未熟なカメラマン さてものひとりごと

ようこそ、おいでくださいました。

生まれかわった重伝建選定・矢掛の町並みを歩く!!  岡山県矢掛町

2021-05-30 21:46:42 | 古い町並み
訪問日:令和3年4月19日

お隣の町、矢掛町の旧山陽道の町並みが重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)に選定され、合わせて、町並みの電柱・電線を地下に格納する工事も完了、さらに新しく道の駅(山陽道やかげ宿)もオープンしたというので、訪ねてみることにしました。

時刻は10時半ごろでしたが、国道486号線沿いにある道の駅の駐車場に車を入れると、すでに満車の状態でした。
道の駅の洗練されたデザインの建物、私たちが目にする道の駅の外観とは似ても似つきません。それもそのはず、こちらには特産品は一切販売されておらず、飲食店もありません。どこかファッションビルか美術館のようにも見えます。
黒を基調としたシックな佇まい、2階正面屋根は、唐破風を連想させる和のイメージ、そして一番高いところには“水見やぐら”らしき建物も見えます。

入り口を入ると、「いらっしゃいませ!」とまるでホテルのフロントにいるかのように声がかかり、施設の案内がありました。
「豪華ですね!」と声を掛けると「皆さん、そうおっしゃいます!」とのこと。この駅舎のデザインは、有名な建築家の監修によるものだそうです。

特産品のサンプルのみが陳列されていて、とてもこぎれいです。実際のお買い物は、町並みのお店でどうぞ、という趣向です。
2階に上がってみると、すぐ近くに江戸時代の町並みを俯瞰することができます。
ベンチやテーブルも設置され、来客者はゆっくり時間を過ごせるようでした。



駐車場から見る駅舎


道の駅 山陽道やかげ宿 黒を基調とした洗練されたフォルム。デザインは、岡山県出身の工業デザイナー・ 水戸岡鋭治 (みとおかえいじ)氏


エントランス なぜか手押しポンプがありました。まさか井戸があるわけでは?


1F 情報発信コーナー 特産品のサンプルがずらり


大型モニターでお店を紹介 豪華なパンフレットもたくさんありました


ゆったりとした空間 椅子も贅沢な造り


2階への階段


2階にはキッズコーナーと展望台


すぐ近くに町並みが見える。小田川も眼下に。

道の駅を見て納得した後、新しい町並みを散策することにしました。まずは、脇本陣の高草家前からスタートです。町並み、電柱が取り除かれたことで、道幅が広くゆったりとして視界が開け、通りの東西正面には、若葉で覆われた山々がとても近くに感じられました。
私が特に気に入ったのが、町並みの新しい外灯の下に架かる「山陽道やかげ宿」と書かれたタペストリーです。きりっとして雰囲気が随分変わって見えました。

脇本陣・高草家の横には、古い町家をリノベーションし新しくオープンした、「ビジターセンター問屋」があり、高草家、高草商店、問屋と連続した町並みを形成しています。



山陽新聞矢掛販売所前からスタート


大高草小路 人一人がやっと通れるほど。漆喰の壁が両側迫ってくるよう


国指定重要文化財 旧矢掛本陣高草家住宅 


高草商店は、酒・食料品や和風小物のお店


美しい町並み 下の画像と比較すると随分すっきりしている


これは以前の町並み 撮影日:平成19年3月24日

(矢掛ビジターセンター問屋)

問屋(といや)は、旧山陽道矢掛宿のメイン通りに建つ古民家を再生した観光案内施設です。江戸時代には「因幡屋」という屋号で、宿場から宿場へ公用の貨客を運ぶ馬や人足などの輸送手配を行っていました。その後、民家となっていましたが、観光案内施設に生まれ変わりました。
入ってすぐの場所は吹き抜けになっており、2階に上がれば太い梁が間近に見学できます。建物や矢掛の町についての歴史が分かる展示のほか、観光パンフレットも設置されています。奥に進むと、日本庭園がありました。「通りにわ」という昔ながらの町家のつくりなのだそうです。



