昨夜は名演で、俳優座の『リビエールの夏祭り』を観た。舞台の幕が下りた時、周囲の人々は大きな拍手を送り続けたのに、私はなぜか腹立たしい気持ちだった。それは自分が周囲の人々と同じ気持ちになれなかったことへの怒りだったのか、舞台への失望だったのか、本当のところはよくわからない。美術は朝倉摂さんとあった。確かに凝った工夫が随所にあり、舞台は1つの絵画のように見える時もあった。そう、そこが問題だったのかも知れない。舞台は一瞬だけれども絵画のような美しさを放つけれど、それはやはり長い舞台の中では限られていた。
序幕はあまりにも退屈だったし、まるで高校演劇のような雰囲気だった。そして次第に物語の核心が見えてくる、いや、見えてくるはずだった。喫茶店のママには時々泊まっていく若い男がいる。ある日、ママは店の前を通っていった浮浪者の男を見てビックリして跡を付けて行く。男は橋の下に簡素な小屋を立てて、人々が捨てたものを集めて暮らしている。終戦から14年が経っているが、記憶を失った男は誰も自分を理解してくれないからと、ゴミを集めてひとりで暮らしているのだ。男が自分の夫だとわかったママは男を喫茶店に呼び、食事をしたり昔話をしたりして、過去を呼び戻そうとするが、結局男は店を飛び出して行ってしまう。
ストリートしては単純なものだが、上演は2時間15分と結構長い。脇役の存在もなぜいなければならないのかよくわからない。いや全体に私にはわからないことばかりで、イライラが募るばかりだった。愛する夫を待つ妻が主題であることは間違いないだろうけれど、それを今、つまり終戦から60数年も経て上演するつながりが見えない。蒸発してしまった夫が記憶喪失で戻ってくるという設定でもかまわないようなテーマではないか。それに14年間夫を待ち続けた妻だけれど、たとえ慰めであったとしても、若い男とは男女の仲になっている。そういう女が昔愛し合った夫と出会いどうしたかったのか、それもよく見えない。
夫に帰って来て欲しいのであれば、初めから「あなたは私の夫なのです。記憶が無くて理解できないかも知れないけれど、これからはここで一緒に暮らしましょう」と引き込んでしまうべきではないか。男は誰からも相手にされなかったために、乞食の生活に満足してしまっている。それを解いてあげることが出来るのは妻であるママだけだろう。しかし、ママは男が元の夫に戻ることを望んだ。元の夫でなければ受け入れられなかったのだ。元の夫に戻すことが、夫と自分の幸せになると思い込んでいる。これでは記憶を失った男の気持ちなど何も考えていないのと同じだ。
だから、男がママのところから逃げ出しまったのも当然だ。けれども、ママにはまだ若い男がいるではないか。記憶を無くした夫のことなど忘れて、これまでどおり若い男とうまくやっていけばいい。逃げ出した夫もまた自由な浮浪者の生活を続け、いつか野垂れ死にするだろうけれど、それを不幸だと誰が決め付けられるだろう。いったいこの演劇は何を観客に伝えたかったのか、舞台の美しさとは別に、最後までよくわからなかった。
序幕はあまりにも退屈だったし、まるで高校演劇のような雰囲気だった。そして次第に物語の核心が見えてくる、いや、見えてくるはずだった。喫茶店のママには時々泊まっていく若い男がいる。ある日、ママは店の前を通っていった浮浪者の男を見てビックリして跡を付けて行く。男は橋の下に簡素な小屋を立てて、人々が捨てたものを集めて暮らしている。終戦から14年が経っているが、記憶を失った男は誰も自分を理解してくれないからと、ゴミを集めてひとりで暮らしているのだ。男が自分の夫だとわかったママは男を喫茶店に呼び、食事をしたり昔話をしたりして、過去を呼び戻そうとするが、結局男は店を飛び出して行ってしまう。
ストリートしては単純なものだが、上演は2時間15分と結構長い。脇役の存在もなぜいなければならないのかよくわからない。いや全体に私にはわからないことばかりで、イライラが募るばかりだった。愛する夫を待つ妻が主題であることは間違いないだろうけれど、それを今、つまり終戦から60数年も経て上演するつながりが見えない。蒸発してしまった夫が記憶喪失で戻ってくるという設定でもかまわないようなテーマではないか。それに14年間夫を待ち続けた妻だけれど、たとえ慰めであったとしても、若い男とは男女の仲になっている。そういう女が昔愛し合った夫と出会いどうしたかったのか、それもよく見えない。
夫に帰って来て欲しいのであれば、初めから「あなたは私の夫なのです。記憶が無くて理解できないかも知れないけれど、これからはここで一緒に暮らしましょう」と引き込んでしまうべきではないか。男は誰からも相手にされなかったために、乞食の生活に満足してしまっている。それを解いてあげることが出来るのは妻であるママだけだろう。しかし、ママは男が元の夫に戻ることを望んだ。元の夫でなければ受け入れられなかったのだ。元の夫に戻すことが、夫と自分の幸せになると思い込んでいる。これでは記憶を失った男の気持ちなど何も考えていないのと同じだ。
だから、男がママのところから逃げ出しまったのも当然だ。けれども、ママにはまだ若い男がいるではないか。記憶を無くした夫のことなど忘れて、これまでどおり若い男とうまくやっていけばいい。逃げ出した夫もまた自由な浮浪者の生活を続け、いつか野垂れ死にするだろうけれど、それを不幸だと誰が決め付けられるだろう。いったいこの演劇は何を観客に伝えたかったのか、舞台の美しさとは別に、最後までよくわからなかった。