駐車場から車を出そうとした時、向こうから知り合いが歩いて来るのが見えた。その歩き方があまりにも覚束無かったので、すれ違うのを待った。「おはようございます」と声をかけると、「おはようございます」の返事が上ずっていた。歩くというよりも転がるような足の運びだ。目の前を通り過ぎて、4から5メートルほどのところで前に倒れられた。そこの車はエンジンがかかっていたから、万が一にも轢かれてしまってはと思って駆け寄った。「大丈夫だから」と言われるけれど、どう見ても様子がおかしい。
同じマンションの住民で、自治会長もされた先輩で、80代になられているだろう。保険会社に勤めておられ、私が自治会長の時に保険の契約を見直すことになったのだが、その時に大変立腹された。私は議員でもあったので、この人の家にも「後援会ニュース」を配布していたが突然に、「後援会に入会した覚えはない」と配布を拒否された。それまでは親しく話していただいていたのでビックリしたが、説得までして理解してもらおうとは思わなかった。以来、出会えば挨拶することはあっても親しく話すことはなくなった。
身体を抱えると異様に熱い。頭部を見ると玉のような汗が噴出している。「大丈夫だ」と言うけれど、どうも立って歩けない様子だ。「とにかく、この前の道は車が多いので、一緒に渡りましょう」と脇を抱えて横断する。「急に右足が痛くなって、歩けなくなった」と言われる。言葉も少しハッキリして来た。マンションの入り口まで来た時、娘の同級生のお母さんが見えた。事情を話して家まで送っていただくようにお願いした。
私が40代の頃、この人の前に自治会長をされた人には格別に可愛がってもらった。お酒の好きな人で、隣町のスナックに飲みに連れて行ってもらったこともあった。そんな和気藹々の役員会だったので、マンションの未来図を自治会ニュースに載せたこともあった。集会場はただ会議をする場だけでなく、その一角はカフェになっていて、みんながおしゃべりや読書している。駐車場の上には広場が造られ、子どもたちがキャッチボール遊びをしている。中庭の築山はジャングルのように樹木が茂り、小鳥の楽園になっている。そんな風景だった。
あれから20年の月日が流れた。マンションの住民も半分以上入れ替わったのではないだろうか。大和塾の長老が夏目漱石の『三四郎』を取り上げていた。残念ながら私は読んでいないが、長老が取り上げた『三四郎』は吉本隆明氏の『夏目漱石を読む』に出ていたので知っている。吉本氏を「私たちの世代では神様のような存在だった」と以前ブログに書いて、中学からの友だちから「そんな人は知らん」と怒られてしまった。友だちはもっとキチンとした説明をすべきだというのである。
長老は、『三四郎』は日露戦争以後の青年の姿を描いた小説で、「当時の20歳前後の青年といえば、東条英機や山本五十六もその世代で、『坊ちゃん』もほぼ同世代だから、敗戦後の日本の舵取りをした世代ということになる」と言う。三四郎が東京へ向かう車中で男に富士山を見せられ、日本一の名物だが我々が拵えたものではないと言われる。そこで三四郎は「日本も段々と発展するでしょう」と反論するが、男は「亡びるね」と言う。長老はこの部分に注目している。つまり、漱石の眼力にである。
同じマンションの住民で、自治会長もされた先輩で、80代になられているだろう。保険会社に勤めておられ、私が自治会長の時に保険の契約を見直すことになったのだが、その時に大変立腹された。私は議員でもあったので、この人の家にも「後援会ニュース」を配布していたが突然に、「後援会に入会した覚えはない」と配布を拒否された。それまでは親しく話していただいていたのでビックリしたが、説得までして理解してもらおうとは思わなかった。以来、出会えば挨拶することはあっても親しく話すことはなくなった。
身体を抱えると異様に熱い。頭部を見ると玉のような汗が噴出している。「大丈夫だ」と言うけれど、どうも立って歩けない様子だ。「とにかく、この前の道は車が多いので、一緒に渡りましょう」と脇を抱えて横断する。「急に右足が痛くなって、歩けなくなった」と言われる。言葉も少しハッキリして来た。マンションの入り口まで来た時、娘の同級生のお母さんが見えた。事情を話して家まで送っていただくようにお願いした。
私が40代の頃、この人の前に自治会長をされた人には格別に可愛がってもらった。お酒の好きな人で、隣町のスナックに飲みに連れて行ってもらったこともあった。そんな和気藹々の役員会だったので、マンションの未来図を自治会ニュースに載せたこともあった。集会場はただ会議をする場だけでなく、その一角はカフェになっていて、みんながおしゃべりや読書している。駐車場の上には広場が造られ、子どもたちがキャッチボール遊びをしている。中庭の築山はジャングルのように樹木が茂り、小鳥の楽園になっている。そんな風景だった。
あれから20年の月日が流れた。マンションの住民も半分以上入れ替わったのではないだろうか。大和塾の長老が夏目漱石の『三四郎』を取り上げていた。残念ながら私は読んでいないが、長老が取り上げた『三四郎』は吉本隆明氏の『夏目漱石を読む』に出ていたので知っている。吉本氏を「私たちの世代では神様のような存在だった」と以前ブログに書いて、中学からの友だちから「そんな人は知らん」と怒られてしまった。友だちはもっとキチンとした説明をすべきだというのである。
長老は、『三四郎』は日露戦争以後の青年の姿を描いた小説で、「当時の20歳前後の青年といえば、東条英機や山本五十六もその世代で、『坊ちゃん』もほぼ同世代だから、敗戦後の日本の舵取りをした世代ということになる」と言う。三四郎が東京へ向かう車中で男に富士山を見せられ、日本一の名物だが我々が拵えたものではないと言われる。そこで三四郎は「日本も段々と発展するでしょう」と反論するが、男は「亡びるね」と言う。長老はこの部分に注目している。つまり、漱石の眼力にである。