矢掛ビジターセンター問屋 外観


観光案内所 中は吹き抜けになっており2階にあがることもできる


和室の向こうに中庭が見える


違い棚に、床、書院と落ち着く佇まい


2階から見たところ


虫籠窓(むしこまど)窓の形も特徴的


中庭、通り庭という 伝統的な地割 奥行きが長いまさに「うなぎの寝床」


問屋横の専教寺小路 専教寺は浄土真宗本願寺派寺院

こうして、道の駅、問屋と新しい施設を見学した後、引き続き町並みを散策することにしました。1点気になったのは、やはり道の駅近くに地元の農産物直売所をがあってもいいのかなと思いました。


シーズ藤原家付近から通りの西側を見る


妻入り五軒並び 矢掛の妻入り町家の典型


やっこさんのマンホール


店先に置かれていたクレマチス


重要文化財旧矢掛本陣石井家住宅付近


本陣石井家 重要文化財の本陣と脇本陣が共に現存するのは全国でも唯一


本陣、西側部分


やかげ郷土美術館 水見やぐらが印象的


本陣前から東方面を見たところ


中町ポケットパークは癒しの空間


やかげ町家交流館


散策を終え、道の駅駐車場に帰る

最後までご覧いただきありがとうございました。
次回は、愛媛県松山市を訪ねます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

かつて西国無双の港といわれた御手洗の町並みを歩く 広島県呉市豊町(大崎下島)

2021-05-20 08:03:51 | 古い町並み
前々回の紹介のページ 「遊女たちの悲しい物語があった」
前回の紹介ページ 「北前船で栄えた日本遺産・御手洗は遊女が支えた港町だった」


おいらん公園から俯瞰する御手洗の町並み

おいらん公園で、遊女の墓地を訪ねたあと、海沿いの駐車場に車を駐め、町並みを散策することにしました。この町並みを歩くのは実に12年ぶりのことです。
駐車場からすぐのところにある豊町観光協会(御手洗休憩所)は、以前テレビ番組で紹介されていました。ミカンジュース(大長みかん100%)も販売されていて、結構な人気とか?とりあえず観光パンフレットを入手しいざ出発です。

この御手洗を最初に訪ねたとき、おちょろ舟を製作中の宮本さんはまだ若かった記憶があります。この町並みは、平成6(1994)年7月に重要伝統的建造物群保存地区(以下、重伝建)に指定されました。
そして、平成30(2018)年5月、「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間~北前船寄港地・船主集落~」として日本遺産に追加認定されています。



日本遺産認定の記念碑

(旧柴屋住宅)

最初に訪ねたのが、呉市重要文化財にもなっている旧柴屋住宅です。入り口のガラス戸を開けると、ひな人形が飾られていました。あの日本地図作成で有名な伊能忠敬は大崎下島を測量したとき宿舎として利用しており、珍しい資料が紹介されていました。


常盤町通りの入り口付近にある旧柴屋住宅(左側の建物)


入り口には、御手洗町並み保存センターの文字も かつて庄屋や町年寄りを代々務めた高橋家(屋号・柴屋)の別宅


季節柄、雛段が飾られていた (訪問日:令和3年2月21日)


郵便局の向かいにある洋館 御手洗にはこのような洋館がいくつかある。郵便局の宅配の車が細い路地を出るとき何度もハンドルを切り返ししていた。狭い町並みの中にあるが故の苦労がある。

(若胡子屋跡)

次に向かったのが、お茶屋で有名な若胡屋趾(わかえびすやあと)です。江戸時代、もっとも賑わったころ50人もの遊女を抱えていたとか。
暖簾をくぐって建物の中に入ると、玄関口の左に広い空間があり、正面の向こうにはお庭が見えます。耐震工事でしょうか、不釣り合いな鉄骨が柱を支えていました。一段高い檀上の奥には、奥座敷があり、豪華な造りが目を引きます。
庭の土塀には、桜島の噴石が塗り込まれていて独特なつくり。2階に上がってみると屋根裏は大きな梁で支えられていました。



