友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

16年ぶりの再会

2013年12月04日 18時19分27秒 | Weblog

 久し振りに出会っても、誠実さと情熱は昔のままだった。まだ、私が無党派・市民派の勉強会の代表をしていた頃、「ぜひ、話を聞いてくれ」というので会ってから16年になる。「市民が税金を払っているのに、何で市民がその使い道について蚊帳の外に置かれているんですか。おかしいでしょう。市民全体のために行政はあるし、議員は市全体のために働く者でしょう」。「ボクは市職員の意識を変えたい。議員の質を上げたいんです」。「そう思っているなら、議員に立候補しなさい」と勧めたけれど、結局は出馬しなかった。

 16年経ても、市の行政は変わらないし、議会も討論らしい討論もなく、シャンシャンで終っている。おそらくどこの地方議会も大差ない現状だろう。けれども、ひとりでも「異議あり」と発言する議員がいれば、議会も少しずつではあっても変わっていく。市全体を考える真面目な議員でなければ勤まらない議会に変えていくことも出来るはずだ。「何歳になったの?」と聞くと、「64歳です」と言う。年齢で差別があるわけではないが、ちょっと厳しい。あとは、本人が醸し出す情熱と訴える中身である。

 「とにかく時間はないから、まずやるべきことを書き出して、1つ1つ消していくことですね。それにはまず応援してくれる仲間と、何を掲げてどう進めるか話し合ってください。話し合ううちにいろいろアイディアも生まれるでしょうし、結束も進むと思いますよ」と、アドバイスする。すると彼は、「実は16年前にもこんな手紙をいただきました」と言ってカバンから手紙を取り出した。紛れもない私の文字で、そこにはいくつかの宿題が書かれていた。「同じことにならないように肝に銘じてくださいね」と念を押した。

 民主主義はまだ発展の途中だ。自民党の石破幹事長は、まだ自民党の若手議員だった頃、長老議員とぶつかって自民党を飛び出した。自民党の旧勢力と対立していた頃は怒鳴り声も上げていた。今、幹事長に納まり「大音響で自己主張するのは、本来の民主主義とは相容れない」と言う。整然と行なうデモはいいが、そうでないデモは民主主義ではないと断言するのは権力者の都合である。「何でも自分が言うことが正しいと思っている馬鹿が多い」と言うが、そういうご自分はどうなのかと思ってしまう。

 権力を握ると、反対する者はすべて敵で、叩き潰そうとする。これは政治の中央も地方も同じだ。お互いに「国民のため」「市民のため」に働いているわけだから、その「ため」の中身をさらけ出し、どうすることがよりよいのか検討すべきだろう。問答無用が繰り返される今、まだまだ民主主義は「本来の」姿になっていない。

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