曇りがち、時折、雨。
秋の長雨のような・・・夏の終わり。
過去を顧みてばかりいる。
もし、あのとき・・・。
過去に、もし・・・と、考えるのは、時間の無駄なのだけれど。
あのときは、こうするしかなかったのだけれど・・・。
そんなことばかり、考えている。
おりしも・・・外は、雨が降ったり止んだり、空気が冷たくなってきているから・・・。
いづれにせよ、私には、『運』を引き寄せる力がなかったのだと、つくづく思う。
あの局面で、なにかひとつでも要因が、欠けていれば、こんなふうには、なっていなかった。
(あのひとの復職のタイミング、かのひとの転籍、そのひとの異動願い、私の・・・、どれかひとつでも、タイミングがズレていたならば、起こり得なかった解雇)
今日のお題。
去年、購入して、途中まで、読んだ・・・。
でも、それどころではなくなって、積読(読まずに、積んでおくだけ)状態にあったこの本。
薄い本である。
そして、今は、絶版らしく、amazonの古書で入手した(実を言うと、私は、古書は、あまり好きではない。
amazonの古書の状態は、主観的なものが多くて、美品とか新品同様と記載されていても、『えっ・・・?』と思うこともあったりだし・・・だから、古書は、嫌いだ)。
そうまでして(イヤな古書だし。価格も、新書並みだった)購入したのに、途中で読むのを止めてしまったのは、
SONYという・・・かつて日本には、ちょっとあり得ないような大企業(・・・今は、随分、地に堕ちてしまったような気がする。家電は、当たり外れが多いけれど、地デジ化で、購入したブラビアは、1年も経たずして、不具合で、ハードディスクは、クラッシュするわ・・・電源が不具台だわ・・・で・・・私の所に来るSONY製品は、ハズレだ・・・???VAIOも・・・???)で、奇想天外なアイディアを生む人材開発には、他の追随を許さなかった超一流企業だったSONY。←あえて過去形。
その世界のSONYで、CDの発明、犬型ロボットのAIOBOに携わったのが著者で、恵まれた企業、恵まれた環境、恵まれた運気を自慢する書と受け取れたからだった・・・それで途中まで読んで、辞めてしまった。
改めて読み直して、もっと早く読んでおくんだった・・・!と再び、後悔した。
サブタイトルには、『好運の女神と付き合うための15章』とある。
天外氏のライフワークとなった運命の研究。
どうすれば、不運と呼ばれるものを、好運(幸運ではなく?)に転換できるのかということ。
こういう内容って、文系のひとには、書けないのだろう。
かの不思議研究所の森田健氏も同様のことを書かれていた。
理系のひとだったら、非科学的だとかといって、一蹴されそうなテーマであるけれど。
『運』と理工学系は、案外、相性がよいのかもしれない・・・と思う、モロ文系のワタシ・・・。