未熟なカメラマン さてものひとりごと

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出雲大社に行ってきました! 島根県出雲市

2021-11-21 23:36:11 | 神社・仏閣
訪問日:令和3(2021)年11月1日(月)

天気が曇りのち晴れになっていたこの日、久しぶりに出雲大社にお参りしようと思い立ちました。山陽自動車道・笠岡ICから、尾道自動車道、松江自動車道、山陰道・出雲ICを経由し所要時間はちょうど3時間でした。
平日にもかかわらず広い第一駐車場はほぼ満車。車の登録№を見ると、熊本、奈良、神奈川など全国からの参拝者があることがわかります。
まず、駐車場から近い神楽殿に向かいます。順番としては、大鳥居から参道を歩いて本殿に向かうのが正式だと思うのですが、気づけばいつもこの逆のコースになっています。



大きな大きな案内板


旗の大きさ、縦9m×横13.6m(畳75畳分)掲揚塔の高さ47m。旗布の重さが49㎏もある日本一の日の丸

頭上を見上げると、日本一大きいという日の丸が風にたなびき、見ているだけで爽快です。
そして、神楽殿、日本最大級のしめ縄です。以前は、下から五円玉を房に投げ入れてうまくとまれば、運がいいと恒例のようにやっていましたが、近年、細い金網で覆われそのような粗野?なことはできないようになっています。
こちらでは、柏手を打つ音がやけに響きますが、これには理由があります。というのも、こちらでの正式なお参りの仕方は、「2礼、4拍手、1礼」となっており柏手が二つ多いのです。



日本最大級の神楽殿の注連縄


長さ13.6m、重さ5.2tと日本最大級


以前は、下からお金を投げ入れて挟まると縁起がいい、とやっていましたが、「神聖な注連縄にお賽銭を投げ入れるという行為は、神様に対して失礼にあたる」ということで、現在はできないようになっています。


神楽殿横の池「鏡の池」は神秘的


池のほとりのカエル、その表情が何とも言えない

境内に入ると、小学生の修学旅行の団体をいくつも目にしました。コロナが収まり、ここにきて一気に増えたのでしょう。「間に合ってよかった!」と思いました。一生に一度の思い出ができたのですから。
国宝の本殿の周囲をいつものように巡ります。分社がいくつもあり、欠かさずお参りしている、信心深い人の姿が目立ちます。
常に国宝の本殿を意識し、どの角度が「美しく撮れるか」を考えながら歩きました。
そして最後に、もう一つの出雲国造家・北島家の出雲教を訪ね、出雲大社を後にしました。



小学生の団体が目につきました。修学旅行でしょうか。間に合ってなによりです。



八足門(やつあしもん) 重要文化財


観祭楼(かんさいろう) 重要文化財


素鵞の社(そがのやしろ) 出雲大社の隠れたパワースポット


彰古館(しょうこかん)登録有形文化財 1914年に出雲大社の宝物館として造営


因幡の素兎(いなばのしろうさぎ)がモチーフ 出雲大社境内では現在46羽のウサギたちがいます


国宝の本殿 大社造りと呼ばれる日本最古の神社建築様式


おみくじは当たる確率が高いといわれています ただし一般の神社のように「大吉」や「凶」のような概念はありません

(北島国造家)
出雲大社の祭祀を司っていた出雲氏は、千家氏と北島氏の両家で携わっていましたが、明治時代に千家家が任命され、北島家は現在は出雲教として、その教義の普及活動をされています。神殿では結婚式や祈祷なども行っています。
出雲大社とは対照的に、こちらは人も少なくゆっくり参拝もでき、境内を散歩することができます。



亀の尾の滝 静寂の中に清らかな滝が流れていました


心字池のカメの甲羅干し

(出雲大社に戻りました)

拝殿 1959年に総ヒノキ造りで再建


ムスビの御神像 神話の一場面を再現 


参道の松にキノコが生えていました これぞマツタケ??


