ネコのミモロのJAPAN TRAVEL (Mimoro the cat:JAPAN TRAVEL)

「京都観光おもてなし大使」のライターとネコのミモロが、京都の情報や暮らし、グルメなどをご紹介。心和む雑誌のようなブログ

滋賀県高島に復活した古い鍛冶場の火入れ式へ。暮らしを支える鎌や鉈を昔ながらの技術で作る鍛冶場。

2024-05-17 | 滋賀県

「昔ながらの鍛冶屋さんって、興味ある~」と、4月下旬にミモロは、滋賀県高島にある「高島鍛冶場」を訪れました。


いつも京都の山里久多の自然観察や保全活動「ビーバーの山の会」でお世話になっている「カワネズミ」の研究者である堀田典男先生からのお誘いで、湖西線に乗って、「新旭駅」へ。

「久しぶりに湖西線に乗った気がする…」

車窓に見える琵琶湖の景色に、ちょっと旅気分のミモロです。

初めて下りた「新旭駅」

「だれもいない~」京都や大阪へ通勤する人もいるエリアですが、この時間帯は、人影もなく…


駅前のロータリーには、馬に乗った武将の銅像が…

「これ誰?」と思うミモロ。

この銅像は、この地域の氏神である「大荒比古神社」で5月4日に行われる「七川祭」という馬が活躍する勇ましい祭りの姿を映したもの。滋賀県無形民俗文化財に指定される歴史ある祭りです。

「滋賀県って、いろいろな祭りがあるんだよね~」と、その歴史の深さを改めて感じるミモロです。

駅でウロウロしていたミモロを「ビーバーの山の会」の代表の栗原さんが車で迎えに来てくれ、駅から5分ほどの目的の古い建物へ
 

「いらっしゃい~」とそこにいらしたのは、お誘いくださった堀田先生。

「あれ?なんか感じ違う…」とミモロ。実は、堀田さんは、亀岡で修業をなさった鍛冶職人でもあるのです。

鍛冶職人というと、刀剣などの刀鍛冶を思い浮かべますが、同じように鉄を鍛える仕事ながら、堀田さんが従事するのは、野鍛冶という分野。これは、農具の鎌(かま)、鍬(くわ)、鋤(すき)をはじめ、庖丁やハサミなど、暮らしに欠かせない道具を作る鍛冶屋さんです。かつては、集落には必ずいたという野鍛冶職人は、今やその数は、激減…堀田さんは、その技術をもつ数少ない職人さんなのです。

この日は、「高島鍛冶場」9周年記念式典で、火入れを一般に公開。

鍛冶場にある神棚に作業の無事と発展を祈願します。


さて、「今回、9周年記念??ということは、9年前にできたの?」とミモロ。
この鍛冶場の持ち主さんは、お父様が鍛冶職人だった方。そのお父様が亡くなってから、使う人なく放置された鍛冶場で、それを壊そうと…それを聞いた地元の方が、「なんとかこの建物を残そう」と活動を開始。それに賛同した堀田さんらの尽力で、なんとか取り壊しを免れ、鍛冶場として、再び蘇ることに…。
「その活動って、すごいね~」と感心しきりのミモロです。

復活を遂げて9年…今も堀田さんやこの地域に移り住んだドイツで鍛冶修業をなさった前田さんなどと共に槌の音が響くようになりました。


この日、神棚に奉納する蔵のカギのミニチュアを作ります。

近くで作業を見つめるミモロ。


しばらくして、完成した奉納の品。

神棚に向かい柏手を打ち、参拝しました。

「この後、鍛冶屋さん体験できるだって~」と目を輝かすミモロです。

<ブログを見たら 金魚鉢をクリックしてね 応援よろしく!ミモロより
人気ブログランキング

ミモロの通販ショップ「ミモロショップ」はこちら 

ミモロオリジナルグッズをぜひ~ご覧ください~

ミモロのウールジャージひざ掛け

ミモロへのお問い合わせ・ご要望は、mimoro1888@gmail.comまで
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

巨石と磨崖仏を参拝…滋賀信楽朝宮の古刹「岩谷山仙禅寺」と彫刻が見事な「三所神社」

2024-05-09 | 滋賀県
滋賀県甲賀市信楽のお茶の産地、朝宮を訪れているミモロ。「ここすごく大きな岩がゴロゴロしてる~」と、里の古刹「岩谷山 仙禅寺」にやってきました。


