友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

どうして風は止まないのか

2010年05月12日 15時19分06秒 | Weblog
 朝から、いや昨日の夜から、激しい勢いで風が吹き荒れている。ルーフバルコニーに置いている鉢植えの木々が可哀想なくらいに揺れている。咲き出した薔薇もこの風の中で、やっと花びらを持ちこたえている。このまま、風が収まらなければ、夕方からのパーティーの場所を考え直さないといけないだろう。我が家の上に住む友だち一家のお姉さんがアメリカから昨日帰国した。真ん中の娘さんだったかも一緒に来ている。

 その娘さんが「パソコンを使いたいが、英文にならないので教えてやって欲しい」と友だちが言うので、彼の家に出かけて行ってきた。他人の家のパソコンは操作がよくわからない。娘さんに「我が家へおいで」と連れてきた。娘さんは「ワタシ、ニホンゴ、チョットダケ」と言う。「大丈夫、分かるからいい」と日本語で言い、彼女を招き入れる。我が家のパソコンも動きは悪いが、操作は分かっている。

 インターネットにつなぐ。彼女は長い英文を打ち始めた。「早く打てるのね!」とカミさんは感心するけれど、私たちが日本語の作文が素早く出来るのと同じだろう。彼女は「ドウモ アリガトウゴザイマシタ」と言って帰っていった。あれから3時間近くになるけれど、未だに風は止まない。このままではルーフバルコニーでの歓迎会はできそうにない。困った。きっと、友だちは「大丈夫、止みますから」と言うだろう。運動会の時も、秋のバスツアーの時も、ゴルフの時も、友だちの予言どおりの天気になるから不思議だ。

 ここは待つより仕方がない。お天気が変わるのを待つのも、恋しい人からの便りを待つのも同じだ。じっと耐える以外にない。何時まで待てば良いのだろうかと時々西の空を見る。恋人ならば差し当たり、メールボックスを何度も見に行くのだろう。アーサー・ケストラーの『真昼の暗黒』を読み始めてしまったので、次女のダンナが好きだという村上春樹はまだ本棚に置かれたままだ。新聞の書評にあったこの本はスターリン時代の大粛清をテーマにしている。人は大きな力には弱い。

 風とか、雨とか、そういう自然の力の前では人は確かに無力だけれど、人はヒトそのものが作り上げた社会にあっても、その流れに逆らうことには無力のようだ。それがヒトの力以上の作用を生み出して、なんともならない仕組みとなっていくのだ。馬鹿馬鹿しい。ヒトが作り出した社会なのに、その動きを止められないとはなんという悲劇なのだろう。『真昼の暗黒』の主人公は、手にした権力が次の者が握れば反逆者になるというロシア革命の歴史の中で、自分の立ち位置を以外に冷ややかに見つめている。

 そうか、風が止むのを待つ以外に手はない。どんなに清く正しく生活したとしても、貪欲な生活であったとしても、自然は自然の論理で動く。なのに、ヒトは清廉な生活者には福が来ると言う。そうでありたいし、そうでなければ倫理が成り立たないからだろう。風はまだ止まない。
コメント (1)
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