朝、畑に車で出かけたが、途中で雨になった。ボンネットに枯れ枝のようなものが付いていた。よく見ると若いカマキリである。青い部分と褐色の部分がとてもきれいで可愛い。4本の足を固定させてボンネットにしっかりと付いて、車がスピードを上げても離れようとしない。ときおり前足を上げたと思ったら、後足を使ってくるりと方向を180°変換した。次にまた前足をあげるので何をするつもりなのかと見ていると、その足を口の辺りにしりに持っていく。顔を洗っているような恰好である。あるいは顔に当たった雨を飲んでいるのかも知れない。
日中はまだ30℃を越える暑さだが、朝夕はめっきりと涼しくなった。日中になると蝉の声が時おり聞えてくるが、朝の草叢にはコウロギの鳴き声がしきりである。夏から秋への変わり目は、この虫の音で知らされる。蝉の声がしなくなるのは、気温と関係があるようだ。山の麓で蝉の声を聞いても、だんだん上に行くに従い蝉の声が途絶える。微妙な気温の変化を蝉が知っているのだろう。それほどに、昆虫の生命は自然の変化に敏感である。
室生犀星の『全王朝物語』に「虫の章」の一編がある。大納言貞家の娘に一人娘の姫がいた。この姫は無類の虫好きで、秋には飼っている虫の世話と、すだく虫の音に夢中で、姫を目当てに通ってくる貴公子たちにも眼中になかった。男の魂胆には無頓着だが、こと虫となると話は違う。普通の女が見向きもしないコウロギに特別の関心を示す。人にはなかなか馴れないコウロギを、籠に入れて餌を与える。餌は日中に水から草叢に分け入って、採ってきたはこべの葉である。
歌詠みの惟時が姫のもとを訪れる。姫は贈られた歌への返歌も面倒なので無視を続けた。通って7番目の夜である、返歌を待っている惟時に直接に会って断ることにした。姫は、断りをいぶかる惟時に向かった言った。
「わらはは誰方にも、自然のうつくしさを身につけてほしいやうな気がいたします。織物や名声などよりも、もっとたやすく、自然のものならとらへることが出来るのでございますもの。何を苦しんで姫が名声や衣装に身をこがすわけがございませう。そんな方に一夜でもしみじみと虫の鳴く声を聞いていただきたいと思ひます。」
歌詠みの惟時は姫の自然を感じ取る感性に驚きを感じた。それに引き換え自分の自然への解釈の浅薄さに慄然としてしまう。姫にすすめられるままに、姫のもとの虫かごで心ゆくまで虫の音を聞いた。物語はその後、二人の恋路はどうなっていくのか語っていない。