友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

中学2年はもう大人だ

2008年10月17日 22時50分25秒 | Weblog
 子どもたちの元気な声が聞こえてくる。子どもたちの社会も実は大人の社会のミニ版であることには大人は気が付いているのだろうか。前期児童会長を務めていた男の子がピンチになっている。この子は成績が良くて、小さいときから学級委員を務めるリーダー的存在だった。体育能力にも優れ、学校ではサッカー部に属して部長を任されていたし、地域では野球クラブのキャプテンである。6年生になってみんなは身体が大きくなっていくが、どちらか言えば彼は成長が遅く小柄である。

 後期の児童会会長に立候補して当選したのは、彼と同じ通学団で同じ野球クラブのエースだ。それまでは前期会長の存在が大きく目立たなかった。ところが今、大きく逆転してきたのだ。前期会長は代表委員に推薦されたけれど、彼は学級委員をやりたいからと辞退した。ところが、学級委員には後期会長に当選した子が推薦した前の代表委員が当選し、前期会長は無役となってしまった。ここから、クラスの雰囲気が変わってきた。

 前期会長は教室でポツンと一人でいることが多くなったのに対し、後期会長らのグループは放課にはみんなで活き活きと遊んでいる。サッカーでは前期会長よりも後期会長の方が身体も大きく動きも良いようだ。内気で内向的な前期会長よりも元気者で外交的な後期会長の方が子どもたちの受けは良いのだ。この逆転の結果ではないだろうが、前期会長は腹痛に見舞われることが度々重なり、学校へ遅れてくることもある。

 そんな子どもの話を中学2年の孫娘としていたところ、孫娘は「そんなことはよくあることだよ。きっとその子も今は落ち込んでいるかもしれないけれど、中学になればまた変わるから、そんなに気にすることはないと思う」と言う。さらに「元気がないとか、学級委員になれなかったのは残念だったねとか、その子はきっと気にしているのだから、あんまり元気付けようとして傷口には触れるようなことは言わないほうがいいと思う」と話す。

 中学2年という歳は思った以上に大人なのだと思った。確かに人生には浮き沈みはあるのだから、むしろ、そう受け止めることが彼のこれからの人生を豊かにしていくことになるだろう。自分が思い描いていたように進むことなど人生には滅多にない。それでも人が生きていくことに前向きになれるのは、いつか良い時が必ず来ると思うからだ。
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