こちらにもウサギ


松の参道 この松は寛永年間(1630年頃)に奉納されたものです


長い起伏のある石畳の参道は、下り参道といわれとてもめずらしいとか


お馴染みの大鳥居

あとはお楽しみの、出雲そばです。ネットで検索すると、多くの名店がいろいろありますが、結局今回も行きつけの「荒木屋」にしました。ちょうどお昼過ぎ、平日だというのに、お店の前には順番を待つ多くの人の姿がありました。しかし回転率がいいのか15分ほどで、名前を呼ばれ中に入ることに。
ごく細麺のしっかりしたコシ、揚げたての天ぷらは塩でいただきます。申し分のない味です。
一口に出雲そばと言っても、太さや色、硬さはいろいろですが、やはり一番重要なのはゆで立てということではないでしょうか?


「荒木屋」店の外で順番を待つ人


縁結び天セット1380円 そば二段に、なめこおろし、うずら入り。ぜんざい ご縁袋 おみくじ付き。


街で見かけた竹の花入れに旬の花

いつもなら、このあと、日御碕神社を訪ねるのですが、日も短いこの頃、すぐに家路につきました。
次回は、「山乗渓谷と不動滝の紅葉」を予定しています。
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写真日記 勝山・久世を訪ねて NO.5 版画の寺「毎来寺」岡山県真庭市目木1001

2020-10-26 08:58:18 | 神社・仏閣
訪問日:令和2年9月5日

山門 毎来寺は曹洞宗のお寺

旧遷喬尋常小学校を訪ねたあと、次に向かったのが本日最後の目的地・毎来寺です。勝山・久世の観光情報をネットで探していたところ、おもしろそうなので訪ねてみることにしました。
ナビにしたがって進みましたが、目的地のすぐそばまで来て、ナビが鋭角的なわき道に入るよう指示、後続車もあり、とてもあせりました。(但し、別ルートあり)
このお寺は、以前は廃寺となっていましたが、今から44年前の昭和51年、現在の住職が入山し復興させました。宗派は禅宗の曹洞宗です。
山門を潜ると、それほど広くない境内があり、その向こうに本堂の入り口があります。
事前の情報では、「できるだけ予約をしてお越しください」とありましたが、時間の予定が立たないので、予約はしていませんでした。



向こうに見えるのが本殿


玄関口から見る室内 


どの部屋の襖も版画であふれています


仏間もご覧のとおり




照明も和のテイスト


衝立の見事な作品

玄関の戸を開けて声をかけましたが、反応は無く、奥で話し声が聞こえます。お取り込み中のようなので、失礼して上らせてもらいました。
玄関先から室内を見渡しても、襖や障子に版画作品があふれ、特異な感じがします。
さらに奥に進むと、4~5人の来客と住職らしき人の姿がありました。
この場所は、いわばギャラリーショップ。多くの作品が展示販売されていました。
住職が、「あれ!人数が一人増えた?」
「すみません!勝手に上らせてもらいました。見せてもらってもいいですか」と尋ねると「はい、どうぞ!」と、気さくな返事。
撮影も了解いただきました。
他の皆さんは、大阪方面から来られたようでした。私も尋ねられたので、「井原市」というと「あー、そうですか」といいながら、
「先日の朝日新聞のエリア版をご覧になりましたか?」といきなり聞かれたので
「いえ、我が家は山陽新聞なので見ていません」というと、
「あれだけの記事で取材が3~4時間もかかり、くたびれました」と嬉しそうに話してくれました。
作品を見ているうちに、私も欲しくなり、版画作品を一枚買わせていただきました。
作品の良し悪しは私にはわかりませんが、題材は多岐にわたっています。概ね庶民的なものが多く、ユーモアもあって親しみが持てますが、これも住職の人柄を表しているのでしょう。
「やはり、棟方志功は意識されますか?」と尋ねると、もちろんそれはあるとのこと。
「住職は、裏彩色はされないんですか?」と尋ねたら、「やっていますよ、仏間の天井をみてください!」と住職。
確認すると、格子天井には、いくつもの裏彩色の作品が並び、とても華やかに感じました。
私には、版画の知識はほとんどありませんが、先日の美術関係のテレビ番組で、棟方志功の作品を取り上げていたので、思い出したのです。
お歳は来年の3月で80歳(傘寿・さんじゅ)。ますますお元気な住職のお姿に、若い?私も頑張らねばと思いました。。



珍しい多色刷り作品 近年の作


ギャラリーショップ


私も衝動買いさせていただきました。将来、価値がでるかも。


大作、これはすごい!


