友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

人は幾つになっても恋をする

2011年08月05日 19時53分53秒 | Weblog
 人は幾つになっても恋をするようだ。先日亡くなった友人は夫を亡くした女性と長く同居していた。女性に言わせれば「ケチで細かくて嫌になっちゃう」というような男だったけれど、入籍していたわけではないからいつでも出て行けたのに最期まで一緒に暮らしていた。ガンを患い手術を受け、入退院を繰り返していたから、看護のために暮らしていたようなものだった。ふたりが恋に落ちて一緒に暮らすようになったのか、その経緯は知らないけれど、お互いを必要としたことは事実だろう。男と女は年齢に関係なく、求め合うように出来ているのだろう。

 最近、2冊の恋愛小説を読んで恋愛の方法や苦しさその喜びなどは、それほど大きな違いがないのに、幸せの捉え方は随分違うと感じた。恋する相手と一緒にいたいという気持ちは変わらないけれど、女流作家は恋と幸せが強く一体と描いているのに、男性作家は別のものになっているというか、別次元のものと描いている。書店で何気なく背表紙を見ていたら、唯川恵(ゆいかわけい)さんの『瑠璃でもなく、玻璃でもなく』が目に留まった。瑠璃も玻璃も宝石である。どちらとも言えないということなのだろうか。

 次に吉田修一さんの『静かな爆弾』を手にした。「静けさと恋しさが心をゆさぶる最新恋愛小説」と帯にある。男は恋愛をどう捉えているのだろうかと思って、この2冊を買った。唯川恵さんはたくさんの恋愛小説を書いているし、テレビドラマ化もされている。題名のつけ方もうまいし、目線の位置も女性だからこそと思える。吉田修一さんの作品ははじめて読んだ。著書紹介を見ていたら芥川賞を受賞していた。映画にもなった『悪人』の著者でもある。1968年生まれとあるから長女よりも2つ上の若い作家だ。唯川恵さんは吉田修一さんよりも13年上になるからベテランと言っていいだろう。

 『静かな爆弾』の意味がわからない。主人公が恋した女性は耳が聞こえない。音の無い世界にいる。それは特別なことではないが、つい不自由で気の毒と言う目で見てしまう。けれども、主人公はもっと大きな立場で、彼女を好きになっているなと分る。彼を受け入れていいのかという迷いが彼女にはあったはずだ。以前に付き合っていた男がいたことも伝えている。その時のやり取りも、主人公はついその男は耳が聞こえない人かと尋ねてしまいたくなって止めるのだが、彼女はそれを察して、健常者だと伝え、そんなことを考えた自分を恥じるところに男の性格がよく出ている。

 『静かなる爆弾』の主人公はテレビの番組作りをしている。不規則な生活でいつも疲れ切っている。彼はどうやら大きなスクープを狙っている。仕事の上で何かを実現することは彼の幸せなのだ。「ほら、さっさと服を脱げよ。やりにきたんだろう」で始まる箇所がある。「俺、寝不足なんだよ、さっさとやって、さっさと寝たいんだよ」と言う。これを聞いて怒らない女性がいるだろうか。「会いたくてたまらなかったのに、ずっと会えなかった女だった」のにである。怒りのやり取りで女は「私の仕事はあなたの仕事よりもレベルが低いって言いたいの?」と言われてしまう。

 男と女の物書きの視点の違いが面白いと思った。さて、明日はマンションの夏祭りで、私は焼き鳥を担当しなくてはならない。また、明後日は2日遅れの講の孫娘の誕生会である。そのため2日続けてブログを休みます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする