どんよりとくもりがちな日曜日。
日中は、日差しも・・・の予報だったけれど、その日差しも期待できず・・・。
毎日、毎日・・・去年の今日は・・・なんてことを考えていて、去年の今日は、去年の明日(4月18日)に母の納骨・四十九日を前にして、なにやら、落ち着かず、眠れもせず・・・だった・・・ような(いろいろと雑事も多くて、去年のブログは、書いていない)。
母のお骨が、お墓の下で、眠る日の前日。
仏壇の横にしつられた祭壇に置かれた骨壺の前で、
『明日で、この家ともお別れだね。』
などと言いながら。
去年の4月は、母の死に伴う事後処理が多くて、年金事務所も予約制で、数週間先にならないと予約が取れないってことだったし、年金事務所へ向かう途中、通行区分帯違反で、罰金を支払うコトになったり、仏壇に通じる母の居室の障子張替(しかも雪見障子で、ちょっと難しかったり???)、四十九日の法事の準備・・・その他いろいろとちっとも気が休まる暇もなくて、右往左往しながら、日々をナントカやり過ごした感じだった。
不眠も長期間続き、精神的にも身体的にも辛くて、苦しい日々だったと思う。
・・・今も、それは続いていて、それでも、去年よりは、幾らか、マシ・・・になったのかと言えば、睡眠時間が、やや持続するようになったのは、このままでは、脳も身体もおかしくなってしまう・・・と私を、コントロールする別の私???みたいなものが、
『なんとかしてやらねば、死んじまうかも?』
と判断し、なんとか、生存させてくれているのかも知れず、ソレは、ソレで、やはり、きちんと眠らないと、廃人になるのかもしれぬ。
私の母も、半世紀近く、不眠症に悩んでいて、些細な身体の不調、人間関係、他のひとが、悩むことか???といような細かい事で、思い立つと悩んでいたので、私も似てしまったのか・・・と思う。
眠れない・・・と深夜に起こされ、延々とグチを聞かされることも、多々あって、母の本当の不安って、何だったのだろうかと思うと、それは、一重に、
『死ぬのが怖い』
ということに尽きる。
人間として生まれれば、それは、一日一分一秒と死へ向かう旅なのだろうし、避けようもないのに、それを恐れ、その死にもっとも直結する身体の不調を過度に気にして、それで、また不安を呼び・・・の連鎖で、身体の調子のよい年に数日訪れる日には、少しは気は晴れるけれど、その調子のよい日を味わってしまうと、不調が更に強くなってしまう・・・という負の連鎖だったのではないだろか。
それ程、恐れおののいていた母の死は、静かにやってきて、苦しむことなく、コトン・・・と逝ってしまったのは、母にとっては幸いで、私にとっては、最大の不幸だった。
ちゃんとお別れくらい言ってからにして欲しかったのに。
そして、訪れた地獄のような日々。
この1年は、煉獄に居るような日々で、母に恨みごとを言う日々でもあった。