友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

「死」に向かう人

2008年10月04日 18時00分15秒 | Weblog
 マンションの上に住むお年寄りは入院している。毎年夏に、我が家でビアパーティーをするのだが、よく飲み、よく話し、なかなかの豪傑の印象が強い。彼は北海道の出身で、奥さんは樺太生まれだった。お二人ともお酒が強く、陽気な人で、しかも料理が得意だった。私はこのビアパーティーで、奥さんが作ってくる料理が楽しみだった。時には嫁に行った一人娘さんがお孫さんを連れて参加してくださったこともあったが、そんな時の彼は一段とテンションが上がっていた。

 奥さんを先に亡くされ、一人暮らしをされていた。「料理が大変でしょう」と話すと、「娘なんか、私の料理を食べに来るんですわ」とおっしゃる。料理は得意で、私が好きだった奥さんの手料理も彼が味付けしたものだった。今年の夏、彼は80歳になったが、我が家でのビアパーティーには参加できなかった。北海道の鮭の燻製を「これは肴に一番いい」と皆さんに振舞っていたが、その姿がないのは寂しい。大声で話し、ゲラゲラと笑う声が聞けないのも寂しい。

 彼は、長女が勤めている病院に入院している。ガンを宣告され、ホスピス病棟を希望して移った。病気との闘いは相当苦しいようだ。2度ほど見舞いに行ったけれど、まだ元気だったから受け入れてくれたが、最近では皆さんに「見舞いには来るな」と言っているそうだ。そう言っているのに、長女には「毎日覗いてくれ」と言ってくるらしい。

 その気持ちはよくわかる。元気な時の自分を知っている人たちに元気でない自分を見せたくないのだ。だからといって、誰も来ないのでは寂しすぎる。もちろん看護師さんは定期的に見に来てくれるが、わがままや愚痴や甘えることは出来ない。そこで長女のように、看護師ではあるが病棟の担当者ではなく、小さい時から知っている身内に近い存在は、話せないことが話せる。長女に話しておけば、私につながるし、私の判断で近所の知り合いにも伝えられる。

 どんなに我慢強い人でも寂しさだけは耐えられるものではない。人はどんな些細なことでもいい、どんなに他愛のないことでもいい、誰かに何か話していたいものだと思う。人は一人では生きていけない寂しい存在なのだ。看護師とか介護士という職業は、こうした人間のわがままを正面から受け止めないといけないから、大変な仕事である。高齢になった人や病んでいる人はどうしてか自分を制することが出来ない。いやそれだけ、自分を受け入れて欲しいと願っているのだ。看護師や介護士になる人は、人が好きで人の役に立ちたいという気持ちが人一倍強いからありがたい。

 ひとりで「死」に向かう人にとって、看護師や介護士はかけがえのない存在であることは間違いない。
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