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友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

無常という美意識と価値観

2013年12月20日 18時37分13秒 | Weblog

 先日、テレビの歌番組を見ていたら、気仙沼出身のシンガーソングライターが『わが美しき故郷よ』を歌っていた。聴いているうちに涙がこぼれてきた。震災に学ぼうと三陸海岸を回った時、最初に訪ねたのが気仙沼だった。夜だったから分からなかったけれど、朝になって見ると凄まじい光景だった。コンクリートの建物はかろうじて残っているが使い物にはならない。開けた場所は土台だけが残った家々の跡だ。そんな気仙沼の景色が目に浮かび、泣けてきた。実際に目で見た光景は一生忘れないだろう。

 媒介したもので見るのと、実際に見るのでは違う。この市でも国際交流は盛んだけれど、実際に出かけていってホームステイを体験したり、あるいは迎え入れて外国人と暮らしてみる、そういう交流をして欲しいと思う。外国に多くの友人が出来れば、外国を非難したり馬鹿にしたりすることもなくなるだろう。実際に見る、実際にやってみる、それは新しい知識になると思う。そうした体験が日本人を変えていくことにもなるのかも知れない。

 日本人は国内では争いを繰り返してきたけれど、徳川幕府が成立してからはそうした争いも収まった。長い間、平和が続いたことで、美意識や価値観も独自に形成されていった。四季の変化が無常観を育てた。釈迦が説いた仏教は中国を経て、無常という考えが注入されたが、日本では無常観という哲学を形成した。無常は儚さという美意識を生み、同時に絶対はないという価値観も生んだ。あらゆるものを受け入れながら、どれも否定せずに、逆に1つのものにつくりあげていく、そういう能力を日本人は持っていたのか、歴史の中で身に付けたのか、今も多くの人々の中に流れている。

 絶対なものはない。となれば、それはあいまいさになる。白か黒かと問われているのに、どちらでもないとなれば、結論のないままに進むことになる。これだけ西洋人と同じような生活をしながら、環境だけは同じでもなかなか西洋人にはなりきれない。世界中が、どんどん交流が進み、みんなが同じような服装、同じような生活をすれば、世界中の人が同じような価値観を持つようになるだろう。美意識もそれに伴って、少しずつ変わっていくのかも知れない。そうなっていくのを止めることは出来ないが、まだまだ先になることだろう。

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