自民党の石破茂幹事長の発言が問題になっている。石破幹事長は自らのブログで、特定秘密保護法案に反対する市民の街頭デモを、「主義主張を実現したければ、民主主義に従って理解者をひとりでも増やし、支持の輪を広げるべきなのであって、単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらないように思われます」と批判した。街頭デモをテロと同じと見ることに驚いたマスコミが、「それはおかしい」と取り上げると、石破さんは「表現に足らざるところがあることはお詫びする」と言い、「テロ行為と変わらない」という部分を「本来あるべき民主主義と相容れない」と訂正した。
私が石破さんの名前を耳にしたのは、まだ自民党が全盛期の頃だと思う。しかし、このままでは自民党はいつか政権を失うだろう、そういう危機感を持つ若い自民党議員がいた。自民党の中の改革派と称する目立つ人が何人かいた。石破さんはそんな一人だった。昭和32年生まれで、しかも高校生の時から東京で暮らす恵まれた家庭に育っている。大学に入った頃は学生運動も消滅してしまっていたはずだ。石破さんの「本来あるべき民主主義」がどんなものなのか知らないが、少なくとも彼はデモに参加したことがないと文面から分かる。
私が大学生の時は、60年安保と70年安保の間だったこともあって、全学ストや街頭での警官隊との衝突デモはなかったが、それでも学生たちが集まって街頭デモを行なったことはある。東京の大学では全学ストや激しい街頭デモが行なわれていた。私は教員になり、組合のデモに参加したことも、日教組の青年部からの動員で出かけたこともある。デモ行進は空しい。そんなことで要求が実現できるとは思われない。どんなに大きな声で叫ぼうとも同じだ。
石破さんが言うように「理解者を増やし、支持の輪を広げるべき」だろう。けれども、国会議員の過半数が賛成すれば、国民の多くが反対している法案でも成立してしまう。そもそも先の選挙で、「特定秘密保護法案を上程する」と選挙公約で示してもいない。数が多ければ何でも出来るというのは「本来の民主主義」ではないだろう。少数意見の者が実力行使に出たり、数の足らない者がデモで訴えたり、それはまだ民主主義が成熟していない証拠であり、権力を持つ側に「聞く」姿勢がないからでもある。