常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

蔵王の秋

2024年09月29日 | 登山
面白山の山行から3日。秋晴れを機会に、蔵王山の秋を訪ねた。坊平の仙人沢から中丸山を経由して蔵王熊野岳までの7.3㌔。標高差852m、実動5時間のタスクであった。面白山で少し足が馴れたのか、休み休み気の楽な山行だった。今回はルート企画者の好意で刈田駐車場に車をデポ、下りはほとんど車での移動となった。それにしても蔵王の秋は哀切きわまりない。害虫に侵されて枯れたアオモリトドマツの哀しい姿を見る一方で紅葉が始まっていた。熊野のガレ場のはわずかに咲き残ったコマクサ。立ち込めた霧が晴れていくなかの山行であった。熊野岳から見るお釜のコバルトブルーはかっての光景をそのまま残していた。自分の足でここまで来るのはもう最後か、という考えが頭をよぎる。しっかりととその景色を心眼に焼き付けておこうという気持ちが先行してカメラのシャッターを切る機会が激減している。

陸奥をふたわけざまに聳えたまふ
蔵王の山の雲のなかにたつ 斎藤茂吉

熊野山に頂上には茂吉の山上歌碑があった。家族連れやツーリズムの観光客、なかには外人の姿が目につく。軽く会釈をすると微笑んで挨拶を返してくれる。アメリカ人であろうか、彼らのふるまいも山中で地元の人たちと交流しようとすることを示している。外人客が日本の自然を楽しんでいる姿はみていて清々しい。頂上の気温は16℃、少し風がある。登ってきて汗をかいた肌に心地いい秋風だ。山道は雨と流水で削られて跡が生々しい。思わず能登で孤立している被災地の惨状が目に浮かぶ。秋の田は黄金色に輝き、収穫のこの1週間という気がする。
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面白山

2024年09月26日 | 登山
面白山に登ってきた。約2ヶ月半ぶりの山行だ。暑い夏は、グループの計画が高く大きな山に限られているので参加できない。ようやく秋らしい気温にになって近くの手ごろな山行ができる。面白山は山寺と仙台を隔てる奥羽山脈の一角にある。仙山線の面白山トンネルはこの山の中を通っている。このユニークな山名は面(つら)白山の意味で、白い山肌を持つ山を意味したらしい。
面白山の標高は1264m、この日のコースは長命水の分岐から三沢山を登り、ここから面白山へ登る。帰路はカモシカコースをとって長命水へ、ここから往路を出発地の天童高原キャンプ場へ。行程8㌔、高度差登り下りとも730m。所要時間6時間30分。コースタイムから1時間のオーバーとなった。

2ヶ月半のブランクは足を直撃する。下りの急坂が足の筋肉をパンパンにする。ブランク明けの山行にしてはやや難コースであったようだ。山中は濃霧で霧雨が降るような感じであった。タイムオーバーの原因は自分にある。気持ちに足がついていかない感じだ。それでも久しぶりの山の空気は心地いい。できる範囲でこれからも自然の中を歩く筋肉を保っていきたい。歩いた仲間たちに遅れながら考えたことがある。

高齢になってもまだまだできる疲れない歩き方。そのための筋肉づくり。大殿筋やヒラメ筋。歩くために必要な筋肉を毎日の生活のなかで維持し、鍛えていく。山行が終わって得た達成感がこんな考えを起こしてくれた。

山に老い芒のごとく息しをり 森澄雄
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避難指示

2024年09月23日 | 日記
スマホの避難指示が何度も鳴る。自分の住んでいるところが危険なわけではないが、近くの山間部で土砂崩れや洪水の危険があるらしく地区の公民館などが避難場所になっている。自身警報ではないがスマホの着信音はびっくりするほど大きい。3時間ほどで指示は解除になったがその通知も同じ警報音だ。高齢者は夜になると避難できないので明るいうちに避難せよ、ということらしい。

