テレビは歌番組が多くなり、スパーマーケットでクリスマスソングが流れている。もう年末なのだ。年末年始は何となく心浮き浮きするものなのに、私は気が重い。井戸掘りはうまくいかないし、姉は入院するし、連絡すると言っていた卒業生からまだ何もない。先回の井戸掘りに続いて、今度も四苦八苦している。ギブアップの状態だと思うけれど、「いや、まだ早い」とやる気の仲間がいるのに、見捨てることは出来ない。
「99回失敗しても1回成功すればいい」と太っ腹なことを先輩は言う。「井戸掘りも人生と同じで、うまくいかないから工夫もすれば、努力もする。簡単に出来てしまっては人間がダメになる」。そんな悟りを開いた人のようなことを言われても、修行が足りず煩悩から脱却できない私は「うまくいかないことばかり続くと、意欲そのものがへこんでいってしまう」と、口に出して言うことも出来ない。
生活保護を受けているホームレスの就職相談を担当している友人が、「彼らは現状に満足してしまっているから、どうしようもない。現状を変えようという人は相談にのることができるけれど、働く意欲がないのは相手のしようもない」と嘆いていた。「誰でも出来そうな清掃作業は働き手がいなくて困っているが、そういうところへ紹介しても3日もすれば辞めてしまう。20代ならもっと先のことを考えているかと思うけれど、20代も高齢者も変わらないねぇ」。
「コツコツ働いて、嫁さんもらって、家庭をつくりたい、そういう気持ちが若い人から消えてしまったねぇ。こんなにどうして先に希望がない時代になってしまったのか、分からん」。私たちの子どもの頃はまだ道路は砂利道だった。畑のあちらこちらには人糞を貯めておく穴があった。水道はなくて、井戸から水を汲み上げていた。あらゆるものが一気に変わり始めたのは昭和30年代になってからではないだろうか。
子どもの頃見たアメリカ映画には、プールのある家があった。1リットルもありそうな牛乳をゴクゴクと飲んでいた。そんな豊かな生活を見て、いつか自分たちもとの思いが私たちにはあったと思う。いつの間にか、小さな家ではあってもいろんな物を揃えた生活を手にしていた。私たちは働けばいい生活が出来ると思っていた。こんなに先に希望のない時代を作ることになるとは夢にも思わなかった。99回失敗して、1回は成功するのだろうか。