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友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

これからの夢は何?

2008年10月10日 21時28分50秒 | Weblog
 確か、ノーベル化学賞の受賞者に決まった下村脩・米ボストン大学名誉教授に対するインタビューの時だと思うけれど、「これからの夢は何ですか?」と尋ねられ、下村先生は答えに窮していた。何でも尋ねればいいものではないと、このアナウンサーは気が付かないのかなと笑ってしまった。おそらく若い人なのだろう。「その時のお気持ちは?」とか、何も考えずに型どおりの質問しているなと思ったけれど、80歳の老人に何を語らせたかったのだろう。

 若い時なら、これからこんなこともやってみたいし、こんな人生の夢を描いているという話をすることが出来るだろう。年老いるということは、そうした挑戦する時間とか気力とかを無くしていくことだ。いや、老人の中にも「夢」を追っている元気な人もいるが、そういう人は人前で、あまり得意になって話さない。自分が納得できればよいことなので、若い時の「夢」とは一味違うように思う。

 いつだったか、命の終わりが近づいていて、「最後に何がしたいですか?」というような質問がなされていた。その時の答えがどんなものだったか覚えていないけれど、よくある設定の質問ではあるが、ケースによって全く違うんじゃないかと思う。健康で体力がある人、遣り残してきた何かを抱えてきた人、その立ち位置で考えることが違うように思う。

 ソフトバンクの王前監督は「50年、ひとつの道にどっぷりつかり、68歳になってもなお心ときめかせてやれておれるのは、本当に幸せだった。」と引退の記者会見で話していたが、なかなかそうした心境になれる人は少ないだろう。自分の人生は何だったのだろうとなお納得できる自分を捜し求めるか、あるいはこんなものさ人生はと達観してみせるか、そんなことも考えるヒマもないままに人生の終焉を迎えることになるのだろう。

 64歳、これからの自分の夢は「文学で、一刻も早く、それに打ち込みたい」と私の中学高校からの友だちは言う。彼ならば出来るだろうし、ぜひ、実現させてもらいたい。彼は「こんな私の本音は、家族にとっては、たぶん、それは人迷惑な話に違いない」などと謙虚なことを言うけれど、迷惑どころか大歓迎だろう。64歳にもなった父親があるいは夫が文学を目指して筆を取るなどというのは、立派な生き様であり手本だ。出来ることなら、何がしかの賞を獲得して欲しい。

 その時は、私たちにとってはノーベル賞に匹敵する快挙であるから、大いに祝賀会をやろうではないか。私もまた、彼に引きずられて、「私はとても幸せな人生だった」と満足し切っているが、多少は欲を出し、「じゃー、ボクも少し何か書いてみる」と書き留めた短歌などを応募してみようかなとも思う。
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