通りから見る若胡屋跡の外観


かつては賑わったであろう、前の通り


玄関、左側にある広間 若胡屋跡は江戸時代、広島藩から公認された四軒のお茶屋のうち唯一現存する建物。50人もの遊女を抱えていた。


建物内は、耐震補強の鉄骨が目立つ。明治期寺院に転用された際、柱や天井が取り払われた


庭の土塀には、桜島の噴石が塗り込まれている


別棟の奥座敷 天井や雨戸に屋久杉が使用されるなど豪華な造り


欄間も見事


主屋2階天井の見事な梁


入り口の暖簾が風に揺れる

(旧金子住宅)

次に向かったのが、目と鼻の先にある呉市重要文化財の旧金子家住宅です。玄関を入るとすぐに茶室がありました。三畳台目、躙口のほかに連子窓、下地窓を三方向に配した特徴的な造り、露地の立蹲とともに広島藩主のお成りを考えて上田宗箇流好みの設えとなっています。



若胡屋跡を出て振り返ってみる通りの景観


数寄屋風書院造の主屋の中央にある茶室 全国で唯一現存する江戸期の上田宗箇流の茶室といわれている


露地 右側に特徴的な立ち蹲踞が見える

(村尾昌文堂)


看板建築の村尾昌文堂 ケヤキで作られた戦前の看板「國定教科書取次販賣所」がある

(乙女座跡)


昭和12年、当時の御手洗町長が私財を投じて建てた劇場 近年空き家になっていたが平成14年に当時そのままに復元された


乙女座横の小路 向こうに御手洗港が見える

(越智医院)


大正時代に建てられた築100年の建物。長い間空き家になっていたが平成29年ゲストハウス(旅籠屋 醫 KUSUSHI)としてオープン

(脇屋住宅)


薩摩藩の船宿跡 一輪挿しが建物にマッチしている

(重伝建の町並み 常盤通り)


美しい町並み 御手洗を代表する景観


御手洗には江戸時代から昭和初期に建てられた伝統的な形式をとどめる民家が数多く残っており、平成6年に国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されている

(御手洗天満宮)


天満宮横の路地 落ち着いた佇まいを見せる


鮮やかな紅梅は見ごろ 境内は天神桜の名称で親しまれた桜の名所でもあった

(松浦時計店)


日本で最も古い時計店ともいわれる 現在の建物は大正8年に建て替えられたもの。NHK日本風土記でも紹介された。店名は昭和初期に「新光時計店」改称されている。店の顔は、100年以上時を刻んでいるアメリカ製の大きな古時計

(御手洗昭和館)


駄菓子屋玩具ミュージアム 御手洗昭和館 昭和30~40年代を中心としたレトロな駄菓子やお菓子、玩具、文房具、おもちゃなど5000点が展示されている

(御手洗七卿落遺跡)


町年寄や町割庄屋を務めた多田家の屋敷跡 蛤御門の変の敗北を聞き、討幕派公卿5名が長州へ落ち延びる途中、御手洗に立ち寄り、この竹原屋で二夜過ごしている

~そして海岸通りにでた~


道路の前に建つ存在感のある建物


青い空、青い海、土蔵の漆喰の白は見事なコントラスト


海に向かって立つ鳥居 記念写真の撮影スポット。鳥居の下に座って海を眺める後ろ姿の女性でもいれば実に絵になる。実は、恵美須神社の鳥居だが、参道が道路にとられてしまった。


警察署も町並みに配慮した和風の外観


玄関先に繋がれていた。近寄るとうれしそうに寄ってくる。ハンサム犬ではないがその表情に癒される


千砂子波止 1829年に完成した大防波堤。以来二度にわたって先端部が決壊したが修理されて現在に至っている。当時の技術水準の高さが伺える。
画像は、波止を散策する男女


