友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

生まれたことに意味がある

2011年08月26日 21時36分07秒 | Weblog
 菅直人首相が夕方5時に記者会見して、退陣を表明した。首相として最後の演説なのか、思いのままを語っていた。「やるべきことをすべてやった」と力んでいたけれど、そう言わずには居られなかったことだろう。「政治家の家に生まれたわけでもなく、市民運動を行ってきた私」が首相の座にまで上り詰めたのだから、何も出来なかったでは情けないし恥ずかしい。男は誰もが見栄っ張りだから、せめて最後の花道を誰もが飾ってみたくなるのだろう。出来なかった恨み言を述べるのではなく、華やかな最後だったと思いたいものなのだ。

 民主党の代表選挙では、利権政治家の小沢一郎さんは原発推進派の経済産業大臣の海江田万里さんを押すと言う。反原発を主張する候補者はいないが、せめて脱原発を民主党の政策に掲げてくれる候補者はいないのか。理想を掲げて国を引っ張っていく候補者はいないのか。民主党は第2の自民党になってしまった。権力を持つということはそういうことなのだろうか。菅さんが「国家財政の危機」と言い、これを乗り切るためには税のあり方を含めて検討する必要があると言った。消費税についても論議していこうとも言った。

 確かにそれは正直な発言であったであろう。菅さんは自分が政治史上に名を残すような政治家と思い込んだのかも知れない。でも、一般の国民からすれば、少なくとも私は、それは違うだろうと思った。まず、やるべきことは膨らみすぎた行政のあり方を見直すべきだ。右肩上がりが続いて、行政はやたらと大きくなりすぎた。利権政治ではこの改革は出来なかったけれど、民主党なら出来るのではないかと思い込んだ国民が馬鹿だったのかも知れない。それでもこれからの社会を作っていくためには、膨らみすぎた行政のあり方を見直しスリムにする必要がある。

 それを実行しようとすれば、既得権を有している官僚たちをはじめとする現在の機構を維持している人々や諸団体から猛反発があることは当然だろう。国民の支持を背景に成し遂げる以外に手はないと思う。しかし、民主党政権はなし得なかった。地方で首長となった改革派の人たちもそのために苦しんでいる。自己保身だけならば長期政権の維持もできないわけではないが、政治家として、最後まで理想を追求しようとすれば、挫折するか頓挫するかである。リビアの猛獣、カダフィ大佐も王制を倒した時はヒーローだった。「どんな英雄も最後は鼻につく人物になる」という格言があるそうだけれど、42年も独裁政治を続けてくれば当然変わってしまう。

 恋愛もまた、長く続かない。長く続けようと思えば、それなりの努力が必要だろう。努力もせずに「愛し続けて欲しい」と願っても、出来ることではない。人生の最後を迎える人は、自分の人生は何の意味もなかったなどとは思いたくはない。誰かを愛し、誰かに愛され、とても充実した人生だったと思いたい。楽しかった幾つもの思い出が、いかにも充実した日々であったと受け止めたい。人は生まれ出たことに意味があった。だからこそ人は生きていけると思う。
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