菅首相がいよいよ今月末には辞任するという。しかし、考えてみれば菅さんは野党との信頼関係がうまくないと言うだけで、他に大きな失敗はない。脱原発を突如として言い出したけれど、国民の多くは脱原発を支持するという。にもかかわらず支持率は15から6パーセントに留まるのはどうしてなのだろう。私も菅さんに期待していたひとりだが、野党時代とは全く違ってしまって、首相になってからは何を言っているのかわからない発言が多い。「あ~」とか「う~」とかが多すぎて意味不明だ。自己保身とご都合主義が多すぎるのも気に入らない。政治家として、誠実さに欠けるのは致命的だと思う。
イギリスの各地で暴動が起きている。民主主義の先進地と思われていたイギリスでなんとも野蛮な行為が繰り広げられていることに驚きを隠せない。ことの発端は、警察官が銃を保持していた黒人を撃ち殺したことにあるらしいが、就職先の無い多くの若者たちがその不満をぶつけたことにあるようだ。ヨーロッパでは安い労働力を手にいれるために積極的な移民政策が取られて来た。ところがその結果、自国民の若い人たちが就職先を失った。政権に対する若者たちの不満はますます大きくなっていたところに、今回の射殺事件が起きたから、まるで油田地帯の火事のように各地に広がっていった。
日本では原発の公聴会に向けた原子力安全・保安院の、やらせ問題に始まった原子力行政に関わる責任者が処罰されたと誰もが思ったけれど、それは単なる人事異動に過ぎなかったようだ。結局、官僚たちは次なるポストに天下っていくシステムを堅持した。大臣が何と言おうと行政のシステムを変えさせないというのが立派な官僚のやることらしい。民主党政権になったにもかかわらず、こうした官僚の天下りシステムを無くすことは至難の技のようだ。けれども日本では何が起きても人々は諦め顔でじっと事態を見守っている。日本人は悪い奴がのさばるはずはない、必ずいつか亡びるだろうと信じている。
盛者必衰と人々は信じている。抵抗して苛められたり殺されたりしたのでは割りに合わない。放っておいても必ず世の中は必ず変わるものだ。「待てば海路の日和かな」というし、「慌てる乞食はもらいが少ない」ともいうではないか、悪事が長く続く道理はないと思っている。そういう日和見主義というかご都合主義といったものが、若い時なら許せなかった。自己保身のために逃げているとしか思えなかった。今、死が目の前に迫る歳になると、いつか世の中は必ず変わると思えるのだから不思議だ。だから、何もする必要はないなどと馬鹿なことを言うつもりはない。
世の中は必ず変わるけれど、どう変えたいかは若者たちの考え方にある。ただ、暴力的に変えようとしても非暴力で変えていっても、結果は同じだ。もうこれからは暴力ではなく、智恵で新しい時代を作るべきだろう。暴力は死を招くことはあっても、人々がお互いを信じ愛し合っていく道にはならない。
イギリスの各地で暴動が起きている。民主主義の先進地と思われていたイギリスでなんとも野蛮な行為が繰り広げられていることに驚きを隠せない。ことの発端は、警察官が銃を保持していた黒人を撃ち殺したことにあるらしいが、就職先の無い多くの若者たちがその不満をぶつけたことにあるようだ。ヨーロッパでは安い労働力を手にいれるために積極的な移民政策が取られて来た。ところがその結果、自国民の若い人たちが就職先を失った。政権に対する若者たちの不満はますます大きくなっていたところに、今回の射殺事件が起きたから、まるで油田地帯の火事のように各地に広がっていった。
日本では原発の公聴会に向けた原子力安全・保安院の、やらせ問題に始まった原子力行政に関わる責任者が処罰されたと誰もが思ったけれど、それは単なる人事異動に過ぎなかったようだ。結局、官僚たちは次なるポストに天下っていくシステムを堅持した。大臣が何と言おうと行政のシステムを変えさせないというのが立派な官僚のやることらしい。民主党政権になったにもかかわらず、こうした官僚の天下りシステムを無くすことは至難の技のようだ。けれども日本では何が起きても人々は諦め顔でじっと事態を見守っている。日本人は悪い奴がのさばるはずはない、必ずいつか亡びるだろうと信じている。
盛者必衰と人々は信じている。抵抗して苛められたり殺されたりしたのでは割りに合わない。放っておいても必ず世の中は必ず変わるものだ。「待てば海路の日和かな」というし、「慌てる乞食はもらいが少ない」ともいうではないか、悪事が長く続く道理はないと思っている。そういう日和見主義というかご都合主義といったものが、若い時なら許せなかった。自己保身のために逃げているとしか思えなかった。今、死が目の前に迫る歳になると、いつか世の中は必ず変わると思えるのだから不思議だ。だから、何もする必要はないなどと馬鹿なことを言うつもりはない。
世の中は必ず変わるけれど、どう変えたいかは若者たちの考え方にある。ただ、暴力的に変えようとしても非暴力で変えていっても、結果は同じだ。もうこれからは暴力ではなく、智恵で新しい時代を作るべきだろう。暴力は死を招くことはあっても、人々がお互いを信じ愛し合っていく道にはならない。