船宿(三軒長屋)江戸時代の船宿は旅館というより仲買問屋 現在はカフェになっている。2階からの眺めは最高。新日本風土記にも登場した。手前は宮本さんのミニチュア舟の工房だが、午後には店じまいしていた。


高燈籠 住吉神社参道前の燈籠、当初は千砂子波止の突端にあり木製だったが、破損したため1832年に石造りに建て替えられた


海岸通りにある粋なレストラン


町を彩る一輪挿し 

最後までご覧いただきありがとうございました。
次回は、呉の観光スポットを予定しています。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

写真日記 勝山・久世を訪ねて NO.3 勝山・町並み保存地区 岡山県真庭市勝山

2020-10-10 23:15:37 | 古い町並み
訪問日 令和2年(2020)9月28日
「JR姫新線・月田駅」「三浦邸」を訪ねた後、次に向かったのが勝山・町並み保存地区です。
町並みの真ん中付近にある観光駐車場に車を停め散策をスタートしました。まず向かったのが一番の被写体となる、御前酒の辻本店です。漆喰の鏝絵が美しい蔵の窓の扉、蔵を改修してオープンしたレストランあたりが実に絵になります。



「御前酒」の蔵元、辻本店 文化元年(1804)創業の老舗の造り酒屋


杉玉(すぎたま、すぎだま)スギの葉(穂先)を集めてボール状にした造形物で酒林(さかばやし)とも呼ばれる 。日本酒の造り酒屋などの軒先に緑の杉玉を吊すことで、新酒が出来たことを知らせる役割を果たす 。


重厚な蔵の窓には見事な鏝絵(こてえ)の竜虎が描かれている


レストラン西蔵(にしくら)蔵元の経営で名の通り酒蔵を改造した店


辻本店前の町並み

次に、少し町並みを戻ったところにある、自動車屋さんも趣があります。まるで映画「3丁目の夕日」を彷彿させるような独特の雰囲気があり、さびた油の匂いが漂ってくるようです。
観光駐車場前の、土産物店は、残念ながら店を閉められたようです。
当日の町並みですが、観光客と思われる人はほとんどみかけませんでした。一昨年の勝山・おひな祭りの賑わいからは、想像もできませんが、ゆっくり散策し、町並みの情緒を味わうには申し分ありません。



三叉路 左に行けば神橋、国道313号


カーブした町並みはどこか趣きがある


昭和レトロな自動車修理工場・藤原モータース

どの家にも、個々のデザインが施された暖簾(のれん)が下がり、町全体にしっとりとした風情が感じられます。
ここで、一旦、町並みを離れ、川沿いの建物群を向こう岸から撮影することにしました。高瀬舟で賑わった往時の面影を、今も残る雁木(がんぎ)などからもわずかに感じることができます。
橋を渡りきり対岸の国道からの撮影でしたが、車が行き交うので少々危険でした。土蔵がところどころに建ち並び、いかにも勝山の町という風情が感じられます。勝山は、かつて勝山藩2万石の三浦の殿様が治めた城下町。武家屋敷などが今も残り、郷土館などもあって、歴史をたどってみるのも面白いかもしれませんね。



人通りの少ない静かな町並み


三浦坂

郷宿はかつて勝山藩指定の宿 現在は食事処になっている。左に行くと武家屋敷館


路地を川方面に進むと、中橋に至る


対岸から見る勝山の町並み


国道沿いにあった工務店 素晴らしい景観にパチリ


岡山市内を経て瀬戸内海に流れ出る旭川。勝山は高瀬舟の最北の発着地だった


中橋まで戻ってきた


橋の上からの景色が素晴らしい


美しい石積み護岸が郷愁を誘う


川岸まで下りてみた。「がんぎ」と呼ばれる船着き場のあとがある

対岸の撮影のあと町並みに戻り、再び歩いていると、一軒の骨董屋がありました。面白そうなものがありそうで、少しだけ覘いてみることにしました。ひとつだけ気になったのが、入り口付近においてあった釜です。陶器製の板も附いていましたが、帰ったあとで、あの釜はいくらしたのだろうと、気になってしょうがありませんでした。


