友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

物理の先生は正しかった

2011年05月12日 21時09分51秒 | Weblog
 大震災のテレビニュースを見た小学生がいろいろと話し合っていた。「強制避難地域から転校してきた子がいじめられたことがあった」。「自分のこととは受け止められていないからだと思う」。「節電だって、いつかはしなくてはならない。それが早まっただけのこと」。「みんなで支え合っていけば、必ず復興できる」。「支え合うって、相手の立場に立つことだろう」。「そう。それが一番大事だと思う」。今時の小学生は高校生より賢いのではないかと思った。というのも、電車から降りて改札口を出ると大きな声が聞こえた。女子高生がケイタイで「なにやってんだ。早く出ろよ。なに?声が聞こえないんだよ。まだ電車の中?!オマエバカか!」と怒鳴っていた。

 見た目には可愛い女子高生である。男の子のような口の利き方をする子には見えなかった。この女子高生も小学校にいた時は、先の小学生たちのような優しい気持ちで「いじめたらいけないと思う」などと発言していたのだろうか。それとも、小学校の頃から「バカくさ」とか言っていたのだろうか。後者であれば、しょうがないかと思うけれど、前者なら、日本の教育が間違っているのではないか、少なくともどこかに問題がある気がする。朝日新聞にサウジアラビアでは日本の教育が注目されているという記事があった。日本人の礼儀正しさや思いやりの心は教育の成果であるというものだ。

 日本の学校では児童が給食の仕度や教室やトイレまでも掃除をする。そうすることで規律や思いやりを育てているが、サウジアラビアでは出稼ぎ外国人にやらせている。イスラム教では利子を認めないほどの厳しい戒律があると聞いた。「イスラム教が説く、誠実さとか清潔さといった価値観をどの国よりも体現していたのがイスラムとは無縁の日本だった」とサウジのテレビレポターは話していた。サウジアラビアをはじめとする湾岸各国は児童による教室の掃除を取り入れ始めているそうだ。日本の教育はこれほど高い評価を受けているのに、しかし、それが高校生になると一変してしまうのはどうしてなのだろう。

 小・中学校教育でやってきたことが、高校受験で大きく変わってしまう。今、日本人のほとんどが高校を出ているというが、それで高校で何を勉強してきたの?それはどのように役に立っている?と尋ねたら、どんな風に答えられるのだろう。私は高校の教員だったけれど、担任をしていて一番困ったのは数学と英語で及第点が取れない子がいることだった。それで、数学や英語の先生に特別に放課後面倒を見てもらった。私も数学は苦手で、どうしてこんな役に立たないことを勉強しなくてはならないのかと思い続けてきた。役に立たなくても卒業するためにはクリアしなくてはならない。それだけは教えて欲しいと先生たちにお願いした。

 私が高校生の時、物理の先生は「文系に行く者はこれだけは覚えておくように」と問題をひとつ板書してくれた。試験に出る問題で、解ければ及第点になった。物理や数学も大人になって面白いなと思えるようになったけれど、じゃあ解けるかと言われれば全く歯が立たない。微分や積分なんて未だにわからない。それでいいよと言ってくれた物理の先生は正しかったと、大人になって思った。
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