訪問日 令和2年9月28日
JR姫新線月田駅で懐かしい情景を味わったあと、次に向かったのが、本日一番の目的地、三浦邸です。勝山にはそれこそ何度も訪れていますが、なかなか行けなかった元お殿様の別邸です。私の仕事の関係で、お付き合いのある地元テレビのスタッフの方が、「あのお庭はすごいですよ!」とよく話していたので、ずっと気になっていたのです。
月田駅から、距離にして10km弱、約15分の行程です。位置的には神庭の滝と国道を挟んで反対側というイメージでしょうか。
細い坂道を登ると、やや広めの駐車場に到着、傍らに真白い蔵がありました。この蔵、中が改修されて、現在ではレストラン(=椎ノ木御殿)に使用されているそうです。白やピンクのコスモスが風にたなびき、何とも清清しい気分です。ここからの見晴らしもなかなかのもので、はるか向こうに高い山並みをみることができます。
土蔵は食事処に改修されています。
(周辺に咲いていた花たち)
コスモスが白い土蔵によく映える
小さな花が風に揺れる
赤い花は、キバナセンニチコウ
こちらは、ヤナギハナガサ
キバナコスモス
裏門、ここからも入れるようです
裏庭、屋敷が見えます
ここから、正面玄関へは歩いて5分ほどです。道の片側の傾斜地には、手入れされた杉林が広がっており、まさに森林浴、見ているだけで癒されます。その正門の手前には、大きな椎の木がそびえたっています。一説によれば樹齢400年以上とか。安土桃山時代からここにあったということになりますね。その大きさゆえに、広角で撮ってもなかなか一枚に収まりきりません。
正面に通じる道、杉林がありました
カエデの大木、秋には紅葉も楽しめそうです
門の手前には巨大な椎の木、大きいのでカメラに収まりません
樹齢、400年以上と言われる椎の木
門の正面奥には、格式の高い玄関が見えます。何箇所か行灯形の灯りが付けらとても上品な感じがします。中に人の気配はありません。靴を脱いで玄関を上り左手に廻ると二間続きの畳敷き大広間があります。勝手に障子を開け放つと、その向こうに庭園が広がり、とても贅沢な気分を味わうことができます。抹茶でも一服!といきたいところですが、それは叶いません。
庭園の隅で高齢の女性が1人、草取りをしている姿が見えました。
「こんにちは! 広いから大変ですね!」と声を掛けると、笑顔でハイと短く答えてくれます。
2階に上ると、なかなかの眺めでした。先ほどの女性が、「パンフレットをここの置いておきます!」と下から声を掛けてくれました。
立派な正門 高田城から移築された
玄関
玄関から振り返って見たところ
座敷
書院の透かし彫り
奥座敷
中庭を見る
部屋に置いてあった長持 家紋は、三浦三つ引(中白)
中庭に咲いていたムラサキシキブ
箱階段 階段の下の空間を有効利用する目的で、抽斗 (ひきだし) や戸棚を取り付けた箪笥。 江戸時代の初め、狭い町屋に登場し、箱階段と呼ばれた。 衣裳箪笥や商業用の箪笥が現れるよりも前から使われており、先人達の知恵がしのばれる。
ニ階から中庭を見る
屋根のシャチホコ
二階から、蔵を見る
台所の天井
台所のかまど
この建物は、それほど古いものではありませんが、元殿様が住まいされた、堂々たる構えはさすがだと思いました。
竹塀にかかるように大きなカエデが何本もあり、紅葉の頃は、さぞ美しいのではないかと思われます。
ただ、タイミング的なこともあったと思うのですが、肝心のお庭の剪定ができていなかったことが残念でした。きれいに剪定された直後のお庭をもう一度訪ねてみたいと思いながら
三浦邸をあとにしました。
外から中庭を見る
外のお庭にヒガンバナが咲いていました
遠くから見る椎の木と三浦邸
フジバカマに小さなチョウが停まっていました
(三浦邸 ご案内)
勝山領主となった三浦氏は、明治2年、版籍奉還により10代、107年間の歴史に幕を下ろしました。最後の城主、10代顕次(たかつぐ)が、地元庄屋の支援を受け構えた邸宅です。以来3代にわたりこの地で過ごしました。
平成元年2月、旧勝山町へこの土地を寄贈。屋敷の正門前に、樹齢数百年とされる巨大な椎の木が立つことから別名「椎の木御殿」との呼び名で親しまれています。
第十二代当主の三浦義次さんに嫁いだ佐々木智恵子さんの妹は、アパレルメーカー「ファミリア」の創業者である坂野敦子さんであり、NHKの連続テレビ小説「べっぴんさん」のモデルです。坂野敦子さんは戦時中の疎開先として、当屋敷に1年ほど滞在していました。