美しい町並み、暖簾が品よく町並みを飾っている


観光駐車場付近まで帰ってきた

岡山県観光WEB 町並み紹介)
出雲街道の宿場町として栄えた勝山。今でも昔ながらの白壁の土蔵、格子窓の商家、古い町並みが残っており、岡山県で最初に「町並み保存地区」に指定されました。今では“のれん”が勝山のシンボルになっていて、町のあちこちで観光客の目を楽しませてくれます。また、室町時代に始まったとされる高瀬舟の発着場跡が、旭川沿い約700mに渡って残り、玉石積みと白壁の景観が往時の賑わいを偲ばせています

(関連記事)
写真日記 勝山・久世の旅 NO.1 JR姫新線・月田駅 
写真日記 勝山・久世の旅 NO.2 三浦邸

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

写真日記 日本遺産・ジャパンレッド発祥の地・吹屋を歩く 岡山県高梁市成羽町吹屋

2020-08-16 06:46:41 | 古い町並み
訪問日:令和2(2020)年8月5日
成羽町の夫婦岩とヒマワリ畑を訪ねたあと、もう少し足を延ばし、吹屋ふるさと村に寄って帰ることにしました。時刻は、真夏の正午頃、太陽はじりじりと照りつけ、まさに体は溶けそうでした。


(備中町で心に残る風景)

この道を通るたび、癒されるのが、成羽川のこの水辺の風景です。
下流に堰(黒島ダム)があるので、水量はいつも豊富です。風が無い早朝、対岸(成羽町)の緑が川面に映りこみます。奥津国道の水彩画のようです。(この日は少し風があり、川面が揺れ残念でした)



とてもきれいな水辺の風景


赤い橋も水面に映り込んでいます。

-吹屋に到着-

(広兼邸)

広い駐車場に、車は一台も停まっていませんでした。あいかわらず見事な石垣。まるで城郭を思わせるような豪壮な建物。文化7年(1810)の建築。銅山経営とベンガラの材料であるローハ製造で財をなした広兼邸。八つ墓村など、映画、TVのロケ地としても有名です。
坂道を上がると、ヤマハギが早くも赤い花をつけていました。



車は一台も停まっていませんでした。


記念写真にはピッタリ


沿道に赤い花を付けたヤマハギがありました。


坂道を進むと門があります。

(弁柄工場・陶芸館、ベンガラ館)

鉱山の副産物、ベンガラを利用した染物や、焼物を体験できる施設です。
ベンガラ館は、吹屋の町並みの特徴であるベンガラの明治期の製造工場を復元しています。
この日は定休日のようでした。




(吹屋銅山笹畝坑道・近代化産業遺産)

吹屋銅山は、大同2年(807)に発見されたと伝えられ、長い歴史の中で、繁栄期は、元禄年間(1690)泉屋(住友)35年、享保~天保年間(1716~1842)福岡屋(大塚)2回で107年、明治~昭和(1873~1930)三菱(岩崎)57年です。
なかでも三菱は自家発電所を設け、削岩機を使い日本で初めて様式溶鉱炉を造り日本三大鉱山の一つとなりました。
この鉱山は、笹畝と称し支山でしたが、後年は地下で本坑道(坂本)と連絡しました。
ロープ手前から、一枚撮らせてもらいました。



坑道入り口 この日は休館日のようでした。


出口、上から降りてきます。

(吹屋の町並み、国の重要伝統的建造物群保存地区)

この町並みの一番の魅力は、カーブをつけてなだらかに下る道。どことなく風情が感じられませんか。立派な構えの家々が約300mに渡って続いています。ベンガラ色で統一された町並みは一体感があってとても美しいと思います。
千枚駐車場に車を停めて散策開始です。



最初に迎えてくれるお店「べんがら屋」赤い傘が目印です。


下り坂の緩いカーブに趣きが感じられる。


郷土館前 明治初期の商家が郷土館として公開されています。


地酒、醤油のお店 のれんが美しい(逆方向から)


