友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

マスコミは自社の姿勢を示した方がいい

2008年10月09日 22時03分20秒 | Weblog
 私のブログに2回も連続してトラックバックしてくれた人がいる。コメントとは違うトラックバックの意味が私にはわかっていないのかもしれない。どなたが送ってくれたのかわからないが、その内容は、「1993年の民間放送番組調査会の会合の中で、テレビ朝日の椿報道局長が選挙時のテレビ朝日局の報道姿勢に関して、“小沢一郎氏のけじめをことさら追及する必要はない。今は自民党政権の存続を絶対に阻止して、なんでもよいから反自民の連立政権を成立させる手助けになるよう名報道をしようではないか”との方針を局内でまとめた、という趣旨の発言を行なう」というものである。

 トラックバックの仕組みが私にはわからないので、どうしてわざわざ私のようなもののところにこんなものを送ってくれたのか、不思議でならない。私のことをよく知っている人なら、こんなものを送ってくるはずがないと思うからだ。送り主はどのような意図なのだろう。文面から推測すると、テレビ朝日はこんなにケシカランことをやっているということなのだろう。けれども私は、マスコミはこんなものだろうと思っているので、ケシカランという気持ちが全くない。

 報道は神様のように間違いを犯さないもの、中立で公平で正確なもの、そう信じている方は、椿局長の発言に怒りを覚えるかもしれない。けれども私は、報道に関係した者として正直に言うけれど、中立で公平で正確な報道などありえないと思っている。まず第一に中立、中立というけれど何が中立なのか誰も立証できない。公平だって同じだ。正確であるべきだから、これはできる限り裏づけを取るように務めるのは記者の義務だ。けれども記者は人間だから、自分の思考や思想から自由ではないし会社も同じだ。

 報道は中立・公平であるべきだとみんなが言う。報道各社はそのように努力しているだろうが、結果は必ずしもそうではないし、決してそうなるものではないのだ。むしろ中立ではない、公平でもない、とみんなが理解した方がいいと思っている。私は逆に、朝日新聞はこういう考え方の新聞とか、読売テレビはこういう考え方のテレビ局とか、マスコミはもっと自社の色合いを出すべきだと思っている。受け取る側が、これの好き嫌いをハッキリすればよいと思っている。

 なまじ、マスコミは中立・公平などというありえないことを求めることは、逆に中立や公平が存在するような幻想を与え、人々を惑わすことになる。人は自分で好きとか嫌いという意思表示を持つべきだ。そうしないといつまでも誰かの判断に従うことになる。
コメント
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