一夜明けて外を見ると昨日の雨がまだ降り続いている。雨足は弱く、咲きそろったシオンの花を濡らしている。北の山から紅葉の便り。しばらく休んでいた山登りを再開する。しばらく山の斜面から遠ざかっていた足はどんn反応を見せてくれるか。面白山、蔵王山。紅葉にはやや早いか。来月の尾瀬は紅葉を見ることことが目的。あと何回、高山の紅葉や花を愛でることができるだろうか。

電報が廃止になるらしい。スマホを持っていればどんなに離れていても直接話せる時代だから当然のことと思える。こんな笑い話がある。友だちに、留守番を依頼するために電報を打った。「ヒルルスバンニコイ」。受けとった人は、「ヒルルス、バンニコイ」と読んで、夜になってからその家に行ったという。電報を使ったのはもう60年も前のことだ。電話もなく、訪ねていくときに電報を打った記憶がある。今では、詩吟の吟詠大会に電報が来る。なぜか、市会議員や県かい議員の先生が「大会のご盛会をお祝いします」という型どおりの文面だが、人が集まる場所へ電報を打って名前を売る、選挙運動の古典的な形だ。もう、こんな場面も過去のものになる。

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大谷の偉業

2024年09月20日 | 日記
雨が降る。秋だというのに梅雨の末期のような雨だ。庄内に線状降水帯が発生したようで洪水警報が出ている。なかなか穏やかな秋というわけにはいかない。テレビをつけるとドジャースの大谷選手が50-50達成のニュースが飛び込んできた。50本塁打、50盗塁という記録で長いメジャー球史のなかで誰も達成したことのない偉業だ。さらに加えて1本塁打1盗塁。いとも簡単にやってのけた。野球解説の誰かが言っていた。「最後の1本で苦しむ。50ー50の可能性は30%。」あと9試合、前人未到の記録はどこまで伸びるか。秋雨前線の憂鬱も、大谷の快挙で吹き飛んだ。彼にはもうひとつ投手という才能がある。手術のために今年は投手を封印している。投手の代わりに足で稼ぐ盗塁という技術を身につけた。もう野球界の天才というほかはない。大谷には寺山修司の名言が似合う。

どこでもいいから遠くへ行きたい。
遠くへ行けるのは天才だけだ。(「煙草」から)
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十五夜

2024年09月17日 | 日記
昨日、敬老の日。厚い雲が出ていつ雨になってもおかしくない天気であった。
敬老のお祝いにカステラをいただく。敬老会もあって席が用意されるが、こちらは出席しなくなって5年にもなる。一夜明けると雲ひとつない好天。十五の月が見られるか。夕刻になって空は雲が出てきた。山の端に少し青空が見えているので一瞬見られるかも知れない。ススキが出て、スーパーには早生のリンゴが並んでいる。ススキやリンゴを供えて月見をする習慣もなくなってしまった。

十五夜の手足ただしく眠らんと 西東三鬼

十五夜は芋正月ともいう。その日初めて収穫した芋や栗を供えて月に感謝の意を表した。旧暦の1月15日は小正月、この日も満月である。米を作るはるか前、人々は名月で一年が始まって、芋正月にその年の食糧を収穫して蓄える。そんな古い習慣こそお月見だ。

柳田国男の『遠野物語』に小正月の話が出てくる。
「小正月の夜、又は小正月ならずとも冬の満月の夜は、雪女が出でて遊ぶとも云ふ。童子をあまた引連れて来ると云へり。里の子ごもも冬は近辺の丘に行き、橇遊びをして面白さのあまり夜になることあり。十五日の夜に限り、雪女が出るから早く帰れと戒めらるゝは常のことなり。」こんな話のほか、月見占いの話がある。胡桃を12等分に割って炉の火にくべて一時に引き上げ、その焼け具合で満月の夜の月が晴れか曇りか、風かなどを知る行事もあった。今夜の月の出の時刻は午後5時23分、山の端の隙間は雲でふさがり月を見ることはできない。
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