友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

ノーベル物理学賞の受賞者は同級生

2008年10月07日 22時35分55秒 | Weblog
 ノーベル物理学賞に名古屋市出身の二人が受賞されたとの報道に、カミさんはかなり興奮していた。何しろその一人である小林誠氏とは同じ高校で、同じテニス部だったそうだ。「そりゃー大変だ、ノーベル賞をもらったのだから、学校を挙げてお祝いをしてあげなくちゃね」と冷やかすと、「そんなのきっと誰かやるわよ」と興奮の割には冷静だ。テレビを見ていると、まるで身内のごとく喜ぶ人たちがいるのに。麻生総理や野田聖子大臣も日本人の誇りと喜んでいた。

 先回の高校の同窓会でも話題になっていたそうで、「もっと前からノーベル賞候補だったそうなのよ」と言う。私は物理学が苦手なので、小林氏らの研究がどのように価値があるものなのかわからないが、「宇宙や物質の成り立ちにかかわる根源的な現象を理論的に解明し、素粒子物理学の基礎となる“標準理論”を築いた功績が評価された」と報じられている。

 面白いなと思ったのは、昭和48年に、それまで素粒子を構成するクオークは3つと考えられていたものを、それでは説明がつかないから6つであろうとする「小林・益川理論」を発表したことだ。小林氏は同じ歳なのだから29歳の時だ。そんな若い時に、世界を相手に仮説を打ち立てる大胆さというか、勇気というものに驚かされる。

 そして次に、小林氏らノーベル科学者はそんなレベルではないのだろうが、先日観た演劇『東京原子核クラブ』を思い出した。科学者の発見というものは全くのインスピレーションで、そういう思い付きが浮ぶ科学者こそが偉大な科学者になれるというようなセリフだった。3つでは理屈に合わないが6つならば説明できるからというその仮説はその後に証明され、素粒子物理学の基礎理論となったのだそうだ。

 『東京原子核クラブ』では、広島に原爆が落とされ、たくさんの一般市民が犠牲になったことよりも、アメリカに先を越されたことに驚き、どのようにして作り上げたかに関心を持つ「科学者」を描いていた。その前の演劇『アルジャーノンに花束を』でも脳科学が智恵遅れを科学力で克服するストーリーだが、科学者は目先の成否に没頭する役割だった。

 物理にしても化学にしても医学にしても、そんなに研究してナンになるの?と凡人の私は思ってしまう。これも『東京原子核クラブ』の中でのセリフだったが、「科学は後戻りは出来ない」。確かにそのとおりだ。人が作り出したものは、どうやら多くが人の思惑を超えてひとり歩きをしてしまう。科学も経済も環境も‥。
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