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友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

孫娘の水泳大会

2008年10月19日 22時40分11秒 | Weblog
 孫娘の水泳大会を見に行ってきた。本当のことを言うと、私はあまり行く気がしない。子どもに必死になって声援を送る熱いお父さんやお母さんが多いところへ出かけていくと、私はひねくれ者なのかいっそう醒めてしまう。子どものために親が夢中になることを微笑ましく思っているのに、あの雰囲気の中に入っていくと、どうぞご勝手にといった気持ちの方が強くなってしまうのはどうしてだろう。

 私自身は身体を動かすことは好きだ。子どもの頃から走ることは速かったし、バスケットやサッカーはやっていても面白いと思った。テニスは子どもたちが大きくなってから家族で行なう程度だが、もっと若い時にやってみたかったと思うくらいだ。スキーやスケートも試してみたいと思うだけで、結局はしないうちに歳を取ってしまった。カミさんはゴルフに夢中だが、私にはどうしてもお金持ちのお遊びという意識が抜けない。

 チームプレーを基本とするスポーツよりも個人的に汗を流すものの方が好きだというのもひねくれている。最も悪いのは、所詮スポーツではないか、そんなに勝敗や結果にこだわるなんて自分には出来ないという気持ちだ。そもそもスポーツには勝敗や結果があるから面白いのに、だからこそ皆は努力するのに、それを素直に受け止めようとしないのだから当然熱狂的なスポーツ好きにはなれない。

 水泳は100分の何秒を争う。見ていても本当にタッチの差で結果が決まってしまう。1位の子どもと2位の子どもの間にどれほどの努力の差があるというのか、そんな風に私は見るクセがあるから、スポーツを見ていても面白くない。仕方がないので、お父さんやお母さんの声援でうるさい観客席の片隅で、読みかけの小説を持ち込んで読んでいた。孫娘のプール仲間のお母さんが「ご苦労様です。頑張っていますね」と声をかけてくれるのに、「ここへ来るのはいやなんですが、運転手として使われているんですよ」などと、別に言わなくてもいいことを口にしている。

 馬鹿だなと、後からそう思う。わざわざそんなふてくされた言い方などしなくても、「ありがとうございます。良い結果が出るといいですね」くらいの社交辞令を言っても罰は当たらないし、本来は大人としてそうすべきだろうと思う。私が皮肉交じりに「ここへ来るのはいやなんです」と言ったところで、それを聞いたお母さんが本当にいいことを言うわねとは誰も思わないだろう。むしろ不愉快な気持ちになる。誰もが喜ばないようなことを言うのは大人気無い。皮肉な言い方しかできないのは、人間として不完全だ。

 孫娘のプール仲間のお父さんに出会って話していて、自分が小さいことに気が付いた。このお父さんの中学3年の息子はバタフライで全国第2位の実力者だ。「周りの皆さんは『お父さんも水泳が得意なんですか』と聞かれるけど、私は泳げません。私の子どもの頃は学校にプールもありません。息子が小児喘息だったので、水泳をやれば少しは肺も強くなるのかなと思ってプールに通わせたんです」。お父さんの話は実直だ。「息子の水泳の成績が良くなってきて、あちらこちらの大会に出るようになって、それは嬉しい反面で大変です。近いところの送り迎えくらいならいいけれど、東京とか新潟とかなれば、交通費だけでも追いつきません。それでも息子が、1年に2秒ずつ縮めれば4年後にはオリンピック記録になるよと言うんですよ」。

 いいなあ、スポーツには夢がある。そう思った。
コメント
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