格子天井を彩る裏彩色の版画




私のお気に入りは、真ん中あたりの作品「メキシコから来たガラス瓶 よくきたね」ほのぼのとしていますね。




説明をする岩垣正道住職

岩垣正道住職略歴
昭和16年 3月 鳥取県気高町勝見、曹洞宗長泉寺に生る
昭和43年 3月 駒澤大学仏教学部卒業
昭和51年 11月 曹洞宗毎来寺28世住職として入山
昭和52年 2月 「般若心経」を板に彫る(版画制作の始まり)
昭和59年 5月 毎来寺本堂襖の版画制作開始
平成元年 7月 外村倉敷民芸館長より宗方志功以来の感動との賛辞
平成2年 3月 NHKテレビ「日本列島ピックアップ」で全国放映
平成7年 5月 毎来寺本堂天井に60枚の版画を完成させる
平成18年 3月 NHKテレビ「ふるさと一番」に毎来寺が全国生放送される
平成20年 3月 テレビ東京「開運なんでも鑑定団」にスタジオ出演
この他、イギリス(計4回)、ニューヨーク(計3回)、日本各地で個展を開催

(毎来寺 ご紹介)
曹洞宗の寺院。廃寺だったこの寺の復興を考え、現住職の岩垣正道さんが入山したのが約30年前。写経にと始めた趣味の版画を寺院の襖に貼ったのがきっかけに、今では襖絵、掛軸など約300点あまりを展示。ニューヨークで個展も開催するなど、今では「版画寺」として全国的にも有名になっています。《真庭観光WEBより》

シリーズ
写真日記 勝山・久世を訪ねて NO.1 JR姫新線月田駅
写真日記 勝山・久世を訪ねて NO.2 三浦邸
写真日記 勝山・久世を訪ねて NO.3 勝山町並み保存地区
写真日記 勝山.・久世を訪ねて NO.4 旧遷喬尋常小学校
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倉敷市児島を巡る旅その1 厄除けの総本山として知られる由加山を訪ねて

2020-02-10 08:14:51 | 神社・仏閣
令和2年2月4日、久しぶりに岡山県倉敷市児島、由加山(ゆがさん)訪ねました。厄除けの総本山として広く知られていますが、こちらには、由加山蓮台寺と由加神社本宮とがあります。
お寺と神社ですが、お互いにその存在を認めていません。特にその傾向は、蓮台寺の方に顕著にみられます。
ホームページの「境内ご案内」を見ても、隣地なのにまったく記載されていないのです。
駐車場もそれぞれにあり、決して間違ってはいけません。
かといって、高い塀で仕切られているのではなく、道はまったくのオープンで自由に往来できるのです。
私が最初に訪ねたのは、蓮台寺でした。朝の9時頃でしたがすでに参拝者の姿がありました。左手の丘の上には、新本殿(令和4年完成予定)が建設されているようでした。
総本殿で最初のお参りです。正面には、どーんと、巨大な木造不動尊が睨みをきかせています。
朝の掃除をしていた係りの女性が「おはようございます」と声を掛けてくれました。
蓮台寺で参拝したあと、客殿に向かいましたが、拝観は後回しに、石段が続く権現堂に上がってみることにしました。
境内では、隣の由加神社本宮から、ご祈祷の案内のアナウンスが聞こえてきます。
権現堂・奥の院から、眼下の伽藍を見渡すと、改めてその広さに驚きます。



