毎日ブログを書くためにはそれなりにアンテナをめぐらし、ちょっと気になる言葉に出会えばそれをノートに書きとめ、その言葉から次々と文章が生まれてくれば、このブログの千文字くらいは書ける。ところがいくら考えても、いくら新聞や読みかけの書籍などを眺めても、何も考え付かない時がある。そんなに苦労して書いているわけではないが、また、苦労してまでも書こうというほどのものでもないが、ブログに飛びが出来てしまうことが癪に障るのだ。
そこで10月1日のブログに続いて、再び中学高校時代からの友だちのブログから引用させてもらうことにする。今日は「恋」の話ではなく「死」の話である。
彼は「女房に誘われるままに、この『おくりびと』という映画を観て、自分が死に対して、無意識のうちに真正面から見据えることを避けてきたことに気付かされた。」と書いていた。これまでに多くの人の「死」と対面してきたことを挙げ、「おそらく葬式という荘厳さと葬送の緊張感、そして、死は生けとし生きるもの、すべからくやってくるもので、血脈や縁で繋がる人たちの死からは、どんなに目を逸らそうと思っても、逃れられるということはないという義務感が、自分のすべての感情を超越させてしまったのであろう。」と振り返る。
彼は「決して、訪れる死から逃避せず、むしろ、死を直視することで、これからの自分の残された生を、いかに生くべきかを浮かび上がらせるのではないだろうか。」と、「死」を今度は自分のものとして受け止めようとしている。いや、彼が「死」を意識しているわけではない。「死」を重いものだとして避けてきたけれど、自分がこれからどう生きていくかを考えていこうということだ。
彼は「6ヶ月検診に行き、先生から肺にある腫瘍は余り気にしないで、年に1回の人間ドックを定期的に受けることで、充分対応できると言われ、ほっとして家に帰ってきた」のだ。肺ガンの心配はなくなった。それはおどろおどろしく自分に付きまとっている不安なものと決別できたことだと思う。不必要な不安の中にいることは耐えられない。むしろ敵はハッキリと見える方がいい。
私たちも60代も半ばとなった。よくもここまで生きてきたものだ。私たちの残りの人生がどれほどかはわからない。また、どんな展開が待っているのかもわからない。それでも私たちは、これからの人生を大切に、そして今日よりも明日、明日よりもその翌日が充実した日々となるように、結果のことなど考えずに生きていくだろう。もちろんその軌跡はみんな違う。みんな違うから人生はそれぞれに輝いているのだと私は思っている。
そこで10月1日のブログに続いて、再び中学高校時代からの友だちのブログから引用させてもらうことにする。今日は「恋」の話ではなく「死」の話である。
彼は「女房に誘われるままに、この『おくりびと』という映画を観て、自分が死に対して、無意識のうちに真正面から見据えることを避けてきたことに気付かされた。」と書いていた。これまでに多くの人の「死」と対面してきたことを挙げ、「おそらく葬式という荘厳さと葬送の緊張感、そして、死は生けとし生きるもの、すべからくやってくるもので、血脈や縁で繋がる人たちの死からは、どんなに目を逸らそうと思っても、逃れられるということはないという義務感が、自分のすべての感情を超越させてしまったのであろう。」と振り返る。
彼は「決して、訪れる死から逃避せず、むしろ、死を直視することで、これからの自分の残された生を、いかに生くべきかを浮かび上がらせるのではないだろうか。」と、「死」を今度は自分のものとして受け止めようとしている。いや、彼が「死」を意識しているわけではない。「死」を重いものだとして避けてきたけれど、自分がこれからどう生きていくかを考えていこうということだ。
彼は「6ヶ月検診に行き、先生から肺にある腫瘍は余り気にしないで、年に1回の人間ドックを定期的に受けることで、充分対応できると言われ、ほっとして家に帰ってきた」のだ。肺ガンの心配はなくなった。それはおどろおどろしく自分に付きまとっている不安なものと決別できたことだと思う。不必要な不安の中にいることは耐えられない。むしろ敵はハッキリと見える方がいい。
私たちも60代も半ばとなった。よくもここまで生きてきたものだ。私たちの残りの人生がどれほどかはわからない。また、どんな展開が待っているのかもわからない。それでも私たちは、これからの人生を大切に、そして今日よりも明日、明日よりもその翌日が充実した日々となるように、結果のことなど考えずに生きていくだろう。もちろんその軌跡はみんな違う。みんな違うから人生はそれぞれに輝いているのだと私は思っている。