友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

自分が考える

2010年05月03日 20時00分39秒 | Weblog
 長いこと放っておいたルーフバルコニーの植木鉢を初夏向けに並びなおした。植木の手入れもしなくてはならず、水遣りや枝打ちそして雑草抜きなどを行なった。植木などは本当に正直で、私が手をかけなければ枯れてしまうかあるいは花が小さくなってしまう。愛情を持って育てていればそれなりにキチンと応えてくれる。昨年、買って来た薔薇は大きく成長し、見事な花を咲かせてくれた。これを維持していくためにはいっそう手間をかけなくてはならない。

 中学校からの友だちが、かつて彼が書き上げた「悲しい詩」を読み返している。悲しいのは実らない恋だからである。プラトニックに徹したいと思う気持ちと、それを超えようとする気持ちが繰り返す様子を見事に表現している。不倫の恋の悲しさである。超えたいけれど、そうすることで失うものが怖い。ここには、愛情を持って育てていけば大きく実るものがない。正直に応えようとしてもそれは出来ない。家族がある男女が好きになることは、そうではない男女のようになぜ育てることが出来ないのだろう。

 彼は「愛しているよ 愛しています やっぱり あなたのものにはなれないの 言葉の重さが気になって 時間がいつもの速さで過ぎていく 遭ってから とめどない愛の繰り返し 12年間 余りに愛するが故の繰り返し」と書いている。彼は欲情を抑えることこそが人としての生き方と考える。結婚した男女がその相手以外の人に恋することは洋の東西を問わず、古代から問題になってきた。それくらい守りにくいものなのだ。いっそのこと、自由にしてしまったらという考えの集団が生まれたこともある。

 今日は、憲法記念日。自由恋愛を謳う憲法が生まれたなら面白いのにと思うのは私だけなのだろうか。そんなことになったら滅茶苦茶の世の中になってしまうと言う人は圧倒的に多いだろう。人は人間をそのように理解していることの表れだ。5月1日の朝日新聞に「地方議員の役割」が特集されていた。議員になったばかりの人が私に「たとえば、堤防の雑草を刈ってくれと頼まれたら、役所にその人と出かけていって頼んでもいいんでしょうかね」と尋ねて来た。私は「何を大切に考える議員かということだ」と前置きして話した。

 議員は公正・公平・透明であるべきだ。こんなことがあった。マンションでは管理費や修繕費を集めているが、ある人が「私は1階に住んでいるので、エレベーターは使わない。それでも修繕費が同額では不公平だ」と言った。そういう人にどう答えたらいいと思うかと彼に聞いた。「難しいですね」と言う。「自分の考える公平とはこういうものです」と答えられることが大事で、それで説得できなくても仕方がない。民主主義は必ずしも多数が正しいわけではないし、ましてや真理ではないのだから、みんなでどう考えるか、徹底的に話し合って至った結論に従っておこういうもの。

 悲しい恋の話からかなり逸れてしまったけれど、実際はそれぞれがどう考えるかに落ち着くと私は思っている。
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