高屋教会
シリーズ:井原市の歴史ある名建築を訪ねて
日本キリスト教団高屋教会教会堂 (岡山県近代化遺産)
所在地:岡山県井原市高屋町1473
建築年:大正2(1913)年
構 造:木造平屋建て(一部2階建)
高屋町は、「ねんねこ しゃっしゃりませ 寝た子のかわいさ」で始まる「中国地方の子守唄」発祥の地であり、かつては紡績業で栄えた町です。広島県福山市神辺町と接しており、国道313号線の北側を走る旧山陽道を50mほど北に入ったところにある白い建物が高屋教会です。
日本におけるキリスト教は、20世紀初頭大挙伝道を各地に展開しつつありましたが、岡本清は明治34(1901)に、郷里の高屋に戻り、伝道に従事しました。これが高屋におけるキリスト教伝道の始まりです。明治35年「日曜倶楽部」創設の後、明治39年高屋教会が創立され、教会堂は大正2(1913)年に建設されました。
教会堂の外観は和洋折衷で、屋根はかね勾配(45度の傾斜がある)の切妻和型瓦葺きです。また玄関屋根はむくり(反り)が付けられています。上げ下げ式の窓となっており、妻側の窓には、ギリシャ、ローマ建築など古典主義建築で見られる三角ペディメントが用いられています。イギリス下見板張りの腰部及び窓、木部は建設当初のままと見られますが、全体的に改修及び補強工事が施されており、特に当初は漆喰塗だったと思われる外壁はサイディングに改修されています。屋根瓦は葺き替えられていますが、十字架が印された鬼瓦はそのまま使われています。
内観は正面祭壇部にはトスカナ式を模したプロセニアムアーチ(客席から見て舞台を額縁のように区切る構造物をいう)が見られます。また祭壇左右の窓にはステンドグラスが当初のまま残されています。天井は和風の竿縁天井となっており、内部は木部のペンキ補修が施されていますが、漆喰塗りの壁は表面の劣化が進んでおり、窓も一部開閉できない箇所も見られます。また祭壇に置かれた椅子やチャーチ・ピュー(信徒が座るベンチ)、オルガンも建設当初から置かれていたものであり、保存状態も良好です。
現在、高屋町におけるキリスト教信者は、上野家、岡田家など数軒だけとなり、寂しいと、教会堂を管理されている岡田さんのお話でした。
参考文献:岡山県教育委員会発行「岡山県の近代化遺産」、こころの友「教会堂を巡る」より