【蓮台寺】駐車場から進むと最初に出迎えてくれるのが観音様


【蓮台寺】総本殿(南側より)


【蓮台寺】総本殿(東側より)祈祷は2階で行われています


【蓮台寺】山門(右手前)と向こう側の大きな建物が客殿


【蓮台寺】権現堂方面を見る


【蓮台寺】権現堂・大師堂に続く坂道


【蓮台寺】広い境内です


【蓮台寺】神社方面 鳥居の向こう側が神社境内

由加神社本宮との境に、次のような立て看板が立っています。
「瑜伽大権現蓮台寺ご参拝の方へ 平成九年三月三日、突然活動をはじめた由加神社は、由加大権現と文字を変えて権現さまの名称を使用していますが、この由加神社と千三百年の歴史を持つ別格本山瑜伽大権現蓮台寺とは一切関係ありません ご祈祷・お札・お守りを、お受けの際は間違いのないようにご注意下さい 山王」

元は神仏混淆の施設でしたが、明治の神仏分離の法難にあい、前述の神社の場所だけを由加神社とし、分離。後に各地に分社が建立されたため、由加神社を由加神社本宮と称するようになりました。
第二次世界大戦後の国家神道解体に伴い、宗教法人としては形式的に分離したままで神職も配置していましたが、事実上蓮台寺により一体的に運営され、僧侶が本殿で祈祷を行うなど明治以前の形態に復していました。
1998年3月、由加神社が独自の宗教法人活動を開始して以降、参拝時に互いの駐車場を共用することを禁止しており、両寺社の関連はないことを主張する看板が立てられるなど、両者の関係は完全に断絶しています。
ただし、参拝客は依然として両寺社を総称して「由加山」と称しています。
(参考:wikipedia)


それでは、蓮台寺とはどのようなお寺なのでしょう。以下の通り要約してみました。
由加山蓮台寺とは

真言宗御室派の寺院
1300年前に行基菩薩が阿弥陀如来と薬師如来を瑜伽大権現として祀ったのが始まり
本尊に十一面観音を祀る(伝行基菩薩作)
厄除けの寺として備前藩主池田候の祈願寺として信仰を受ける
木造大建築の客殿は、池田候の宿泊・休憩用の建物として寛政年間(1700年ごろ)に完成
県指定の重要文化財、丸山応挙の絶筆「竹鶏の図」や、上々段を設けた御成の間がある
伽藍には、権現堂、観音堂、大師堂、多宝塔など文化財が残されている
御祈祷は総本殿の二階「御本殿」で行われる
「求め有らば必ず応ずる瑜伽の権現さま」として全国に知られる
後利益は、厄除け、交通安全、病気平癒、家内安全など
日本最大級の不動明王が安置
蓮台寺名物は精進料理
瑜伽大権現と金毘羅大権現の両方を参拝する「両まいり」という慣習が生まれ賑わう
全国各地から、年間40万人以上の参拝者が訪れる


次に由加神社本宮についても、まとめてみました。
由加神社本宮とは

由加神社本宮は、全国に52の分社を持つ
日本三大権現の一つ
厄除けの総本山として知られる
由加神社本宮は二千有余年の歴史を持つ神仏混淆のお山
その昔、岩座信仰と唱え近郊の人々の守護神として崇められる
733年に行基菩薩が十一面観音を祀り、併せて神仏混淆の霊山として崇拝される
桓武天皇の代以来、朝廷の祈願所として繁栄し、拝殿には菊花ご紋章を拝受
江戸時代中期には備前藩池田候の祈願所として、藩主自ら由加神社本宮を参拝
「ゆがさん・こんぴらさん両参り」の風習が広がる
由加の権現様・大神様は「有求必應」“求めが有れば必ず應じて下さる
日本一備前焼大鳥居(明治27年奉納)がシンボル
鳥居の両側に備前焼の子連れ獅子が鎮座(文政12年奉納)
学業・合格の神様(天神)として菅原道真公をお祀り
縁結びで知られる、素戔嗚尊様をお祀り
ご祭神の倉稲魂命様は、江戸時代より信仰あつく商売・事業繁栄の神様
海上安全・航海安全の神様として、大綿津見命様をお祀り タコが奉納される
消痛の槌という、足・腰・首の関節の痛みが取れる小槌がある
ご霊水は、本殿地下200mから湧出し、この水で金銭を洗い清めると不浄の塵垢が消える

