友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

言葉の重さ

2010年05月31日 20時15分57秒 | Weblog
 社民党の福島瑞穂党首は「言葉に責任を持つ」と言い、普天間基地の辺野古への移設を明記した政府方針に反対し、閣議での署名を拒否した。政治家が言葉に責任を待たないことはあってはならないことだ。しかし、多くの政治家は言葉に責任を持たない。追求されるのを避けるためだったか、「言語明瞭、意味不明」の首相もいた。鳩山首相ははっきり言うけれど、その内容はどんどん変化し、「申し訳ないと思っている」となった。

 そんな風に、意図していい加減なことを発言しようとしたわけではないけれど、結果としては全くでたらめな発言だった。福島さんに言わせると鳩山さんは決して思いつきで発言する人ではないようだ。それがなぜ、こんなにもグルグルと発言内容が変わってしまうのだろう。その点について、福島さんは「首相の思いを実現するためのプロジェクトができていない」と指摘する。国外や県外への移設を行うための特別チームが政府にも民主党にもない。やはり、鳩山さんのリーダシップが問われることになる。

 内閣支持率は17%に落ち込んだ。社民党の連立からの離脱のせいとはいえないだろう。総選挙で国民の多くが民主党に投票したのは、自民党はダメだという気持ちと、民主党への期待だった。しかし、鳩山政権は「言葉に責任を持つ」ことができない。国民は確かに新しい政治に自民党と差異を求めた。それは「誠実」であり「言葉に責任を持つ」ことだった。結果的に同じような政策になってしまったとしても、民主党政治に「誠実」が感じられれば良かったのだ。

 私たち普通の人間は、時々「言葉に責任を持つ」ことを怠ることがある。約束したことをきちんと守ろうとしても、急に仕事が入ってきたり、お金がなかったり、予期しないことが起きたりして実行できない場合もある。いつもそんなことばかりしていると、この人は本当は約束を実行する気が初めからないのではと疑いたくもなる。けれども多くの場合は当人の対応の仕方を見れば大体分かる。

 誠実であることと隠し事があることとはまた次元が違う。鳩山さんは誠実に振舞っているけれど、どうしてそのような結論になってしまうかについては明らかにしていない。お昼過ぎに新聞屋さんが集金に来た。「はーい」と言って出たけれど、財布を見たら何も入っていない。午前中に銀行へ行かなくてはと思っていたのに、ケロッと忘れてしまっていた。どこかに仕舞い込んだお金はないかと探したが見つからない。「すいません。お金が見つからなくて、明日でもいいですか?」とお願いする。

 お金が無いなどと恥ずかしいことは言えないと思ったけれど、それに代わるウソが見つからなかった。後から思うと、「えっ、お金が無い?」と集金人の女性は我が家の財政状況を危ぶまれたのではないだろうかと気になった。まあいいか、ウソをつくより本当のことを言ったのだから。そして、次女がまだ幼かった頃、「本当のことを言っただけなのに」と嘆いていたことを思い出した。

 それからもうひとつ。台湾紀行の中で「日月潭」を間違って表記していた。中学時代からの友だちが教えてくれた。
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