「塾に行かなくても、ちゃんとした高校へ行ける、そういう勉強の場を設けたいのです」と彼は言う。「塾に行かなければちゃんとした高校へ入れない、と言うのは大手学習塾の宣伝なのではないでしょうか」とも話す。もちろん私も学習塾に通わなくても、ちゃんと高校へ行けると思っている。中学校での授業で充分のはずだ。学習塾へ通わないと高校へ行けないのではと親たちが互いに思うので、子どもを塾に通わせているに過ぎない。本来子どもたちの学習は、小学校から中学校までの9年間で、一人前の人間として充分な知識を身に付けさせている。
先日も、夏祭りの打ち合わせを何人かの若い人たちと一緒に行なったけれど、みんながみんな大学を出ているとは思えないが、実にまともな会議だった。これをやる為にはいつどこで決めなくてはならないか、そのためには原案をいつまでに作るのか、原案を作るために情報をいつまでに入手して整理しなければならないか、みんなでキチンと確認していった。社会で生活していくための根幹になる部分が構築されていれば、それで人間の教育は充分であろう。それ以上に勉強しようとするのは、自分の力量を高めるためであり、事の本質を見極めるためであろう。
普通高校は私たちの頃から、いやもっと以前から大学へ行くための予備校になっている。専門の高校は主には専門学科だけれど、一般教養として数学も英語もあり、それもどうしてなのかと思うほど難しいことを教えている。そう考えてみると、大学入試がネックなのではないかと思う。このごろでは一芸に秀でた者であれば、入試の成績に関係なく合格させる大学もあるという。大学の数が多すぎるのに、受験生の数が少なくなっているためだ。そうであるなら、どこの大学に入っても、どこの大学でも履修できるようにしてもらいたいものだ。大学の差がありすぎるから、大学の権威を保とうとしすぎるから、大学入試が難しくなり過ぎているのだと思う。
誰もが、自分が希望する大学に入ることが出来る(ようにしている)。そこで好きなことを学ぶことが出来る。よその大学でもまた同じように学ぶことが出来る。そうした自由が保障されているなら、本当に勉強したい人だけが勉強するだろうし、大学に行きたいと思うだけの人は中途で退学していくだろう。肝心なのは、中途で退学してもその後の生活に支障がないことだと思う。もっと言うなら、大学などはどこでもいいという価値観がみんなの中で共有されなければならないだろう。
本来、人は何のために学ぶなのかといえば、まずは自分をもっと高めたい、もっとお金を稼ぎたいということなのだろう。大学卒業者が少しずつ増えてきて、誰もが大学へ進めば幸せになれると思うようになった。けれどもそれは幻想でしかなかった。どんなによい大学を出ても、よりよい会社で出世してみても、少しも変わらなかった。むしろ高学歴が災いして、夢と現実の区別が付かなくなってしまった。
人はなぜ学ぼうとするのだろう。
先日も、夏祭りの打ち合わせを何人かの若い人たちと一緒に行なったけれど、みんながみんな大学を出ているとは思えないが、実にまともな会議だった。これをやる為にはいつどこで決めなくてはならないか、そのためには原案をいつまでに作るのか、原案を作るために情報をいつまでに入手して整理しなければならないか、みんなでキチンと確認していった。社会で生活していくための根幹になる部分が構築されていれば、それで人間の教育は充分であろう。それ以上に勉強しようとするのは、自分の力量を高めるためであり、事の本質を見極めるためであろう。
普通高校は私たちの頃から、いやもっと以前から大学へ行くための予備校になっている。専門の高校は主には専門学科だけれど、一般教養として数学も英語もあり、それもどうしてなのかと思うほど難しいことを教えている。そう考えてみると、大学入試がネックなのではないかと思う。このごろでは一芸に秀でた者であれば、入試の成績に関係なく合格させる大学もあるという。大学の数が多すぎるのに、受験生の数が少なくなっているためだ。そうであるなら、どこの大学に入っても、どこの大学でも履修できるようにしてもらいたいものだ。大学の差がありすぎるから、大学の権威を保とうとしすぎるから、大学入試が難しくなり過ぎているのだと思う。
誰もが、自分が希望する大学に入ることが出来る(ようにしている)。そこで好きなことを学ぶことが出来る。よその大学でもまた同じように学ぶことが出来る。そうした自由が保障されているなら、本当に勉強したい人だけが勉強するだろうし、大学に行きたいと思うだけの人は中途で退学していくだろう。肝心なのは、中途で退学してもその後の生活に支障がないことだと思う。もっと言うなら、大学などはどこでもいいという価値観がみんなの中で共有されなければならないだろう。
本来、人は何のために学ぶなのかといえば、まずは自分をもっと高めたい、もっとお金を稼ぎたいということなのだろう。大学卒業者が少しずつ増えてきて、誰もが大学へ進めば幸せになれると思うようになった。けれどもそれは幻想でしかなかった。どんなによい大学を出ても、よりよい会社で出世してみても、少しも変わらなかった。むしろ高学歴が災いして、夢と現実の区別が付かなくなってしまった。
人はなぜ学ぼうとするのだろう。