三叉路、左に行くと休憩所、吹屋小学校、ラ・フォーレ吹屋


ギャラリー吹屋、吹屋小学校修復状況の写真


休憩所は、私の行きつけの食事処 現在屋根の葺き替え中でした。


甍の波 石州瓦の赤い屋根が続く


夏の花、サルスベリ


人生の楽園でも紹介。スープカレーの店’つくし’この日は休業日のようでした。


とあるお宅の前にメダカの水槽


美しい町並み、先ほどのメダカは左のお宅の入り口の前に置かれていました。

吹屋の特異な点は、個々の屋敷が豪華さを纏うのではなく、旦那衆が相談の上で石州(今の島根県)から宮大工の棟梁たちを招いて、町全体が統一されたコンセプトの下に建てられたという当時としては驚くべき先進的な思想にあります。



ギャラリーみのや 


昭和のレトロ感が満載


髪の癒し処『彩紅』ベンガラ格子が美しい


町のはずれまで来ました


梅の天日干し


琺瑯看板が町によく似合う


町家ステイ吹屋 千枚(せんまい)一棟貸しの宿泊施設です。


石臼、その時代には大いに活躍したのでしょう。


町並みのエッセンス、花のプランター。マツバボタンでしょうか?


麻田百貨店も冷房中。静かな町並みです。

赤銅色の石州瓦とベンガラ色の外観で統一された、見事な町並みが整然と続く吹屋の町並み、この町並みこそ、江戸末期から明治にかけ、吹屋の長者達が後世に残した最大の文化遺産です。


猫がゆっくり道路を横断


重要文化財 旧片山家住宅 


千枚駐車場まで戻ってきました。こちらは食事処『いろり』


店内は、招き猫の置物がいっぱい。ご主人の趣味でしょうか


ざるそばをいただきました。

昭和49年には岡山県のふるさと村に認定され、昭和52年には文化庁から国の重要伝統的建造物群保存地区に、そして令和2年6月19日に「『ジャパンレッド』発祥の地~弁柄と銅の町・備中吹屋~」として日本遺産の認定を受けました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鞆の浦 ディープな午後の町並みを歩く! 広島県福山市鞆町

2020-07-23 23:22:47 | 古い町並み
令和2年7月13日(日)
福山市内に用事があって出かけましたが、時間に余裕ができたので、久しぶりに鞆の浦(鞆町)を訪ねてみようと思いました。(福山市中心部から車で約30分、日本遺産、重要伝統的建造物群保存地区選定)
時刻は、すでに午後3時過ぎ、おまけに曇天で被写体としては、期待もできませんでしたが、なにか、ディープな鞆の浦に出会えるかもと、ほんの少しだけ期待もありました。


(圓福寺付近)

仙酔島への市営渡船場横の駐車場はこの時間でも、ほとんど埋まっていました。まずは圓福寺方面に歩いてみることにしました。石段を登ると、正面に猫が1匹、寝そべっていて動く気配もありません。仕方ないので、脇を抜けると、今度は別の猫がやってきて、足にまとわりつき、体を寄せてすりすり。この辺りは鞆の浦一の猫に会える場所となっているようです。


千鳥食堂 レトロな雰囲気の漂う外観が「何とも素敵。昔この辺りは有磯(ありそ)地区と呼ばれた遊郭街。隣のわずかなスペースに建つ3階建ての木造の建物は100年前は遊郭だった。


汀邸 遠音近音(をちこち) 江戸時代創業の旅籠・「籠藤(かごとう)十返舎一九や井伏鱒二、シーボルトなど数多くの文人に愛されてきた旅籠」が、新しく生まれ変わった温泉旅館。


急な石段を上る


お昼寝中のネコちゃんに遭遇。


さらにもう一匹、この辺りは鞆の浦一猫に会えるところ


振り返ってみたところ


圓福寺 いろは丸事件の紀州藩の宿舎として利用されたり、かつて朝鮮通信使の上官の常宿となっていた。


鞆港が見える


路地は、どこか懐かしい

(波止場・茶房船番所)

