寝苦しい熱帯夜が続く。日本では映画も芝居も落語も、暑さをいっとき忘れようと、幽霊の話がもちきりとなる。新聞の書籍広告にも、「奇談」「妖怪」などの大文字が目に飛び込んでくる。
江戸の幽霊話にこんなのがある。
一文商いをしている飴屋があった。この飴屋に、毎晩決まった時刻に一文をもった女が飴を買いにくる。六番目の晩に女が悲しそうな様子で飴を買って行ったので、不思議に思った飴屋の主人が、女の後をつけてみた。すると村はずれの寂しい墓地で女が消えた。飴屋の主人が不思議に思ってあたりをうかがっていると、ある墓の中から赤ん坊の泣き声が聞えてきた。さらに女の声で、棺のなかの六道銭で飴を買って赤ん坊を育ててきたが今夜で銭も尽きた、となげくのが聞える。
驚いた飴屋の主人は墓の主にこのことを知らせた。墓を掘ってなかをあらためたところ、女の死体のそばで、赤ん坊が生きていた。赤ん坊を連れ帰り、女をねんごろに弔った。
有名な子育て幽霊の話である。
お化け(妖怪)と幽霊の違いについて研究した学者がいる。「妖怪談義」なる論文を発表した柳田國男である。柳田はお化けと幽霊の違いを次のように定義した。
第一 お化けは出現する場所が決まっているのに対し幽霊はどこへでも現れれる
第二 お化けは相手をえらばずに、誰にでも現れるのに対し幽霊の現れる相手は決まっていた
第三 お化けの出現する時刻は宵と暁の薄明かりの時であるのに対し幽霊は丑満つどきといわれる夜中に出現した
つまりお化けは場所に現れ、幽霊は人に現れるということになる。
「怪談」を書いた小泉八雲は、妻の節子から昔話を聞くのが大好きであった。八雲は日本語が十分にはできなかったので、節子は貸し本屋から借りた本で、昔話を読んで聞かせた。その話のなかに「耳なし芳一」などの怪談の原型があった。節子はあらすじを最初に話し、メモをみながら話したが、八雲は本をみるいけません。ただあなたの話、あなたの言葉、あなたの考えでなければいけません」といいながら、節子に昔話を何度も何度もさせ、面白いものはメモにとり、夏の夜語りは続いた。