「ウサマ・ビンラーディン容疑者は、米海軍特殊部隊SEALS(シールズ)隊員に、頭部を撃たれ殺害された」と報道があった。テレビでアメリカのオバマ大統領がその経緯を述べていた。私はウサマ・ビンラーディンを擁護する気はないし、彼の考えに同調する気もない。主義主張のために人を殺していいとは絶対に思えない。ウサマ・ビンラーディンが、虐げられた人々を思ってテロを行なっているとしても、だからと言ってその行為が正しいとは思わない。圧倒的な軍事力の前では何も出来ないことは理解できるし、テロという方法での抵抗しかないこともわかるけれど、人の死の上に幸せは築けない。
圧倒的な力の前で、いったい何ができるのかと言われるかも知れないが、同じ土俵でいくら小さな武力で戦うと言っても、やはり侵略者と同じだと言えないだろうか。今日も、先日の市議選挙に立候補して破れた人が来て、「税金を湯水のように使い今の市政を止めさせるにはどうしたらいいのでしょうね」と言う。民主党が政権交代を実現した頃までは、「変えていこう」という空気があった。けれども政権を取った民主党の不甲斐無さに、さらに今回の震災の対応のまずさばかりが目に付いて、国民の意識は保守化した。現状維持であり、経験のある行政に傾いた。
だから、「変えよう」というスローガンは受け入れられなかった。国民の多くは、たとえ税金を湯水のように使っていたとしても、本当はそれが見えていないのだろうけれど、有権者は選挙でこれを良しとしたのだ。長いものに巻かれろを良いことだとは思わなくても、当面は新しいことや正しいと思われることに目を瞑っていくことを選択したのだ。それを間違っているとか、正しくないとどんなに言ったところで変わりはしないと私は思っている。世論とはそういうもので、世論を動かすだけの力が私たちの側にはないということだ。
アメリカの社会は圧倒的な軍事力でまだ世界を支配できると思っているけれど、アメリカ経済が頭打ちにあるように、アメリカ社会の自己矛盾がやがて自爆する時が来るだろう。人類の歴史が一箇所で長続きしなかったように、新しく歯車が回り始めるだろう。どのような社会になっていくのか私にはわからないけれど、少なくとも圧倒的な軍事力が支配出来る時代ではなくなるだろう。自給自足の社会になるとも思えないけれど、いつまでも右肩上がりの社会では社会そのものが維持できなくなるだろう。そんな風にして歴史は変わっていくのだろうが、そこに住む人々にはその変化が見えないのだ。
「市政や市議会の改革はできていきますか?」と問うけれど、市民がそれを求め続けていくことがカギになるだろう。こんな市政では、こんな議会では、我慢ならないと市民が思えば、やがていつか変化が生まれるはずだ。そう思う市民が多ければ、当然市政は変わるだろう。自分が歴史にどうかかわるのか、いやもっと普通に、自らが政治にどう声を上げていくか、市民一人ひとりに問われていると思う。
圧倒的な力の前で、いったい何ができるのかと言われるかも知れないが、同じ土俵でいくら小さな武力で戦うと言っても、やはり侵略者と同じだと言えないだろうか。今日も、先日の市議選挙に立候補して破れた人が来て、「税金を湯水のように使い今の市政を止めさせるにはどうしたらいいのでしょうね」と言う。民主党が政権交代を実現した頃までは、「変えていこう」という空気があった。けれども政権を取った民主党の不甲斐無さに、さらに今回の震災の対応のまずさばかりが目に付いて、国民の意識は保守化した。現状維持であり、経験のある行政に傾いた。
だから、「変えよう」というスローガンは受け入れられなかった。国民の多くは、たとえ税金を湯水のように使っていたとしても、本当はそれが見えていないのだろうけれど、有権者は選挙でこれを良しとしたのだ。長いものに巻かれろを良いことだとは思わなくても、当面は新しいことや正しいと思われることに目を瞑っていくことを選択したのだ。それを間違っているとか、正しくないとどんなに言ったところで変わりはしないと私は思っている。世論とはそういうもので、世論を動かすだけの力が私たちの側にはないということだ。
アメリカの社会は圧倒的な軍事力でまだ世界を支配できると思っているけれど、アメリカ経済が頭打ちにあるように、アメリカ社会の自己矛盾がやがて自爆する時が来るだろう。人類の歴史が一箇所で長続きしなかったように、新しく歯車が回り始めるだろう。どのような社会になっていくのか私にはわからないけれど、少なくとも圧倒的な軍事力が支配出来る時代ではなくなるだろう。自給自足の社会になるとも思えないけれど、いつまでも右肩上がりの社会では社会そのものが維持できなくなるだろう。そんな風にして歴史は変わっていくのだろうが、そこに住む人々にはその変化が見えないのだ。
「市政や市議会の改革はできていきますか?」と問うけれど、市民がそれを求め続けていくことがカギになるだろう。こんな市政では、こんな議会では、我慢ならないと市民が思えば、やがていつか変化が生まれるはずだ。そう思う市民が多ければ、当然市政は変わるだろう。自分が歴史にどうかかわるのか、いやもっと普通に、自らが政治にどう声を上げていくか、市民一人ひとりに問われていると思う。