なんでもご利益があり、商魂の逞しさを感じます。
境内の案内図に、蓮台寺と書かれた建物を見ることができますが、葬式・法事はこちらで、というものでした。

さて、蓮台寺から由加神社本宮に目を向けると、備前焼の鳥居が迎えてくれます。
それほど大きなものではありませんが、構造的によく立っているなと感心します。境内には、ご祈祷を受けに来た人でしょうか、申込書に記入している人の姿が何人もありました。
また昨日、行われた節分行事の舞台がまだ残されていました。



【由加神社本宮】備前焼の大鳥居は大きな目印


【由加神社本宮】備前焼の獅子


【由加神社本宮】神社境内 左の骨組みは昨日行われた節分祭のもの


【由加神社本宮】拝殿 御祈祷が行われていました


【由加神社本宮】拝殿から境内を見る


【由加神社本宮】天神 学問の神様 菅原道真公を祀る


【由加神社本宮】石製のカエル


【由加神社本宮】こちらはかわいいカエル

拝殿から、神官の祈祷する大きな声が聞こえてきます。
私が毎年訪ねる、岡山市の最上稲荷のご祈祷を思い出しました。
唐破風の拝殿は、立派な作り、本殿は県の指定重要文化財となっています。
折角なので、こちらでもお参りさせていただきました。



【蓮台寺】神社を挟んで丘の上にとても立派な多宝塔

由加神社本宮の敷地は、由加山全体から見ると、ほんの一部分に過ぎません。右手には立派な多宝塔が見えますが、こちらは当然、蓮台寺のものです。
裏手に廻ると、観音堂、大師堂がありました。
このあと、蓮台寺に戻り、客殿を拝観することにしました。どこで受付していただけるかわからなかったので、総本殿に戻って尋ねると、すぐに係りの方に電話していただきました。相変わらず、きめ細かいサービスです。



【蓮台寺】客殿拝観入り口


【蓮台寺】客殿の玄関(受付)


【蓮台寺】客殿の庭園 左が茶室、斜面に建てられた渡り廊下が印象的


【蓮台寺】内部はこのようになっています


【蓮台寺】飼い猫 見送ってくれました

客殿は、県指定の重要文化財、建物、襖、庭園は見所十分でした。円山応挙の絶筆といわれる襖絵やお成りの際に利用される上段の間のさらに上々段のある座敷は、初めてみました。
こうして、由加山をあとにすることになりましたが、私が両寺社を通じ感じたのは次のようなことでした。

今となっては、互いの批判は一切せず、お互いの存在を認めることにしたらどうでしょう
駐車場の使用は、今までどおりで問題ないでしょう
参拝者への過度な誘導及び、境内でのアナウンスはしないことにしたらどうでしょう
ご祈祷は、参拝者の判断に任せ、どこに重きを置いているか、両者の違いを明確にしたらどうでしょう
パンフレットは、共通の境内案内図を作成したらどうでしょう


倉敷市児島を巡る旅 次回その2は、旧野崎家旧宅とジーンズストリートを訪ねます
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四国霊場第三十一番札所 高知市五台山竹林寺を訪ねて 令和元年8月25日(日)

2019-09-05 21:31:26 | 神社・仏閣
室戸市の吉良川の町並みを訪ねたあと、本日最後の目的地、高知市の五台山竹林寺に向かいました。一般道を走ること68km、時間にして1時間30分を要し随分遠く感じました。
以前、牧野植物園を訪問したとき、駐車場付近で多くのお遍路さんを目にし、場所はわかっていましたが、今回どこから入っていいのかまったくわかりませんでした。
というのも、駐車場から見た建物がとてもきれいな板張りの外観に変わっていたため、気付かなかったのです。



