友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

我が家での会食

2011年08月27日 18時10分16秒 | Weblog
 8月最後の土曜日、今夜は我が家で誕生日会である。せっかくならルーフバルコニーでやりたいのだが、お天気が気になる。晴れオンナと晴れオトコがいるから大丈夫だと言うけれど、最近は神通力が効かなくなっている気がするが、私のこの疑いの気持ちがよくないぞと思った。そこで朝からルーフバルコニーを掃除して、植木鉢を少し並び替え、絶対にここでやるという気持ちで準備にかかった。散水してブラシで洗い、子どもたちが裸足で走り回ってもいいようにきれいにした。

 一時期、サルビアが元気をなくして葉が黄色くなったりしたことがあった。密集して植えすぎたために栄養不足なのかなと思って、油かすなどの肥料を与えたところ、新しい葉も出てきた。サルビアは葉の緑と花の赤のコントラストがいい。補色の組み合わせが強力でいい。この強すぎる色合いの中に、アメリカンブルーとアサガオの青が素朴で絶妙な味を演出している。アジサイやツユムラサキのような青も好きだけれど、夏のギラギラとした暑さの中ではサルビアやデイゴの赤が生きている。

 朝のNHKドラマ「おひさま」で、主人公の陽子が初恋の人のことをダンナに告白する場面があった。隠しておいてもいいはずなのに、陽子が話したのはダンナに隠し立てをしないという倫理感というよりも自分のことを知ってほしいと思ったからだ。話を聞いたダンナは自暴自棄になっているその男を助けたいと思っている陽子に「行っておいで」と言う。「結婚しているからと考える必要はないから、行っておいで」と。このダンナはなかなか度量の大きい人だ。妻や夫が初恋の人のところへ行くことを許すのはそれだけ信頼しているということなのだろうか。もしそれで、妻や夫が初恋の人のもとから帰らないとしても、それも運命だと私は思うけれど、実際にそんなことになったならどうなるのだろう。

 愛する人から初恋の話を聞いたなら、この人はこんな風に恋をしてきたのだと、相手が歩いて来た道を知ることができる。相手がどんな人をなぜ好きになったのか、より自分が相手を好きになるためのヒントを見つけることにもなるだろう。今夜の誕生日会でもそんな昔話に花が咲かも知れない。誰もが自分のことを知ってもらいたいと思うから、そんな昔話をするのだろう。聞くことも話すことも嫌という人もいるかも知れないが、笑って聞くことも大事なことだと私は思っている。

 お酒の席での話などたわいないことばかりだ。それでも話す人は聞いてもらいたいからで、話の中身からその人の考えや感じ方や大事に思っていることや、要するにその人そのものが見えてくるはずだ。大方は翌日になれば忘れてしまっているけれど、もちろんそれでいいと思う。真剣な問題であればこんな宴席で話さず、素面の時に言うであろう。宴席は楽しむことに尽きる。
コメント
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