友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

合性

2008年10月22日 20時33分56秒 | Weblog
 合性というものがある。だれだれとは合性がよいが、だれだれとは合性が悪いなどとよく聞く。何十億人もの人間がいるのに、ひとりの人と結ばれていく。もちろん、人間が出会える人の数には限りがあるから、もっと少ない数の中からではあるが、それにしても結ばれるその確率はかなり小さな値であると思う。そんなすごい出会いであるはずなのに、その出会いは案外簡単なことが多い。

 友だちであったり、職場の仲間であったり、だれそれの紹介であったり、恋人のことを相談しているうちにその相手と結婚したり、いやいや挙げればきりがないほどいろんなケースがあるはずだ。出会いはたまたまであっても、結婚にいたる課程はまるで小説のような紆余曲折という人たちもいる。だからこそドラマになる。ところが結婚して、生活してみて、合性が悪いことに気がつく場合も多々ある。

 合性とは一体何なのだろう。今、プロ野球はクライマックス・シリーズで、巨人対中日の試合が行なわれている。ここでも、「この投手にはバッターは合性がいいですからね」と解説されたりする。合性がよいとは、打率が高いということだ。投手は同じように投げているように見えても、バッターからすると打ちやすい投手と打ちにくい投手がいるのだ。

 男女ではなく同性でも、見た目からもう合性がよさそうとか、あれとは合性が悪いとか決めてしまい人だっている。そういう時の基準は一体何なのだろう。そうかと思えば、付き合っていくうちにだんだんと相手の気心が知れ、合性がよくなるケースもあるし、当然逆のケースもある。誰とでも合性がよいように振舞えば八方美人だと言われ、なかなか付き合う人がいなければ意固地な奴と言われる。

 人間社会はとかく難しいけれど、合性のいい人ができるだけたくさんいる方が楽しいはずだ。何もかもとろけていくような合性の良い人に出会うならば、最高の出会いだと思っていいだろう。人を愛せない人は結局、合性のよい人に出会うことがないのかな。

 今のところ、野球の方は3対3の同点で、どちらがどちらに合性がよいとは言えないようだ。いや待てよ、こういう試合は合性がよいのだろうか。
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