常滑へ植木鉢を買いに出かけた。しかし、産地の割には高い。ホームセンターで買った方が安かったかも知れない。それに植木鉢は数も少なくて、作家ものと呼ばれる作品を扱っている店の方が目立った。店のおカミさんに「植木鉢は少ないですね」と話しかけると、「植木鉢を作る業者がいなくなっているのよ」と教えてくれた。「ホームセンターに行けば安いイタリア産の植木鉢がたくさんあるけれど、常滑のような高台が付いていないから水はけが悪くてダメですね」と言うと、「そう言われてみると、確かに外国産のものには高台がないわね」と納得してくれた。数少なくなった植木鉢だから多少は値引きしてくれるかと期待したが定価通りだった。そこが私の見栄っ張りなところで、高いなと思いながら4鉢も買ってしまった。
せっかく常滑まで来たのだからと、碧南市と刈谷市の美術館を見て回った。碧南市の藤井達吉現代美術館へは始めて出かけた。街の中心地にあるが規模はそれほど大きくないけれど、やっている展覧会に興味があった。個人名が付いているけれど、碧南市が建設し運営していると受付嬢は説明してくれた。場所は商工会議所の跡地だそうだ。だから繁華街にあるのかと納得したが、それにしても碧南市はもともと漁港でそんな文化的な町ではないと思っていた。けれどそんな風に思い込むのは失礼だった。私は小学校3年か4年の頃、子ども用自転車に乗って刈谷からここ大浜までひとりで来たことがある。舗装されていなくて砂埃が舞い、でこぼこ道で大変だったことだけを覚えている。
磯の香りと魚の臭いが町中に染み付いていたことを記憶している。そんな街に美術館ができ、『画家たちの二十歳の原点』と題する企画展が開催されていた。一時ブームにもなった高野悦子さんの『二十歳の原点』から名付けものらしい。『二十歳の原点』は高野さんが20歳の誕生日から半年後に自ら命を絶つまでの日々を綴った日記で、70年の学園紛争の時代に自己の確立と現実社会の狭間での格闘の記録である。画家たちがどんな絵を描いてきたのかは、同じ道を歩いたことのある私にもよくわかる。いい絵を描きたい、でもそれで生きていけるのかと心配になる。そんな矛盾を抱えながら絵描きたちは生きてきた。いや、中には死んでいった者もいる。
展示された絵画よりもその隣りに掲示された画家の言葉が胸に引っかかってくる。絵描きは誰もが孤独で狂気に満ちている。誰かが手を差し出さなければ自らを傷つけてしまうだろう。そうした切羽詰った狂いそうな気持ちが絵を描く原動力となったのだろう。絵描きたちはある意味では純粋だけれど、それは極めて自己本位な自己中心主義とも言える。私は画家にならなくてよかったと思う。いや、ならなくてと言うよりも、なれなくてと言う方が正確だとしても、こんな風に自分の命を短くしてまでも絵画に打ち込んだ先輩たちが羨ましく思える。私にもまだ、絵を描きたいという未練が残っているのだろうか。
せっかく常滑まで来たのだからと、碧南市と刈谷市の美術館を見て回った。碧南市の藤井達吉現代美術館へは始めて出かけた。街の中心地にあるが規模はそれほど大きくないけれど、やっている展覧会に興味があった。個人名が付いているけれど、碧南市が建設し運営していると受付嬢は説明してくれた。場所は商工会議所の跡地だそうだ。だから繁華街にあるのかと納得したが、それにしても碧南市はもともと漁港でそんな文化的な町ではないと思っていた。けれどそんな風に思い込むのは失礼だった。私は小学校3年か4年の頃、子ども用自転車に乗って刈谷からここ大浜までひとりで来たことがある。舗装されていなくて砂埃が舞い、でこぼこ道で大変だったことだけを覚えている。
磯の香りと魚の臭いが町中に染み付いていたことを記憶している。そんな街に美術館ができ、『画家たちの二十歳の原点』と題する企画展が開催されていた。一時ブームにもなった高野悦子さんの『二十歳の原点』から名付けものらしい。『二十歳の原点』は高野さんが20歳の誕生日から半年後に自ら命を絶つまでの日々を綴った日記で、70年の学園紛争の時代に自己の確立と現実社会の狭間での格闘の記録である。画家たちがどんな絵を描いてきたのかは、同じ道を歩いたことのある私にもよくわかる。いい絵を描きたい、でもそれで生きていけるのかと心配になる。そんな矛盾を抱えながら絵描きたちは生きてきた。いや、中には死んでいった者もいる。
展示された絵画よりもその隣りに掲示された画家の言葉が胸に引っかかってくる。絵描きは誰もが孤独で狂気に満ちている。誰かが手を差し出さなければ自らを傷つけてしまうだろう。そうした切羽詰った狂いそうな気持ちが絵を描く原動力となったのだろう。絵描きたちはある意味では純粋だけれど、それは極めて自己本位な自己中心主義とも言える。私は画家にならなくてよかったと思う。いや、ならなくてと言うよりも、なれなくてと言う方が正確だとしても、こんな風に自分の命を短くしてまでも絵画に打ち込んだ先輩たちが羨ましく思える。私にもまだ、絵を描きたいという未練が残っているのだろうか。