雨の中、可児花フェスタに行ってきた。さすがに雨降りの平日なので人出は少なかったけれど、それでも好きな人は多いんだと実感した。女性が圧倒的だけれど、車椅子の人を連れたグループやお年寄りのご夫婦を孫が抱えるようにしてきている家族連れも見られた。雨のバラ園を1つの傘で歩いていくカップルもいれば、全く別々のバラを見ている夫婦連れもいる。雨の中のバラもなかなか風情があっていい。この花フェスタと土岐のアウトレットは、中学からの友だちのデートコースだったが、彼はどうしているだろう。
我が家のバラは満開だったけれど、花フェスタのバラはまだ5分咲きというか、50%くらいの開花だった。花盛りの時は確かに見事だけれど、同時に花びらの色が褪せてくる。満開前のこの時期はつぼみが多く爽やかな幼ささえも漂っている。深紅のバラを買う予定だったのに、買ってきたのは「アンネのバラ」と黄色のバラだった。我が家には黄色のバラは1本しかないので、香りのいい黄色のバラは欲しいと思っていた。たまたま、赤いバラを探していたら、「アンネのバラ」に出会った。これも縁だと思い買ってしまった。
私がバラに魅せられたのは小学校の高学年の頃だ。今のように通学団はなく、しかも私は校区外から通っていたので、往きも帰りもひとりだった。帰路は町にある3軒の本屋を見て回ったり、とんでもなく大回りをしたり、好きな道を勝手に選んで歩いた。40分くらいで帰られるのに、2時間でも3時間でも平気で寄り道していた。そんな帰り道の1つに黒塀の酒蔵があり、お酒の匂いがプーンと流れているところがあった。そこを通り抜けると、庭一面にバラのある医院があった。花の時期はこの庭を見て帰るのが楽しみだった。
我が家は材木屋で、敷地の北側は5から6メートルの崖になっていて、その下には2か3百坪ほどの畑があったが、日当たりが悪いことと飛び地であったためか、あまり耕作はされていなかった。柿木が3本と、他にも樹木が何本か植えられていた。私は、この畑を貸してもらえるように頼んで欲しいと父に願い出た。畑の土を耕し、祭りで買ってきた草花を植えた。バラも祭りの屋台で売りに出されていたものだ。自分の小遣いで買ったものだから、数も少ないし、苗もたいしたものではなかった。
それでもせっせとやっていたから、庭造りは自分には合っていたのだろう。大学の造園科に行こうかと思ったこともあったが、理数が出来なければ合格できないとわかりやめた。イタリアやスペインに行ってみて、花を育ててみようと思うようになった。幼い時の夢みたいなものがまた蘇って来たのだろう。黙々と土を返していると、いろんな妄想の世界が広がってくる。バラの似合う女性に会ったのはいつなのだろうかと思ったりもする。
我が家のバラは満開だったけれど、花フェスタのバラはまだ5分咲きというか、50%くらいの開花だった。花盛りの時は確かに見事だけれど、同時に花びらの色が褪せてくる。満開前のこの時期はつぼみが多く爽やかな幼ささえも漂っている。深紅のバラを買う予定だったのに、買ってきたのは「アンネのバラ」と黄色のバラだった。我が家には黄色のバラは1本しかないので、香りのいい黄色のバラは欲しいと思っていた。たまたま、赤いバラを探していたら、「アンネのバラ」に出会った。これも縁だと思い買ってしまった。
私がバラに魅せられたのは小学校の高学年の頃だ。今のように通学団はなく、しかも私は校区外から通っていたので、往きも帰りもひとりだった。帰路は町にある3軒の本屋を見て回ったり、とんでもなく大回りをしたり、好きな道を勝手に選んで歩いた。40分くらいで帰られるのに、2時間でも3時間でも平気で寄り道していた。そんな帰り道の1つに黒塀の酒蔵があり、お酒の匂いがプーンと流れているところがあった。そこを通り抜けると、庭一面にバラのある医院があった。花の時期はこの庭を見て帰るのが楽しみだった。
我が家は材木屋で、敷地の北側は5から6メートルの崖になっていて、その下には2か3百坪ほどの畑があったが、日当たりが悪いことと飛び地であったためか、あまり耕作はされていなかった。柿木が3本と、他にも樹木が何本か植えられていた。私は、この畑を貸してもらえるように頼んで欲しいと父に願い出た。畑の土を耕し、祭りで買ってきた草花を植えた。バラも祭りの屋台で売りに出されていたものだ。自分の小遣いで買ったものだから、数も少ないし、苗もたいしたものではなかった。
それでもせっせとやっていたから、庭造りは自分には合っていたのだろう。大学の造園科に行こうかと思ったこともあったが、理数が出来なければ合格できないとわかりやめた。イタリアやスペインに行ってみて、花を育ててみようと思うようになった。幼い時の夢みたいなものがまた蘇って来たのだろう。黙々と土を返していると、いろんな妄想の世界が広がってくる。バラの似合う女性に会ったのはいつなのだろうかと思ったりもする。