私の住んでいる井原市のお隣の町、いつもは通過点の高梁市を訪ねることにしました。天気がよかったので頼久寺庭園を久しぶりに撮影したいと思ったのです。
井原市から高梁市に入ったところにある段々畑に放牧された和牛
【頼久寺】
城郭のような頼久寺の外観
山門 頼久禅寺と表札がありました。
山門から入って境内の左手に見えるのが薬師堂
自宅からの所要時間は、40分ほど。車は直接、頼久寺駐車場に入れることができました。
時刻は、10時半過ぎ、連休明けの平日とあって、参拝者もぐっと少なく、ほぼ独占状態で撮影をすることができました。
この庭を作庭したのは、武将茶人でもあり作事奉行でもあった小堀遠州といわれています。遠州作と伝えられている庭園は全国あまたありますが、この頼久寺庭園は、父のあとを継いで備中国奉行となった遠州がこの寺を仮の住まいとしていたようですから間違いないでしょう。
この枯山水庭園の一番の特徴は、何といっても書院左手の山畔に配されたサツキの大刈込みです。
大会の波「青海波(せいがいは)」を表現しています。ただサツキも生き物。人の手による剪定で、過去の写真と比較すると微妙に形が変わっていることがわかります。
そして、庭一面に敷き詰められた、美しい波紋を描く白砂。中央に鶴島、後方に亀島を配しているのも遠州の庭の特徴です。
この頼久寺庭園、江戸初期の作庭当時に近い状態で保存されているため、遠州の世界観を今に伝える貴重な庭園となっています。
庫裏から入ったところで書院を見る
桃山期の面影が残る美しい枯山水
庭一面に敷き詰められた美しい波紋を描く白砂は大海を表しています。
鶴島 石の配置によって鶴を表現しています。その背後に亀島があります。
鶴島から書院方向を見る
サツキの大刈込み 大海の波「青海波」を表しています。
丸窓から見る庭園
書院からの眺め
【石火矢町ふるさと村 武家屋敷 旧折井家】
次に、向かったのが歩いて5分ほどの石火矢町ふるさと村です。土塀が連なり往時の面影を残しています。時刻は11時15分ごろでしたが、この一角に校舎があるのでしょうか、通りを歩く大勢の高校生と遭遇しました。この通りには二つの武家屋敷があります。最初に入ったのが、旧折井家でした。
長屋門に入るとすぐ右手に、元仲間部屋の受付があります。そしてその先に質素な母屋があり、中を覗くと主人、妻、子息の3体の人形が並んでいて、初めての人はドキッとするでしょう。母屋のさらに奥に庭園に面して、きれいな資料館が建てられています。
この武家屋敷は今から約180年前の天保年間に建てられたもので200石前後の武士が住んでいたようです。
石火矢町を紹介する立て看板
土塀のつづく通りは風情があります。
旧折井家長屋門
座敷に置かれた人形にはドキッとします。
平屋の質素な作りです
【武家屋敷 埴原家】
次に向かったのが、もう1軒の武家屋敷・旧埴原家です。門を入ると左手に受付があります。入館料は旧折井家と共通で400円でした。建てられたのは江戸時代中期から後期にかけて、120石から150石取りの武士の住宅です。
旧折井家と比較し、随分立派に感じます。座敷に上がると、違い棚、付書院には火燈窓、数寄屋風の珍しい造りとなっており、市の重要文化財の指定を受けています。
二つの武家屋敷を見たあと、高梁キリスト教会堂も気になっていましたが、先に天空の山城、備中松山城に向かうことにしました。つづく
埴原家入り口
座敷 数寄屋風の見事な設えです。
井原市から高梁市に入ったところにある段々畑に放牧された和牛
【頼久寺】
城郭のような頼久寺の外観
山門 頼久禅寺と表札がありました。
山門から入って境内の左手に見えるのが薬師堂
自宅からの所要時間は、40分ほど。車は直接、頼久寺駐車場に入れることができました。
時刻は、10時半過ぎ、連休明けの平日とあって、参拝者もぐっと少なく、ほぼ独占状態で撮影をすることができました。
この庭を作庭したのは、武将茶人でもあり作事奉行でもあった小堀遠州といわれています。遠州作と伝えられている庭園は全国あまたありますが、この頼久寺庭園は、父のあとを継いで備中国奉行となった遠州がこの寺を仮の住まいとしていたようですから間違いないでしょう。
この枯山水庭園の一番の特徴は、何といっても書院左手の山畔に配されたサツキの大刈込みです。
大会の波「青海波(せいがいは)」を表現しています。ただサツキも生き物。人の手による剪定で、過去の写真と比較すると微妙に形が変わっていることがわかります。
そして、庭一面に敷き詰められた、美しい波紋を描く白砂。中央に鶴島、後方に亀島を配しているのも遠州の庭の特徴です。
この頼久寺庭園、江戸初期の作庭当時に近い状態で保存されているため、遠州の世界観を今に伝える貴重な庭園となっています。
庫裏から入ったところで書院を見る
桃山期の面影が残る美しい枯山水
庭一面に敷き詰められた美しい波紋を描く白砂は大海を表しています。
鶴島 石の配置によって鶴を表現しています。その背後に亀島があります。
鶴島から書院方向を見る
サツキの大刈込み 大海の波「青海波」を表しています。
丸窓から見る庭園
書院からの眺め
【石火矢町ふるさと村 武家屋敷 旧折井家】
次に、向かったのが歩いて5分ほどの石火矢町ふるさと村です。土塀が連なり往時の面影を残しています。時刻は11時15分ごろでしたが、この一角に校舎があるのでしょうか、通りを歩く大勢の高校生と遭遇しました。この通りには二つの武家屋敷があります。最初に入ったのが、旧折井家でした。
長屋門に入るとすぐ右手に、元仲間部屋の受付があります。そしてその先に質素な母屋があり、中を覗くと主人、妻、子息の3体の人形が並んでいて、初めての人はドキッとするでしょう。母屋のさらに奥に庭園に面して、きれいな資料館が建てられています。
この武家屋敷は今から約180年前の天保年間に建てられたもので200石前後の武士が住んでいたようです。
石火矢町を紹介する立て看板
土塀のつづく通りは風情があります。
旧折井家長屋門
座敷に置かれた人形にはドキッとします。
平屋の質素な作りです
【武家屋敷 埴原家】
次に向かったのが、もう1軒の武家屋敷・旧埴原家です。門を入ると左手に受付があります。入館料は旧折井家と共通で400円でした。建てられたのは江戸時代中期から後期にかけて、120石から150石取りの武士の住宅です。
旧折井家と比較し、随分立派に感じます。座敷に上がると、違い棚、付書院には火燈窓、数寄屋風の珍しい造りとなっており、市の重要文化財の指定を受けています。
二つの武家屋敷を見たあと、高梁キリスト教会堂も気になっていましたが、先に天空の山城、備中松山城に向かうことにしました。つづく
埴原家入り口
座敷 数寄屋風の見事な設えです。