友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

男の幸せの身勝手さ

2011年08月20日 17時12分52秒 | Weblog
 「甲子園で高校野球の決勝戦を見ている」と次女からメールがあったと言う。次女夫婦は茨城県に住んでいるが、ダンナの実家の姫路に里帰りするとは聞いていたけれど、甲子園に行っているとは知らなかった。長女も次女も甲子園大会をよくテレビで見ていた。姉はPL学園の全盛の頃で、妹は帝京とか沖縄水産が活躍していた頃だと思う。確か『甲子園』という冊子を買ってきたような記憶がある。義弟の娘は甲子園ファンで、毎年のように通っている。先日会った時も「あの雰囲気はいいですよ」と言っていた。私の母親は洋裁教室を営んでいたが、夏のこの時期は必ずラジオから高校野球が流れていて、まるで球場にいるように喜んだり地団駄踏んだりと感情を露にしていた。高校野球は熱中させる魅力があるようだ。

 その次女夫婦が茨城に帰る途中、今晩は1泊するというのでカミさんは朝から張り切っている。ルーフバルコニーで涼みながら食事にする予定だったけれど、どうやら雨模様になってきた。甲子園の話や地震の話などきっと熱く語るに違いない。久しぶりにふたりだけの食事から変わるわけだから、カミさんも嬉しいのだ。ふたりだけでも我が家は比較的話をしながら食事をする方だと思うけれど、だんだん年を取ってきて「全く会話はない」という夫婦もある。ふたりだけだとせっかく楽しく話していても、どこかで感情のすれ違いとか価値観の相違とかが表れてしまうと終息が付きにくくなってしまう。人が多くいれば、こじれえる前に何となく話題を変わる助け舟が入るものだが、そうならなくなってしまうのだ。

 人によって、関心は違うし受け取り方も様々だ。吉田修一さんの『静かな爆弾』を中学からの友だちがブログで取り上げていた。私の『静かな爆弾』は何を指すのかわからないという疑問に彼は、「音も声もない静かな世界に住んでいる彼女は自分が生きる上で癒しの人であり、ひとたび、彼女の消失を考えたとき、主人公にとって彼女は〈静かな爆弾〉とも言える存在になっていく」と指摘してくれた。そうか彼女は爆弾か、危険かも知れないが手に入れたい物なのかも知れない。音信不通であった彼女からメールが入り、短いメールのやり取りがある。そして最後に「会いたい」とだけ打った。その気持ちはよくわかる。会えるならば、それまでのことはどうでもいいのだ。そうやって人生は過ぎていく。

 初めの方で、主人公が「ヤリにきたんだろう」と言った女に罵倒されるところがある。「世界の不幸を語りながら、あなただってこんないいアパートに住んで、おいしいもの食べてるんじゃない!自分だけ正義の味方みたいなふりをしないで!それにあなたがクソ面白くもない番組作ったからって、何が変わるっていうのよ!ねえ、何が変わったの!何が変わったか、あるんだったら、言いなさいよ!」。チクリとする部分だ。主人公は大きなスクープを狙っている。男は仕事の上で何かを実現することに幸せを求めている。この先どうなるのかわからない。彼女と暮らしていけるかも定かではない。それでも側にいて欲しい。愛とはそういうものだろう。

 同じ小説を読んでも関心を持ったところは違う。愛する人を求めて彷徨った昔を思い出す。
コメント
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