友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

世代差をなくすことは出来ない

2013年12月18日 17時48分01秒 | Weblog

 大和塾の例会の時、塾生の茶道の先生の家で、新年茶会を開いてもらう話になった。茶会といっても型苦しいものではなく、みんなでお茶をいただきながらおしゃべりしましょうというもの。初めは薬扱いであったお茶を、庶民まで嗜むようになった時は形式などはなかったはずだ。今でもそうだけれど、お茶を飲みながら一時を過ごすのは、心落ち着くし話も弾む。大和塾の例会は、コーヒーを飲みながら1時間半ほどを過ごす。これを、お茶を飲みながらにしましょうという訳である。

 会話の中で、日本人の美意識が話題になり、お茶の作法を確立した利休の話になった。映画『利休にたずねよ』の話から、「団十郎の最後の映画になってしまった」と話が飛び、「団十郎は本当にいい役者だった。歌舞伎からいい役者がどんどんいなくなる。海老蔵や勘九郎ではまだ芸が浅い」と先輩が言う。確かに、団十郎や勘三郎の舞台を見た人にはそうなのかも知れないが、歌舞伎を見たことのない人には何を言っているのかわからない。世代差というものはこういうものなのかと思った。

 年寄りが、昔はこうだったとか、昔はこんなによかったとか、そんな話をしても若い人にはわからない。私の子どもの頃、大人たちが「今時の連中は」と批判していた。何でそんなにボロクソに言うのだろうと思っていたが、年寄りになってみると、やはり同年輩は同じように言っている。年寄りには経験があり、若者には経験がない、それを同列で論じても若者には通じない。私たち自身がそうであったように、世代差は決して越えられない。これはどうしようもないことだと思う。

 年寄りが自らの経験と価値を話すことは大切だと思うけれど、若者に同じように考えろということには無理がある。年寄りと若者が一緒になることは永遠に出来ないだろう。人は語り継ぐことで、若者たちの何かに、どこかで役に立つことがあれば幸いである。「いじめの実態」を文部科学省が調査した数値が発表されていたが、根絶することはないのかも知れない。また、心の病になる先生が増えているという。原始社会に比べて、とてつもない速度で人間の社会は発展している。心の病に陥るのは先生ばかりではない。どこまで耐えられるのか、心配になる。

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