(真庭観光WEBより)
JR姫新線月田駅で懐かしい情景を味わったあと、次に向かったのが、本日一番の目的地、三浦邸です。勝山にはそれこそ何度も訪れていますが、なかなか行けなかった元お殿様の別邸です。私の仕事の関係で、お付き合いのある地元テレビのスタッフの方が、「あのお庭はすごいですよ!」とよく話していたので、ずっと気になっていたのです。
月田駅から、距離にして10km弱、約15分の行程です。位置的には神庭の滝と国道を挟んで反対側というイメージでしょうか。
細い坂道を登ると、やや広めの駐車場に到着、傍らに真白い蔵がありました。この蔵、中が改修されて、現在ではレストラン(=椎ノ木御殿)に使用されているそうです。白やピンクのコスモスが風にたなびき、何とも清清しい気分です。ここからの見晴らしもなかなかのもので、はるか向こうに高い山並みをみることができます。
土蔵は食事処に改修されています。
(周辺に咲いていた花たち)
コスモスが白い土蔵によく映える
小さな花が風に揺れる
赤い花は、キバナセンニチコウ
こちらは、ヤナギハナガサ
キバナコスモス
裏門、ここからも入れるようです
裏庭、屋敷が見えます
ここから、正面玄関へは歩いて5分ほどです。道の片側の傾斜地には、手入れされた杉林が広がっており、まさに森林浴、見ているだけで癒されます。その正門の手前には、大きな椎の木がそびえたっています。一説によれば樹齢400年以上とか。安土桃山時代からここにあったということになりますね。その大きさゆえに、広角で撮ってもなかなか一枚に収まりきりません。
正面に通じる道、杉林がありました
カエデの大木、秋には紅葉も楽しめそうです
門の手前には巨大な椎の木、大きいのでカメラに収まりません
樹齢、400年以上と言われる椎の木
門の正面奥には、格式の高い玄関が見えます。何箇所か行灯形の灯りが付けらとても上品な感じがします。中に人の気配はありません。靴を脱いで玄関を上り左手に廻ると二間続きの畳敷き大広間があります。勝手に障子を開け放つと、その向こうに庭園が広がり、とても贅沢な気分を味わうことができます。抹茶でも一服!といきたいところですが、それは叶いません。
庭園の隅で高齢の女性が1人、草取りをしている姿が見えました。
「こんにちは! 広いから大変ですね!」と声を掛けると、笑顔でハイと短く答えてくれます。
2階に上ると、なかなかの眺めでした。先ほどの女性が、「パンフレットをここの置いておきます!」と下から声を掛けてくれました。
立派な正門 高田城から移築された
玄関
玄関から振り返って見たところ
座敷
書院の透かし彫り
奥座敷
中庭を見る
部屋に置いてあった長持 家紋は、三浦三つ引(中白)
中庭に咲いていたムラサキシキブ
箱階段 階段の下の空間を有効利用する目的で、抽斗 (ひきだし) や戸棚を取り付けた箪笥。 江戸時代の初め、狭い町屋に登場し、箱階段と呼ばれた。 衣裳箪笥や商業用の箪笥が現れるよりも前から使われており、先人達の知恵がしのばれる。
ニ階から中庭を見る
屋根のシャチホコ
二階から、蔵を見る
台所の天井
台所のかまど
この建物は、それほど古いものではありませんが、元殿様が住まいされた、堂々たる構えはさすがだと思いました。
竹塀にかかるように大きなカエデが何本もあり、紅葉の頃は、さぞ美しいのではないかと思われます。
ただ、タイミング的なこともあったと思うのですが、肝心のお庭の剪定ができていなかったことが残念でした。きれいに剪定された直後のお庭をもう一度訪ねてみたいと思いながら
三浦邸をあとにしました。
外から中庭を見る
外のお庭にヒガンバナが咲いていました
遠くから見る椎の木と三浦邸
フジバカマに小さなチョウが停まっていました
(三浦邸 ご案内)
勝山領主となった三浦氏は、明治2年、版籍奉還により10代、107年間の歴史に幕を下ろしました。最後の城主、10代顕次(たかつぐ)が、地元庄屋の支援を受け構えた邸宅です。以来3代にわたりこの地で過ごしました。
平成元年2月、旧勝山町へこの土地を寄贈。屋敷の正門前に、樹齢数百年とされる巨大な椎の木が立つことから別名「椎の木御殿」との呼び名で親しまれています。
第十二代当主の三浦義次さんに嫁いだ佐々木智恵子さんの妹は、アパレルメーカー「ファミリア」の創業者である坂野敦子さんであり、NHKの連続テレビ小説「べっぴんさん」のモデルです。坂野敦子さんは戦時中の疎開先として、当屋敷に1年ほど滞在していました。
(真庭観光WEBより)