巨石の苔むした岩肌に、ここの長い歳月を感じます。
 
「岩谷山 仙禅寺」は、養老7年(723)に創建されたと伝えられます。
巨石の山につくられたお堂は、懸崖造り。

岩に寄り添うように建てられています。このお堂の中には、秘仏のご本尊の十一面観音像が祀られているそう。

長い歴史の波に晒され、南北朝時代には、2回兵火で焼失。
「ということは、ここは、戦いに巻き込まれるほど、重要な場所だったってことだよね~」と想像するミモロです。

そもそもここは、京都府の和束町にある役行者を開祖とする鷲峰山金胎寺の別院。
南北朝の動乱の折、後醍醐天皇が都から逃げ延びる際に「金胎寺」に立ち寄り、そのため焼き討ちされたそう。
その別院のこの寺も、その戦火を浴びたと思われます。

「奥に行ってみよう~」と好奇心旺盛なミモロは、お友達が心配するのも構わずに、巨石の間へ

岩の間を抜けると、その先に役行者さまの像が祀られていました。

「修験者の方々もここにやって来たんだね~」

また、お堂の下には、鎌倉時代に刻まれたと伝えられる摩崖仏が…中央には、薬師如来像のお姿が拝めます。


境内には、「朝宮茶発祥の地」の碑も…


「京都や滋賀って、すごい山奥でも、日本の歴史に深く関わっている場所が多いんだよね~」と、改めて思うミモロです。


「朝宮の氏神様にも参拝しましょう」とお友達の車で、次は、すぐ近くにある「三所神社」へ向かいます。

「わ~広い神社だね~」

素戔嗚尊をご祭神に祀る朝宮の氏神で、その詳しい歴史はわかっていないとか。


祭の時期は、ここに氏子が大勢集い、境内を取り囲む茅葺屋根の建物で、さまざまな取り決めを行う宮座行事が今も続けられる民族学上、貴重なものだそう。

中央の本殿は、江戸の宝永5年(1708)に建てられたもので、甲賀郡野村の大工、雲九郎右衛門宗静の手によるものという記録が…。
まずは、本殿に参拝…


建物を見上げると、そこには、さまざまな意匠の細工が施され、その技の素晴らしさに驚きます。


現在、滋賀県の指定有形文化財に…


ミモロが訪れた場所は、国道307号線のそば。朝宮の里を見守る場所にありました。
この地区の歴史を物語る古刹です。

<ブログを見たら 金魚鉢をクリックしてね 応援よろしく!ミモロより
人気ブログランキング

ミモロの通販ショップ「ミモロショップ」はこちら 

ミモロオリジナルグッズをぜひ~ご覧ください~

ミモロのウールジャージひざ掛け

ミモロへのお問い合わせ・ご要望は、mimoro1888@gmail.comまで
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本最古の茶園滋賀県甲賀市の「朝宮茶」の茶摘み作業。農家が大切に育てた茶葉

2024-05-07 | 滋賀県

「ワ~広いね~ここで茶摘みするんだって~頑張らないと~」と、お日様が燦々と降り注ぐ五月の茶園にやって来たミモロ。


ここは、滋賀県甲賀市信楽町朝宮という茶園が広がるエリアです。


日本茶の産地というと、京都の宇治を思い浮かべる方が多いはず…でも、実は、日本茶の歴史はここ近江の朝宮から始まったという説も…。

滋賀県南部の信楽町は、陶芸の町として有名ですが、良質の茶葉の生産地でもあるのです。

その起源は、約1200年前、延暦24年(805)に最澄が、留学先の中国から茶の種を持ち帰り、比叡山山麓およびここ朝宮に植えたことからとも…。
「え?栄西がお茶を伝えたんじゃないの?」とミモロ。そう、それより約400年前に、すでにこの地に茶が伝わっていたことに。
茶畑が広がる朝宮地区は、信楽盆地に位置し、標高300~400mの高地で、温度差が激しく、霧が発生したり、茶づくりに適した場所なのだそう。恵まれた土地で育った茶葉は、香りに優れ、芳醇な味わいから、歴代天皇にも献上され、また今も多くの茶人に愛好されているのだそう。
「知らなかった~お茶って、宇治や静岡って思ってた~」とミモロ。

さて、5月3日にミモロは、京都の茶道を愛するお友達に誘われて、「信楽町茶業協会」が主催する茶摘み作業に参加しました。
前日に信楽入りをして、朝8時にお迎えの車に乗って、茶畑へと向かいます。

