友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

一人ぼっちは嘘か本当か

2008年10月18日 19時58分36秒 | Weblog
 先日亡くなった俳優の緒方拳さんの最後の作品といわれたNHKドラマ『帽子』を見たかったのに、気が付いた時は手遅れで、最後の10分くらいしか見ることが出来なかった。そこで気が付いたのは既にガンと戦いながらの撮影だといわれていたが、確かにやせ方からそれを察することが出来るけれど、実に演技は自然であった。若い頃の緒方さんよりも年取ってからの方が私は好きだ。なぜか、飄々としたところがなんともいえない味がある。

 最後の部分しか見られなかったけれど、その一人暮らしの帽子職人は、淡々と生きている。「明日のことは考えない。今のことだけを考えて生きている」。そんなセリフがあった。これもどこかで読んだ言葉だが、「生きるということはただ生きていればよいのではありません。心臓が動いていればよいのではありません。」と、そう思い込んで生きてきた。生きていることに何か価値を見出したいとは誰もが思うと考えてきた。帽子職人は「生きていればよい」と教えてくれたと私は解釈したけれど、それは間違いなのだろうか。

 友だちが「自分は一人ぼっちだと悟った」と言う。人は生まれた時から一人であるが、一人では生きられないからこそ「一人ぼっち」と感じるのだと私は思っている。人はたくさんの人々とともに生きている。友だちは「自分には親友がいないと気が付いた」と言うけれど、それもまた嘘であり本当だと思う。誰とでも話が出来る彼はたくさんの友人を持っている。飲み友だちもいる。どちらか言えば、寂しがり屋の方だから「一人ぼっち」でいることができないタイプだ。

 彼の思いは嘘であり本当だというのは、友だちはたくさんいるし、彼を愛している家族だっているのに、それで満足できないから「一人ぼっち」だなどと言ってしまうのだろう。人は欲深い。現実には不満はなにもないのに、今が幸せだから、もっと幸せが欲しいややこしい存在だと思う。その欲の深さをそれは「一人ぼっち」のためだと考えるのだ。けれども、いったい誰が非難できるというのか。家族がいて親友がいてそれで充分ではないかと言う人もいるが、そう言う人は「一人ぼっち」とは思っていないのだから言えるだけのことだ。

 何もせずに生きていくことも人生であるし、求め続けて生きていくことも人生である。どういう選択をするのかは自分が決めることだ。その選択を人は非難することなどできない。腰痛教室の先生は82歳と高齢だったが、元気がよく当然だけれども姿勢もよかった。腰痛は脊椎の神経を圧迫していることから起きるのだから、逆をすれば必ず治ると話された。「私の言うとおりにすれば必ず治るが、治すのはあなた自身ですよ」と言われる。なるほど、人生も同じかと納得した。
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