円福寺の石段を下ったところで、道端にハイヒールが脱ぎ捨てられていました。何だろうと、その先を見ると、何でもないところでカメラマンがモデルの撮影を行っていました。
このあたりは、港のはずれの波止場に近いところ、漁船や定期船が目の前を行き交います。
ちょうど、左手の山道を少し登ったところに新しいカフェでしょうか。ガラス戸に人の気配がありました。寄ってみたい気もしましたがあまり時間に余裕がないので、あきらめ常夜灯方面に歩いてみることにしました。



茶房・船番所 右側の急な石段を上がると、古民家を利用したカフェがある。お店からの眺めは特に素晴らしいとか


もう少し回り込むと小さな神社がある


ここからの眺めもなかなかのもの。仙酔島が見える。


波止場から見る鞆港

(常夜灯付近

ここは鞆の浦のランドマーク、若い人が多く、雁木(がんぎ)に腰を下ろして港を見つめるカップルや、店先の外でテーブルを囲み雑談をする人の姿もありました。
このあと、重要文化財の旧太田家住宅の裏側に回り、外壁の腰板に使用されている船板を撮影した後、医王寺に向かいました。ちょっときつめの坂道、境内に人の姿はありません。



常夜灯付近の様子。波止場から望遠にて撮影


多くの観光客で賑わっているようです。


雁木は、潮の干満に関らず船着けできる石階段。満潮時には最上段が岸壁となり、干潮時には最下段が荷揚げ場となる。
近年大規模な改修が行われた。(色の白い部分)


右側の建物は、朝宗亭。藩主の滞在にも使われた町家で、太田家(旧保命酒屋)の格式ある別邸


路地、右の建物は民芸茶処「深津屋」腰板に使われている船板に情緒を感じる


太田家住宅前の通り 重伝建にふさわしいきれいな町並み


常夜灯前の広場。鞆の浦のランドマーク


港の風景


太田家住宅の裏側、腰板に船板が使われている


友光軒 1917年(大正6年)ごろに散髪屋兼銭湯として建てられた、鞆町で初の洋館。
ハヤシライスやオムライス、カフェの店として経営者は変わったが現在は営業していない。私も何度か利用させてもらった。

(医王寺、さらすわてい)


坂の途中にあった明圓寺は、浄土真宗大谷派の寺院


医王寺に到着。最後の石段。


ここは、鞆の浦一のビュースポット。晴れていないのが残念


常夜灯付近をアップで見る


鐘楼前は一番の特等席

鐘楼付近から、港を数枚撮影したあと、冷たいアイスコーヒーで喉を潤そうと坂道の途中にあるギャラリー喫茶「さらすわてい」に立ち寄ることにしました。
こちらは、2度目ですが、静かで落ち着いた雰囲気が気に入っています。古民家を再生した建物で、玄関を入ると入り口に蚊取り線香(お香兼用?)が炊かれていました。ここからの眺望は抜群で、港が眼下に見えます。

店では、ご主人が1人で店番のようです。中ほどの民家調のテーブルでアイスコーヒーをいただきましたが、お庭側はすだれがかかるだけの開けっ放し。エアコンは入っていませんが、時おりそのすだれが揺れ、涼しい自然の風が入ってきて何ともいい感じです。
どこからか、猫が一匹静かに入ってきたと思ったら「にゃーん」と一声鳴いてすぐに姿を消してしまいました。
人の声は一切入らず、静かな時が流れます。時間の制約がなければ、あと1時間でも好きな本を読んでゆっくりしたいところですが、そうもいきません。
あっという間に予定の時間がやってきたので、急ぎ、駐車場に向かいました。



医王寺を少し下ったところにある「さらすわてい」


玄関口を上から見たところ。左の窓から鞆港が見える


エアコンは効かしていなかったが、時折心地よい風が通り、すだれが揺れる


静かな空間を独り占め


すだれの外はこんな感じ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする