友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

アンサンブル・アミー演奏会を聴いて

2008年10月08日 22時53分45秒 | Weblog
 視覚障害者のラテンバンド「アンサンブル・アミー」の演奏会を聞きに行った時、少なからず面食らった。これほどまでに聴衆と楽団が一体化した演奏会は私には始めての体験だった。有名なミュージッシャンが会場の聴衆と一体化した映像を見たことがあるが、自分が体験することは一度もなかった。会場から演奏者に声援が飛ぶと演奏者は一段とエキサイティングな演奏を披露する。すると聴衆はさらにテンションが高くなる。

 恥ずかしい話だけれど、障害がある人に対してはどうしてもかわいそうとか気の毒という気持ちが先に立ってしまう。私自身もメガネがなければ物が見えないし、左足と両手は骨折しているから障害があるのに、自分は健常者の気になっている。私の左足の骨折のことを知らない人は、左足を引きずって見えるようだけれど大丈夫ですか?と聞いてくる。疲れているのか怪我をしているのかと推測して心配してくれるのだ。

 私が障害のある人を見て、かわいそうとか気の毒とか思うのと同じように、足の動きがちょっと人と違うことを見て取った人は、かわいそうにとか気の毒にと思うのだろう。障害のある人も障害のない人も、人として変わりないとは理屈ではわかっていても感覚では差別して受け止めてしまうのはなぜなんだろう。

 「アンサンブル・アミー」の事務局を引き受けている山田弘さんにお会いした。大和塾での講演会の講師をお願いするためだ。結果的には快く引き受けていただいたが、その時の話し合いでも、目の見えない山田さんを「目暗?」と言っていいものなのかと迷ったし、障害があるというだけでなぜか健常者は障害者を見下げたような態度を取ってしてしまうが、それは障害者に予想以上の苦痛を与えることにならないか、心配だと伝えた。

 山田さんは気さくな方で、そういう気兼ねをする必要はないと答えてくれた。それでもじゃあどんな風に接すればよいのかとなると難しい気がする。そこで率直に山田さんから見て、どのようにすることが平等な社会の実現なのか、話してもらおうと思い、そんな話もしてみた。山田さんは、よくある質問というような雰囲気で、「わかりました。何とかやってみましょう」と言ってくださった。来年1月17日に行う、大和塾の市民講座が楽しみになってきた。

 人はいつも自分だけは正常だと思っている。人と違うことに恐れを抱いている。だから、みんなが同じように考え、同じような行動し、同じような結論に達するものだと願っている。違う人は「変な人」というのはマイナスのイメージだ。けれども一人ひとりをよく見れば「みんな違ってみんないい」はずだ。私はそう思っている。
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