峰である。最高峰は伊邪那美の神を祀り、この女神は雲を払い雨を止ませて、訪れる人にこの山や麓に広がる国々を見せる力を持つとされている。
しかし、わが会がここを訪れたとき、女神はその力を反対の方向、雪を降らせる方に力を用いた。そのために、麓では桜の美を堪能し、山頂では雪景色を心ゆくまで楽しませてくれた。
茨城県つくば市。山形からは東北中央道、磐越道、そして常磐道と高速に乗って300㌔ほどの距離にある。山行は一泊ののため、30日に阿武隈山地に途中下車、鎌倉岳(669m)で足馴らしをする。芽吹き前の静かな里山で、登山道も整備されて歩きやすい。スマートウォッチのトレーニング効果では3.6の数値を示す。階段や大きな石を越えるところもあり、4.3㌔の心地よい足馴らしであった。
宿は筑波山温泉ホテル。玄関前には手入れされた庭があり、折から桜が満開である。温泉に入って夕食。寛ぐころに、風雨が強くなる。部屋で全員そろってお天気祈願。朝になっても雨がつよく、御幸ヶ原登山道の歩行を断念、ケーブルで男体山を目指す。ケーブルには、我がチームのほか、家族連れひと家族のみ。ホテルでも泊り客は我々7名を含めて10数人であった。コロナ騒動と加えて昨日からの荒れ模様で人では極端に少ない。
御幸ヶ原コースを登れば、普通のペースで1時間30分である。ここをケーブルでわずか8分。一気に高度をかせぐ。ケーブルの入り口のあたりにマイクがあり、若い女性のガイドさんが乗った。マイクと録音での案内である。風は幾分弱まっているものの雪が降りしきっている。ケーブルを降りて、男体山の本殿まで、石畳の道も雪が積もっている。雪国の我々には、驚きもしないが、道にはわずかに足跡が一人分見えるだけである。
深田久弥は『日本百名山』の筑波山の項でこんな伝説を紹介している。御祖の神が方々の山の神を訪ねて廻ったとき、富士の神は物忌みを理由に断った。御祖は怒って、「今後お前のところは夏冬問わず雪や霜に閉じ込めてやるぞ」と言って去り、東の筑波山へ行った。そこの神は、歓迎して食事を出してもてなした。御祖の神は大いに喜び、「月日とともに幸あれ。この山は人々が集い登り、飲食も末永く捧げるであろう」と言って祝福した。以来、筑波山では歌垣の催しが行われ人々で賑わった。この伝説の通り、こんな雪の日であっても、この山の賑わいの様子は容易に想像できる。
男体山から女体山への尾根道は、平坦で山にも手入れされている。この道の脇にはカタクリの群落があるらしく、看板もたっている。それも雪に隠れて見えない。楽しみにしていた横瀬夜雨の詩碑も、雪で判別ができなくなっていた。ゆっくり歩いて20分、女体山山頂に着く。ここで全員集合して記念撮影。掛け声は、「コロナに負けるな」「おお」であった。そこから少し下って、ロープウエイ。6分でつつじヶ丘に着く。ここから迎場コースの山道を筑波山神社を目指して歩く。
一歩づつ高度を下げると、山道の雪も次第に少なくなり、分岐の手前から雪のない道になる。ヒノキや杉の大木が林立している。道も斜面も手入れが行き届いて、気持ちのいい山中である。足元が滑ることもなく、転倒する人もなく、順調に下った。祀られたイザナミノミコトの加護を得て楽しい山行となった。悪天候に不平を漏らす人もいない。麓の温泉街には、かっての賑わいの跡がたくさん残っている。あちこちにホテルが立ち並び、幻の香具師の口上が聞こえてくるような気がした。
「さあてお立合い。手前ここに取り出だしたるは陣中膏ガマの油。関東は筑波山の麓の四六ガマだ。一枚が二枚、二枚が四枚・・・名調子の口上がうちつづく。