山登りをしていて、立ち休みというのがある。長く歩いて、少し疲れたり、水分補給が必要なとき立ったまま足を止め、少しの間疲労回復を図る。この時、背負ったリュックを下すか、そのままというのが問題になる。ハイドレーションを持っていれば、立ったままでリュックを下す必要もなく歩きながらの水補給さえ可能だ。なかには、立ち休みの時でも、リュックを下し、道ばたにどっかりと座らなければ気が済まない人もいる。長い距離の休憩では、長時間の休憩はペースを崩すもとになるので要注意だ。
ヨーロッパ生活の経験がある堀田善衛のエッセイに「しゃがみ族・立ちん坊族」というのがある。新聞の「日本式ストライキ」いう見出しに驚いて、見に行った堀田が目撃したのは、広場に座り込んで抗議する労働者たちであった。普段立つことに馴れているスペインでは、この方式は珍しく、新しいやり方であったらしい。
「立ちっ放しのおしゃべり会は、レセプションであり、カクテルパーティーである。私などは三十分も立っていればうんざりしてくるが、彼らは一時間でも二時間でも平気である。」
そして、バーなどの飲み屋に椅子はなく、立ち飲みが平気、と書いている。そういえば、西洋の聖者の壁画が立像であり、東洋の仏教では仏が坐像であるとする山折哲雄の『坐の文化論』とい書物を面白く読んだことを思い出した。だが、日本でも立ったままで食べる立ち食い蕎麦や立ち飲み屋が次第に広がりを見せ、畳とちゃぶ台の生活様式は、次第に椅子とテーブルに変わりつつある。