この日の予定は、午後3時頃まで、目標の収穫量に至るまで茶摘み作業を行うのです。

すでに茶畑には、80人以上の参加者が…滋賀県だけでなく、京都、大阪、関東からの参加者もいるそう。


ミモロ達は、品評会に出展する上質の茶葉を収穫するため、茶摘みも丁寧にひとつひとつなされます。

まずは、協会員の茶農家の方から、茶摘みの仕方を教わります。

「茶葉の先の部分だけを、折るように摘んでください・・・爪で茎をつぶさないように…」と
摘む部分は、茶葉の先端の部分で一芽二葉だけ摘みます。

「それ以上摘まないで…また、茎の部分を葉からあまりはみ出さないように…早く摘まなくていいですから、丁寧に形を揃えるようにしてくださいね~」と。

「う~なかなかむずかしい・・・」

ミモロも他の参加者と共に、馴れぬ手つきで作業を始めます。

「機械で摘まないんだ~そっちの方が効率いいのにね~」と思いますが・・・もちろん、朝宮でも茶摘みの機械は導入され、バ~っと茶摘みが行われますが、上質の茶葉のためには、昔ながらの手摘みが最良なのだそう。

5月のGWは、その上質の茶葉を摘む限られた時期で、そう、「八十八夜」もこの時期です。つまり柔らかな新芽が育ち、それ以降は、茶葉はすくすく成長して、大きく、硬くなってゆきます。

「ここ何日かが勝負なんだ~だから、この時期に大勢の人を頼んで茶摘みするんだね~」と納得。
全国の茶葉生産地も同じように茶摘みを行います。近年の問題は、茶摘みをする人材不足。農家や地域だけでは、人材の確保が大変なのです。

「結構、キレイに摘むのコツがいるね~」と次第に作業にも慣れていきますが、なかなか大変。

ミモロもみんなと一緒に頑張ります。

作業をしていると、甲賀市の岩永市長が応援に…茶畑で作業する人を励まします。

「初めての参加ですか?ありがとうございます。信楽町は、陶芸で有名ですが、本当に優れた茶葉の生産地でもあるんですよ~。他にも甲賀市は、さまざまな魅力的なものが多く、それをもっとたくさんの方に知っていただきたいです。自然豊かで、歴史的にも重要な場所ですから、ミモロちゃんのリポートも期待してます」と。

「はい、京都だけじゃなくて、その周辺の地域の魅力も、もっとお伝えしたいと思ってます」とミモロ。
市長さんは、その後、ちょっとだけ茶摘みをして他へ移動なさいました。

さて、ミモロ達の作業は、途中、用意されたおむずび昼食とトイレタイムのため、茶畑を1時間ほど離れ、再び午後の作業がスタート。
1日中、日陰のない炎天下での作業は、思った以上に大変です。

ミモロの背中の籠にも、次々に摘んだ茶葉が…


ある程度、茶葉が収穫されると、それを一か所に集め、品質のチェックが行われます。


「本日の目標収穫量まで、あと10キロ…」との声。「え~まだ、終わらないんだ~」とさすがに参加者には疲労の色が…
「でも、終わるまで、頑張らないと…」とミモロ達は、さらに作業を進めます。


15時近く…ついにこの日の目標収穫量を達成!思わず、茶畑の各所で喜びの声が上がりました。


「終わった~」とミモロの顔にも安堵と達成感が浮かびます。

ミモロ達は、たった1日の作業ですが、茶畑を守り、良質の茶葉を育てるために、農家の方々は、年間を通じ、多くの手間をかけるのです。

最近は、抹茶など粉末の茶葉の需要は拡大しているものの、煎茶や玉露の消費は頭打ちだそう。
「そう、家に急須がないところ多いよね~」そう、特に若い世代は、急須でお茶を煎れて飲むことはほとんどないのが現代。「お茶は、ペットボトル入りのものを飲む…」という人ばかり。それはそれで茶葉の需要はあるわけですから、いいことなのでしょうが、急須でゆっくり煎れて味わう時間も素敵です。

さて、作業が終わり、参加者には、「信楽町茶業協会」から謝礼5000円が渡されました。


「これで、信楽に来る交通費と食事代なんかにできるね~」と。
ミモロも信楽の民間宿泊施設に2泊し、そこの食事代などをここから…
「なんか信楽の中でお金が動いただけかも…」と思いますが、ネコの手ながら、お役に少しでも立ててよかった…