牧野植物園入り口 竹林寺と隣り合わせです。


水鉢にスイレンが咲いていました。


どこかのホテルのようです。


まず、名勝に指定されている書院の日本庭園を見ようと思いました。座敷から眺める日本庭園はとても美しいものでした。作庭は、京都嵐山天龍寺の庭園を作庭した夢窓礎石(国師)ときいてびっくり。資料によりますと、礎石はこの地で2年間修行したそうです。
山裾の斜面をうまく利用して、大小の石を配置した庭園。他に観覧者はなく、床几に座ってとても贅沢な気分に浸っていましたが、突然、背後からどかどかと足音がして一つの集団が入ってきました。
何と、結婚前撮りの一団でした。和装スタイルのカップル、家族、撮影スタッフのようでした。「どうぞ!見てあげてください!美男美女のお二人です」とスタッフのひとり。
ほぼ鑑賞したあとだったので、どうということはありませんでしたが、鑑賞中に来られたらちょっと困るところでした。



書院前の小さな苔庭 状態から最近造り直されたものでしょうか。


書院の玄関を入ると左手にご覧のような景色が飛び込んできます。


座敷から見る名勝庭園


池や井戸もありました。


若い女性のお遍路さん

このあと、宝物館の重要文化財に指定されている17体の仏像を拝見したあと、本堂方面に向かいました。
このときお遍路姿の若い女性二人に遭遇しました。とても軽快に歩き、あっという間にすれ違いましたが、なんてかっこいいのだろう!と思いました。
山門は、国の重要文化財に指定されています。重厚で大きく立派、歴史を感じさせる風格のある建物です。山門の向こうに古い石段が続いているのが見え、どこか京都にいるような錯覚を覚えます。お寺をあとにするところでしょうか。一人のお遍路さんが深々と頭を垂れていたのが印象的でした。道の両側にはカエデが茂り、紅葉の頃は美しいだろうなと感じました。
山門を抜け、さらに進むと、正面に立派な五重塔が見えてきました。この塔があるのと無いのとでは境内の趣が随分変わってきます。現在の五重塔は、昭和55年に再建されたものだそうですが、朱色が映えて、とても美しく感じました。
そして、最後に本堂にお参りです。文殊菩薩を本尊に祀ることから文殊堂とも呼ばれ、日本三文殊のひとつとか。(諸説あるようです)ちょうど右手に軽トラが1台停まっており、撮影的にはとても残念でした。
この竹林寺、境内のどこを見ても、とてもきれいに整備され清掃も行き届いています。お陰で、とても清々しい時間を過ごすことができました。千年以上の歴史がありながら、新しいものを躊躇せず受け入れ、現代人をも意識した寺院の経営の在り方をどこか感じることができたような気がしました。



奥に虚空蔵菩薩堂


美しい山門


カエデに覆われています。


苔で覆われた境内


五重塔が絵になりますね。


本堂(文殊堂)右端に軽トラが停まっていました。


この階段、近年作られたものでしょうか。


内側から見上げたところです。


五重塔の別カットです。


秋の紅葉は美しいでしょうね。
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しまなみ海道大三島 大山祇神社を訪ねて 平成31年2月17日(日)

2019-02-18 23:17:20 | 神社・仏閣
この季節、旬のフルーツといえば、やはりかんきつ類ですよね。ということで久しぶりに愛媛県大三島を訪ねてみることにしました。
天気予報では、曇り時々晴れとなっていましたが、予報どおり一部青空が見えるものの全般に曇り空。太陽が雲に隠れている間は、寒々しくまさに冬模様、おまけに時おり小雨が降ってくる状況に、もう帰ろうかと思いましたが、ここまで来て、そうはいきません。

