常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

時の果実

2020年11月30日 | 日記
11月が終る。この年が終われば、70歳台という舞台の幕が降ろされる。この一年ほど、一日の時間を意識したことはないような気がする。果実が成熟するためには、花が咲いて受粉してから、200日という時間が必要である。根から吸い上げる水や養分に加えて、たっぷりと降りそそぐ日光を必要とする。人間に与えられた成熟の時間は、年単位で、果実の成熟と比べることはできないが、生きることは、果実の成熟と基本的には変わらない。コロナというパンデミックのなかで、朝の光を浴びながら花を愛で、鳥の声を聞き、風に吹かれる。そうして、私が得た果実は、平凡でいびつな姿の老いである。

見よ。太陽は11月のつめたきわかれにかがやく。 柳沢健
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ビーバームーン

2020年11月29日 | 日記
明日、今月2回目の満月。ビーバームーンと言う。アメリカでは、この季節にビーバーの毛皮を狙って罠を仕掛けるので、こんな名がついてた。ビーバーの毛皮は帽子に作られ、人気があった。これが乱獲の原因にもなった。因みに、12月の満月はコールドムーンと呼ぶ。俳句の季語では寒月である。夜空を見上げると、一日前であるが、きれいな月であった。。昼には、透き通る青空と冠雪した瀧山が美しく見えた。今年3度目の冠雪である。いよいよ、11月も終わりを迎え、師走がやってくる。

我が影が生きて息吐く冬の月 米沢吾亦紅

冬が近づくと、生活にも変化が。戸外でのウォーキングは、階段登りに。寒くなっても、しっかり筋トレウォーキングは継続する。そのコツは、能勢先生の教えがある。一に記録、二にライバル、三に見せ場。見せ場には、仲間と行く登山などいいチャンスだ。

散歩の途中で、古書店を覗くのも楽しい。百円均一コーナーで買った3冊。能勢博『「筋トレ」ウォーキング』、瀬戸内寂聴『老いを照らす』、若宮正子『老いてこそデジタルを』。老いてからの時間をいかに生きるか、ヒントがありそうな本が300円で入手できた。若宮さんの本から、メロウ倶楽部の存在を教えられた。ネット上の「老人クラブ」だ。全国で500人ほどの会員が、ネットを使って交流している。新しい試みを、いろいろと探してみたい。
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立ち休み

2020年11月28日 | 日記
山登りをしていて、立ち休みというのがある。長く歩いて、少し疲れたり、水分補給が必要なとき立ったまま足を止め、少しの間疲労回復を図る。この時、背負ったリュックを下すか、そのままというのが問題になる。ハイドレーションを持っていれば、立ったままでリュックを下す必要もなく歩きながらの水補給さえ可能だ。なかには、立ち休みの時でも、リュックを下し、道ばたにどっかりと座らなければ気が済まない人もいる。長い距離の休憩では、長時間の休憩はペースを崩すもとになるので要注意だ。

ヨーロッパ生活の経験がある堀田善衛のエッセイに「しゃがみ族・立ちん坊族」というのがある。新聞の「日本式ストライキ」いう見出しに驚いて、見に行った堀田が目撃したのは、広場に座り込んで抗議する労働者たちであった。普段立つことに馴れているスペインでは、この方式は珍しく、新しいやり方であったらしい。

「立ちっ放しのおしゃべり会は、レセプションであり、カクテルパーティーである。私などは三十分も立っていればうんざりしてくるが、彼らは一時間でも二時間でも平気である。」

そして、バーなどの飲み屋に椅子はなく、立ち飲みが平気、と書いている。そういえば、西洋の聖者の壁画が立像であり、東洋の仏教では仏が坐像であるとする山折哲雄の『坐の文化論』とい書物を面白く読んだことを思い出した。だが、日本でも立ったままで食べる立ち食い蕎麦や立ち飲み屋が次第に広がりを見せ、畳とちゃぶ台の生活様式は、次第に椅子とテーブルに変わりつつある。

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インフルエンザ

2020年11月27日 | 日記
この季節になるとインフルエンザの流行が始まって、学校では学級閉鎖などが行われる。今年は、新型コロナの感染のニュースが聞こえるばかりでインフルエンザの流行はないようだ。今まで打った事のない予防注射まで打ったが肩透かしのような気がしないでもない。手洗いやマスクの励行などコロナへの対策が結果としてインフルエンザの流行を抑えているのであろうか。大正7年のスペイン風邪は150万人に感染し、15万人の人が亡くなっている。今日のコロナの感染者数の数十倍の規模の感染症であった。その病は、武者小路実篤や志賀直哉の小説にもなっている。

先日書いた食品「オート」だが、食べ残した煮物の汁や味噌汁などで粥にしても非常に美味しく食べられる。何よりも、手間がかからないことがうれしい。残り物の鍋に適宜に水を加え、味を整えるたところに、オートミール加えて4分間加熱するだけだ。これの溶き卵や融けるチーズを加えるもよし、海苔をちぎって入れれば風味が増す。丸元淑生によれば、玉ねぎやニンジンを刻んで炒め、特製のだし汁にオートミールを入れれば、濃いスープ、ミネストローネができると教えてくれている。オーツの小麦や小麦と同等のタンパク質に加え、ビタミンb群、鉄分の含有量もすぐれている。そして何よりも、オートには水溶性の植物繊維が豊富に含まれているのがすばらしい。これほどの栄養素を少ない手間で摂取できるのは、ほかの食品にはなく将に高齢者に適した食材である。この食品のほかに、今日よくかみしめたい言葉。

日常の瑣事にいのちあれ
生活のくまぐまに緻密なる光彩あれ
われらのすべてに溢れこぼるるものあれ
われらつねにみちよ(高村光太郎の詩より
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壺中の天地

2020年11月26日 | 日記
長引く感染症で人の心も暗くなっている。憂いを忘れるために飲むのは、菊酒である。忘憂のもの、陶淵明の詩に詠われている。ときには、夕食の前に菊の酢の物で、酒を酌み、コロナの憂いを忘れたくなる。漱石は酒はたしなまなかったが、菊の花を愛し、しばしば飲酒の世界の句も作っている。

黄菊白菊酒中の天地貧ならず 漱石

禅の言葉に「一壺の天」というのがある。後漢書の神仙譚に、壺の中を出入りする仙人を見た人が、頼んで壺の中を案内してもらった。そこには、天地が無限に広がり、花々が咲き、仙人たちが集まって楽しく歓談している。そこは別天地であった。漱石は壺中の天地を、酒中の天地に置き換えているが、日常を離れた別世界であり、そこは貧しいところではないとした。桃源郷も俗世界を離れた別天地である。竜宮城などはまた違い、憂いのない日常というべきか。人間の願望は、そうした些細な幸せを求めていたのであろうか。
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