友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

「ケンカなんかしてないわよ」

2011年05月28日 18時03分23秒 | Weblog
 雨が降っている。この地方も梅雨に入った。しとしと降る雨はいいものだ。草木が活き活きしてくるように見える。井戸掘りに参加するようになって、雨降りでは作業が出来ないから困ったが、最近のように井戸掘りがうまく進まないことが続くと、雨でよかったと思うようになる。そんな気持ちがあったのでは作業などうまくいくはずがないから、どこかで切り替えが出来るような大成功をやり遂げなくてはならないと思う。

 旅行会社から香港旅行の詳しいしおりが届いたので、それを持って姉のところへ出かけた。網膜の病気で手術した姉の娘が、大学病院に通うのに都合がいいからと実家である姉の家にいると言う。姪っ子は52歳になるが、小さい時から目のクリッとした可愛い子で、ひとりっ子だったから甘えん坊だった。短大生の頃だったか病院の事務で働き始め時だったか、今で言うストーカーのような男に付きまとわれ、私も一度その男に会いに行ったことがある。嫌だった男とキチンと別れることが出来たのは現在の彼女のダンナのおかげだったと思う。

 ふたりが結婚すると聞いて、よかったねと思う反面、農家のしかも両親が健在の家に嫁入りして大丈夫かと思った。体つきは華奢であるし、世間知らずの甘えん坊で、大家族の農家の嫁は務まらないのではないかと心配した。それが3人も男の子を産み、ご近所のオバサンたちとも上手に付き合い、何よりもビックリしたのはダンナの両親から頼りにされる嫁になっていることだった。百姓仕事など全く知らない、本当は家事もろくに知らない、そういう女の子だったのに、軽トラを乗りこなし、朝早くから夜遅くまで働いて働いて、今ではなくてはならない存在になっている。

 姪っ子のダンナは決して口数の多い人ではないけれど、女房のことはいつも気にかけてくれている。今度の目の手術にしても、退院後に検査があるからそれまでは実家にいればいいと姉の所で寝起きできるようにしてくれた。その分、自分が子どもの弁当まで作り、女房に代わって農作業を行なっているそうだ。サラリーマンをしながら、家の仕事である農作業はきついとは思うけれど、両親のグチを黙って引き受けているらしい。姪っ子らの長男は今年から社会人になった。2番目はまだ大学生で、3番目が今年から声優を目指して専門学校へ通うようになった。家業はどうするのかと聞くと、「なるようになるわよ」と姪っ子は太っ腹だ。

 姪っ子と姉のやり取りを聞いていると、どちらが親なのかわからなくなる。姉はわがままを言い、姪っ子は注意したり、時には叱ったりする。以前の姉なら「あなたにそんなことを言われることはない」と怒るところだけれど、「そうかねー」などと言って娘に従っている。まあまあ、そんなにケンカしないでやってねと言いたいが、ふたり揃って「ケンカなんかしてないわよ」と言い返されそうだ。

 さて、今日はこれから誕生日会である。
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