夏になれば、新茶が販売されます。「それ楽しみ~」と思うミモロです。

<ブログを見たら 金魚鉢をクリックしてね 応援よろしく!ミモロより
人気ブログランキング

ミモロの通販ショップ「ミモロショップ」はこちら 

ミモロオリジナルグッズをぜひ~ご覧ください~

ミモロのウールジャージひざ掛け

ミモロへのお問い合わせ・ご要望は、mimoro1888@gmail.comまで
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

桃山時代の石庭「福寿寺」。滋賀県指定名勝の巨石の石組が禅宗らしい力強い趣を

2023-08-24 | 滋賀県

「う~また石段登るの~ヨイショ!」と、ミモロが必死に登っているのは、滋賀県近江八幡市の石倉地区にある「福寿寺」。


琵琶湖の東、近江八幡市の南の千僧供町の古墳群などを見学したミモロは、田んぼの道を通り、小高い山「岩蔵山」にある古刹へと向かいました。


山の中腹にあるのは、「岩蔵山 福寿寺」。平安時代の初期に創建されたという古刹です。


石段を上り切った場所からは、琵琶湖を望む景色が広がります。

「ふ~琵琶湖の向こう側まで見えるんだ~」と、石段を上る疲れも癒されるようは、広々とした景色がそこに…。

ここ「福寿寺」のご本尊は、千手十一面観音像で、平安時代の作と伝えられます。

戦国時代に兵火で、ご本尊を祀るお堂が焼失。でも、村人の力で、なんとかご本尊を救出したそう。
この日、お寺の方がいらっしゃらなかったので、本堂で参拝はできませんでした。

「でも、お庭は拝見できますよ」と今回、この地区を案内してくださった「千僧供地域歴史資料館」の小川さん。

本堂脇へと進みます。

そこには、大きな岩があちこちに置かれたお庭が…
兵火で焼失後、延宝8年(1580)に黄檗宗の梅嶺道雪禅師によってお寺は再興。その時、お庭も整えられたと推定されるそう。

ミモロは、お庭を拝見するため、本堂脇の渡り廊下を経て、さらに奥へと進みます。

睡蓮が葉を広げる池…ここは、池泉庭園なのです。その奥にも石段が…そこを目指して…

「なんかホントに大きな岩がゴロゴロしたお庭だね~」とミモロ。

山の中腹に作られたお庭…実は、この山は、良質の石材が採れ、この麓には、その石を加工する職人が多く暮らす石工の町だったのです。その石工たちは、高い技術から近江八幡市の八幡堀や大坂城の工事などにも関わったそう。

「ミモロちゃん、どこ?」と、小川さんと一緒にここに来たお友達が探します。
「ここだよ~」と石段の上から手を振るミモロ。

さっきあんなに石段を上ったのに、またさらに上に行くとは…疲労感より、好奇心に押されるミモロなのです。

上から眺めると、庭の様子がよくわかります。大きな石が、お庭の上に配置され、庭全体に重量感がもたらされているよう。「これが桃山時代のお庭なんだ~」と感激。周囲に暮らす八幡商人の厚い崇敬を集めたお寺です。

「きっと多くの人がここに来たんだろうなぁ?信長や秀吉も来たかもね~」と勝手に想像。

秋は、周辺の楓の紅葉が美しいとか…。

*「福寿寺」滋賀県近江八幡市馬淵町469 ☎0748-37-0688 JR琵琶湖線「近江八幡」下車、近江バス「岩倉バス停」から15分 事前にお寺への連絡を

「今まで、近江八幡の八幡堀のエリアは、なんども行ってるけど、こっちのエリアは初めてでした。歴史好きには、興味深いエリアですよね~」とミモロ。

車を止めた「千僧供地域歴史資料館」へ戻る途中。
石工の町らしい水路なども…

そして古墳群のエリアでは、古墳の上にお地蔵様などを祀っていたり…


このエリアに暮らす人たちの営みと大切に受け継がれて来たものが伺える景色に出会いました。

「今日はどうもありがとうございました」と、ずっと案内してくださった小川さんと手を振ってお別れです。


「滋賀県って、その時代に即して、琵琶湖からいろいろな文化が発展してるんだよね~」と、さまざまな表情を持つ滋賀県。ミモロの興味は尽きません。

<ブログを見たら 金魚鉢をクリックしてね 応援よろしく!ミモロより
人気ブログランキング

ミモロの通販ショップ「ミモロショップ」はこちら 
いつも一緒だよ~ミモロオリジナルキーホルダー



ミモロへのお問い合わせ・ご要望は、mimoro1888@gmail.comまで
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歴史の町、滋賀県近江八幡市の千僧供町。「馬見岡神社」と「椿神社」へ参拝