しまなみ海道は世界的にも有名なサイクリングロードですが、自転車を漕ぐ人たちもなんだか寒々しい様子でした。この天気では、テンションも下がることでしょう。
最初の目的地は、多々羅しまなみ公園です。公園内のふれあい市場には、いろんな種類の旬のかんきつ類が並びます。今日のお目当ては、「甘平(かんぺい)」でした。なんとか購入できて、今日の目的はとりあえず果たせました。



道の駅 多々羅しまなみ公園


多々羅しまなみ公園から見る多々羅大橋


しあわせの鐘

天気ですが、信じられないことにあっという間に回復。目の前の多々羅大橋をいろんな角度からじっくり撮影することができました。
次に向かったのが、大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)です。所要時間は約15分。
神社周辺には、無料の駐車場がいくつもあり、駐車に困ることはありません。

観光バスから降りた団体さんが、ガイドさんを先頭に次々とやってきます。真新しい総門を潜ると広い境内、正面奥に見えるのが、巨大な楠(クスノキ)です。案内板によりますと樹齢は2600年とあります。逆算すると植えられたのは、弥生時代の後期、紀元前581年、時は桓武天皇の第三皇子、第2代綏靖(すいぜい)天皇の頃となります。
この神社の創建が、飛鳥時代推古2年ですから、それより、1175年前に植えられたことになりますが、それを証明するすべはありません。巨大な幹廻り、中はかなりの空洞になっているようです。まさに神木です。2000年以上、悠久の時を超え、このクスノキは、いったいどれだけの時代の移り変わりをみてきたことでしょう。



真新しい総門を潜るとその先に広い境内があります。


樹齢2600年の大楠 幹回りの何ともすごいこと


こちらも真新しい神門 正面に拝殿が見えます。


拝殿を横から見るとこんな感じです。


美しい巫女さんの後ろ姿


石灯籠が並ぶ


すり減った石段

この神社、平安時代より、日本で唯一、「日本総鎮守」の称号を与えられました。数年前に立て替えられた神門を潜ると、桧皮葺で覆われた拝殿が見えてきます。拝礼していると、拝殿内に白衣に朱色の袴をまとった若い巫女さんの姿があり、とても美しいと思いました。
境内を一巡したのち、神社に別れを告げて昼食をとることにしました。

最初、お隣のせとうち茶屋大三島でと思いましたが、結局、参道入り口前にある、鯛めしのお店に決めました。注文したのは海鮮丼、しっかり味が利いていて、ひと手間かかっていると思いました。味は申し分ありません。



お食事処 喜船


しっかり味がついている海鮮丼


帰りに別方面から見る多々羅大橋

こうして、お腹を満たした後、帰りに尾道の国宝の寺「浄土寺」を訪ねることにしました。
本当に久しぶりの訪問でした。相当前の話になりますが、ソフトバンクのCMで白戸家「旅する父」編では、BGMに谷村新司さんの「いい日、旅立ち」を使用し、境内のハトを追いかけて走るお父さん(犬のカイ君)の姿が鮮明に思い出されます。
この日も、境内には多くのハトがいました。餌も売られているので、逃げることはありません。どこの神社仏閣でも、迷惑がられているハトですが、こちらではしっかり保護されているようでした。
616年、聖徳太子が創建したと伝わる浄土寺、国宝の本堂と多宝塔、重要文化財の山門、阿弥陀堂、庫裏、東門は独特の趣があります。
山門前で、遊歩道下に植えられた梅花の撮影をしていると、お寺から出てきた中年の男性に声をかけられました。「ここは神社か何か?」、「いえ、真言宗の由緒あるお寺ですよ!」と答えると、「あそう!手を叩いちゃいけなかったか?」と独り言。
どう見てもお寺だと思うのですが、何をどう勘違いしたのでしょう。

最後に、いつもの商店街に向かい、「尾道浪漫珈琲」で、おいしいコーヒーとブルーベリーワッフルで一息ついたあと、帰途に付きました。


浄土寺の山門


境内に舞うハト


石の地蔵さん


梅が満開でした。


正面に見えるのが尾道大橋
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