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安倍首相が靖国神社に参拝

2013年12月26日 18時06分03秒 | Weblog

 安倍首相が今日の午前、靖国神社に参拝した。第1次安倍内閣の時に、参拝できなかったことが、「痛恨の極み」だった安倍首相にとっては、やり遂げた表情だった。最近の安倍首相を見ていると、この人は信念の人だと思う。彼は「美しい国、日本」を作り上げることに執念を燃やしている。美しい国とは、中国や韓国、アメリカなどの外国と同等で敬われる国であり、そのためには外国が手を出せない軍事力を持ち、国民は天皇を中心に心をひとつに、愛国心と道徳心に溢れ、互いを思いやる優しさと努力を惜しまない勤勉さを備えた国民でなければならない。そのような国づくりを目指しているのだろう。

 「積極的平和主義」と安倍首相は言うのも、武器輸出三原則を見直し、武器輸出で儲けるだけでなく、力が均衡でなければ平和を維持できないという信念なのだろう。靖国神社参拝を懸念するアメリカ、抗議する中国や韓国に屈しては、同等ではないという強い思いがある。「戦争で亡くなった英霊の冥福を祈るのは、世界共通のリーダーの姿勢」と言うのも、外国に負けない世界のリーダーという自負の表れである。靖国の神々に「戦争の惨禍によって再び人々が苦しむことのない時代をつくる、不戦を誓ってきた」と発言するのも、安倍首相の偽らない気持ちだろう。

 決断力もなく、実行力もない30代40代の若い世代は、安倍首相のような強いリーダーに憧れる。自分たちに欠けたものを安倍首相は持っている。生活にだらしなく、未来に希望を見出すことが出来ない若い世代にとって、安倍首相は品格のある特別な人と映るのかも知れない。ワッショイワッショイとジグザグデモを行ない、それまでの既成概念をぶち壊すことに満足してきた戦後世代が生んだ世代である。ひとり一人が認められる民主主義の社会を目指していたのに、単なる個人主義しか育てられなかったのかと思う。

 古いものを否定しながら歴史は作られてきた。またいつか、私たちの生き方も評価される日が来るのかも知れない。安倍首相の靖国神社参拝のニュースを見ながら、何となく寂しさを感じた。私たちの時代は終わり、新しい時代が始りつつあるのだろう。2014年、私は古希を迎える。相当なジジイだと自分でも思う。

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