2023-08-23 | 滋賀県

「ヨイショ~う~結構急な石段~フ~」とミモロが、一生懸命に登るのは、近江八幡市千僧供町にある「馬見岡神社」の石段。

田園が広がる琵琶湖畔の千僧供町。観光客がほとんど訪れず、昔ながらの雰囲気が漂うところがいろいろと…。

ここ「馬見岡神社」も、建立に年代は不詳ですが、社伝では、延喜式神名帳にその名が記されている歴史ある神社です。

「ここに参拝するの?」とミモロ。
鳥居のそばにある手水でお清めを…

「なんかワイルドな手水だね~」と。

「さぁ、こっちですよ~」と地域に詳しい「千僧供地域歴史資料館」の小川さんが、拝殿に案内してくれました。


岩倉・千僧供・馬淵の3集落で構成される馬淵郷。それぞれに氏神様をお祀りしていますが、その総鎮守として、古くから多くの崇敬を集めたのは、「馬見岡神社」です。背後の山に守られるように南を向いて社殿が建てられています。

「なんか立派な社だね~格式を感じる…」とミモロ。

ご祭神は、天戸間見命(アメノトマミノミコト)と天津彦根命(アマツヒコネノミコト)です。

5月2日は、春祭り。なんでも室町時代から始まったと言われる祭りです。
当日、氏子は裃袴姿で、鉦、太鼓を鳴らし、神輿の渡御を行いなうそう。
「直会は、境内にゴザを敷いて、そこでお神酒などをいただくんですよ」と小川さん。昔ながらの

なんでもここには、国の重要文化財に指定される平安時代の神像八体があるのだそう。

*「馬見岡神社」滋賀県近江八幡市馬淵町46 境内参拝自由

そして、もう一か所、参拝したのは、「椿神社」。

こちらも、歴史を感じさせる神社です。

なんでも、長和5年(1016)に「日吉山王神社」の上7社のひとつ「樹下神社」が勧請され、それがこの神社の由来。


入口の門は、滋賀県指定文化財になっています。

「これ、なあに?」と門のところにある敷石のようなものを見つけたミモロ。

「それはね…」と小川さんがお話してくださいました。
室町時代にこの地域の集落、馬淵と岩倉の間で水の権利を巡って問題が起き、千僧供が、その仲介に立ち、3集落の水の権利の定めたそう。その割合を忘れないようにと石を埋めているのだとか。

馬淵、千僧供がそれぞれ4割、岩倉が2割で、これは水の配分だけでなく、共同で行う祭礼の費用分担にも、適用される比率です。

ここは、先ほど紹介した「馬見岡神社」と共に、春の大祭で、神輿渡御が行わる、この地域の重要な神社なのです。

「境内に、特別大きな椿の木があるわけじゃないみたい~」と。境内を見回すミモロ。
そう、全国には「椿神社」と呼ばれる神社がいろいろあります。もともと「椿」には、厄除けの意味があり、さらに常緑樹の艶やかな葉は、繁栄を象徴し、商売繁盛などの祈願にも崇敬されてきたのです。
「椿神社」と呼ばれるようになったのは、実は明治以降で、それまでは、「十禅師権現」と呼ばれていたのでした。

この地域の暮らしを守って来た氏神様。


琵琶湖の西にある比叡山延暦寺と、地理的にすごく離れているように感じますが、その結びつきがとても深い地域なのだそう。
「ということは、比叡山延暦寺の力って、本当に大きかったんだね~」と、改めて思うミモロです。

*詳しくは「千僧供町」のホームページからどうぞ~

<ブログを見たら 金魚鉢をクリックしてね 応援よろしく!ミモロより
人気ブログランキング

ミモロの通販ショップ「ミモロショップ」はこちら 
いつも一緒だよ~ミモロオリジナルキーホルダー



ミモロへのお問い合わせ・ご要望は、mimoro1888@gmail.comまで
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする